2016年8月22日月曜日

無党派層が動く、小池陣営有利な事態に(後編)

後半戦に入って小池陣営には2つの懸念事項があった。
1つは無党派層が小池支持に動くかどうか。党組織のサポートは無い。組織戦では勝てない。この弱点を無党派層の支持を取り付け封じ込めるしかない。
幸いに舛添問題の過熱報道によって既に都知事選に関する世間的な関心はかなり高い。選挙期間中もそれを引きずる。更には桜井パパへの注目、小池百合子の立候補、自民党分裂の状況、小池・増田・鳥越の三つ巴の形勢など世間の関心を引く素材に事欠かない。
結果、無党派層が動く。投票率も上がる。小池陣営有利な事態になる。


最大の懸念、野党候補は誰?

ところが小池陣営が勝つ上でもう1つ懸念項目あった。
前半戦で築いた「初の女性都知事」vs「自民・自民党都連」の選択の構図を後半戦も維持できるかどうか。
自民党都連が既に「悪役」としてレッテルを貼られている中ではこの構図は小池候補にとって優位な立ち位置を担保してくれる。無党派層は既に動いている。知名度低く組織戦依存の増田候補は怖くはない。
この段階での最大の不確定要素は後半戦に入っても野党側の候補の顔が見えないことである。この意味では野党の究極の後出しジャンケンは功を奏している。
選挙後半戦は空中戦が死命する状況にある。増田陣営は元タレント議員を動員、認知度アップを謀るが知名度の差はどうしようもない。
ところが、仮にここで空中戦に強い知名度のある野党候補が出ると状況は一変する。せっかく築いた選択の構図を壊されかねない。


小池百合子に女神が微笑む。致命的に“ズレ”た野党候補

最後の最後で野党側はジャーナリスト鳥越俊太郎を候補として打ち出してきた。
知名度ということでは小池百合子に引けを取らない。出身もジャーナリストで小池候補と同類である。

この段階での鳥越候補のマイナス要素を敢えて挙げれば
① 前半・後半戦を通じて「後出しジャンケン」に対する批判報道がかなりなされていた。
② 鳥越候補の76歳という歳の問題である。2020年のオリンピック・パラリンピックでは80歳の大台に乗る。大丈夫かという印象を与える。
③ 鳥越候補に一本化する過程で野党側がかなりごたついた印象を残す。

しかしながら、この段階では小池vs鳥越は互角と言っていい。
鳥越陣営の最大の失敗は鳥越候補の最初の「一声」にある。その内容は致命的に“ズレ”ていた。
立候補する理由を聞かれ、開口一番「参院選で自民党が勝ったから」「このままでは日本は危ない」など連呼、掲げた政策も「安保法制反対」「脱原発」「非核」といった内容で参院選の延長線上での「発信」である。
都民感覚からすれば“ズレ”ている。正に「江戸の敵を長崎で討つ」である。しかも「脱原発」は都知事選ではメッセージとして“効かない”ことは既に前回の都知事選で細川護煕候補が実証済み。
その後、鳥越候補のメッセージ発信は“都政”よりに修正されるがもう遅い。選挙では「終わりよければ全て良し」ではない。「始めコケれば全て無し」が鉄則である。
選挙の要諦は有権者に候補者にとって有利な争点を早く思い込ませることである、アジェンダ設定をすることである。第一声は選挙コミュニケーションにおける戦略上の要である。


石原慎太郎元都知事の発言を応援歌にする小池流発信の“強かさ”

一方、後半戦では小池候補の発信の“強かさ”が目立った。先ずは全体的に「失言」が少ない。
唯一の失言は鳥越候補に対する「病み上がり」発言。また戦略コミュニケーションの技術論から見ると“ブリッジング”が身についている。
ブリッジング(bridging)とは相手の質問を利用してこちらのメッセージを発信する技である。人は質問を受けるとそれに答えようとして、知らぬ間に相手の術中にはまりボロボロにされる。
ブリッジングとは“つなぐ”という意味。質問を受けたら、答える前に自分のメッセージに“つなぐ”、そして答える。質問に答える前にワンステップ置く。そこで自分のメッセージを確認する。このワンステップを意識するだけで発信力は飛躍的に高まる。
もともとは質問を武器に相手から話を聞き出そうとするジャーナリストに対抗する上で考えられた手法である。
この手法は頭で分かっていてもなかなかできない。実践の中で培うしかない技である。小池候補の場合、ブリッジングがある程度身についており、他の候補やキャスター、記者などからの質問にあまり惑わされない。
相手の発言を利用する面でも強かな片鱗を見せる。石原元都知事が自民党都連に応援に駆けつけ「大年増の厚化粧」と小池百合子を揶揄する。小池候補はこの石原発言を街頭演説でのネタにする。
批判するのではなく、ユーモアを持って「厚化粧です」と認めた上で、透かさず男性上位の自民党都連の体質を攻める。「いつの間にか男同士の密室で会議が行 われて、結論が出されて、日本が正しい方向に行っていたでしょうか?おっさんの論理でこれからも日本が突き進むのでありますか?日本はおっさんの論理で ずっとやっていけば、必ず他の国にもどんどん追い越される」と。


小池百合子流「勝利の方程式」、"エアーポケット"を見つけよ!

下降気流のため飛行機が急に下降する空域をエアーポケットという。
選挙にもエアーポケットがある。そこに上手くはまると逆に上昇気流にのることができる。ところが、選挙のエアーポケット現象はいつも出現するとは限らない。幾つかの条件を満たすことが必要である。

経験上、最低でも4つの要素が整うことが重要である。
① 先ずは有権者から見て二者択一の互角の選択構図が出来ているかどうか。今回の都知事選の場合は、民進、共産を中心とした野党共闘が実現、一様に与党(自民党・公明)vs野党(民進・共産)の二者択一の構図が出来る。どちらかの選択肢しかないと一旦有権者は思い込む。
② そこで次に重要なのは、そのどちらの選択枝も“パッとしない”ことである。増田候補は自民党都連の全面サポートのもと今までの都政の延長線上と見られ る。都政の革新には程遠い。鳥越候補は都政を国政の延長線上で考える姿勢に多くの人が違和感を持つ。都政の革新どころか混迷かと疑われる。選ぶ方からは “どっちもどっち”という状況である。
③ 後はそこに強烈な個性と発信力を持った第三の候補の出現である。小池候補がまさにこのポストを仕留める。自民党とは程よい距離感を保ちながら独立自 尊、弁が立ち大臣経験者、さらにはメルケル、クリントン、メイなど女性政治家が世界を賑わせている中で、日本でも女性都知事かという雰囲気の中で、従来の 延長線上にない第三の候補者として浮かび上がってくる。
④ 最後に、前提条件ともいえるが、空中戦が選挙の死命を制する状況にあること。空中戦無くしてエアーポケット現象は起こらない。二者択一の選択肢に辟易 しているところに第三の道があるという思い込みを有権者の中に早く広く生じさせる戦略兵器はテレビなどのマスコミやネットによる空中戦である。
ここでは組織戦は無力である。この意味で「先出しジャンケン」で選挙前半において空中戦を主戦場に設定した小池陣営の動きは当たっていた。もともと「後出 しジャンケン」も同じメカニズムで有権者が辟易したところに新たな第三の候補者を最後に出す方式であるが、その際に重要なのは候補者の選定である。しっか りとこのエアーポケット現象で浮揚できる素質を持った候補者を選ぶことである。

今回の都知事選は小池百合子候補者が戦略的か偶然かはわからないが、結果としてこのエアーポケットに上手く“どんぴしゃり”と便乗出来たことでが大きな勝因である。

2016年8月10日水曜日

都知事選、小池百合子流「勝ちの方程式」(前編)

小池、増田、鳥越と三つ巴の都知事選は小池候補圧勝で決まった。
小池陣営の戦略や意図がどのようなものであったのかはわからないが、戦略コミュニケーションの発想から見ると、そこには勝つべくして勝った構造が見えてくる。


舛添問題で都民が見た都政の風景とは

舛添知事辞任に至るまでの一連の流れは危機管理コミュニケーションの視座からも興味深い。
記者会見をやる毎に炎上する。1回目のクライシス会見で墓穴を掘り炎上することはよくある。普通は学習効果によって2回目以降やり方を正す。しかしながら、6回行われた舛添会見の場合は回を重ねる毎に炎上する。所謂「墓穴を掘りまくる」。
最後の最後まで往生際が悪い。有事には有事のコミュニケーションの原理原則がある。舛添流有事対応は全くそれに逆行する。
更に事態は知事の問題だけにとどまらない。共産党を始めとする野党都議による舛添下ろしが盛り上がる中で与党側の動きが鈍い。これが結果として舛添知事と与党都議は一蓮托生という印象を都民に与える。
加えて、同じ時期に東京オリンピック開催に伴う費用が予算を大幅に上回る事態が連日報道される。その中で野党も含む都議団がリオ・オリンピックへ豪華な視察団を派遣することが露呈する。都民の関心は舛添知事の金の問題にとどまらず、都議会も巻き込む都政全体への不信へと広がる。
今回の都知事選は、「都政への不信」という風景の中で、都民に対してどのような選択の構図を見せられるか、そこで最も映える候補を立てられるかを探る戦いである。


与党側動く。行政のプロを模索、「政治家」vs「行政のプロ」の選択の構図を狙う

先ず動いたのは自民・公明の与党である。前回都知事選で舛添支持をしただけにその動きは速かった。「都政への不信」=「今までの延長線上の候補ではダメ」という都民感情を捉え、政治家ではない行政のプロの候補擁立に舵を切る。
そこで目をつけたのがジャニーズ嵐の桜井翔の父親である桜井総務省事務次官。地方自治体を管掌する総務省の行政プロナンバーワンである。若手世代へのアピールや桜井翔の知名度を利用した空中戦の展開なども可能だ。
野党側の候補に政治家の名前がいろいろと音沙汰されるのを横目に「政治家」VS「行政のプロ」という構図の作り込みに走る。この段階では自公与党側は一歩リードする。ところが、ここで2つの誤算と想定外が生じる。
桜井氏が辞退する。更には、自民党の意に反して小池百合子自民党議員が立候補を打ち上げる。


小池候補「初の女性都知事」VS「自民・自民党都連」の選択の構図をつくる

選挙で勝利する基本は有権者に対する選択の構図を相手に先駆けてつくれるかどうかだ。
小池陣営は“先出しジャンケン”で与党側がつくろうと腐心する「政治家」VS「行政のプロ」の構図を崩す。
立候補する旨を早々に打ち出し、推薦を求め自民・自民党都連を追い込む。怒りで困惑する自民党都連を尻目に自民からの推薦拒否に乗じて「個人」vs「党」という構図をつくった。
この段階で都知事選挙の“建て付け”が変わる。
それまでは自民・公明vs民進・共産の「党」vs「党」の二極対立になっていた形勢に「個人」が参戦する三つ巴の形になる。その中から「個人」の土俵に立った小池候補が精彩を放ち始める。
参院選の延長線、党利党略の主戦場と化している都知事選は批判の対象になっており、それが小池陣営の追い風となる。一方、野党側の動きは混沌とし、その存在感が無い。自ずと「小池百合子」vs「自民党都連」の構図が浮き出てくる。
おまけに自民都連がますます“悪人面”になってくる。報道される自民都連の議員はほとんど「男性」。しかも石原自民都連会長、内田自民都連幹事長など「悪役」を演じる名優が揃っている。
巨大与党組織に1人毅然と立ち向かうジャンヌ・ダルク小池百合子というドラマが展開される。
外からも風が吹く。イギリスではテリーザ・メイ女性首相誕生、アメリカではヒラリー・クリントン大統領候補の連日の報道など小池候補にとってはこれも追い風になる。
更に重要なのが、与党、野党の正式候補が決まらない中、小池候補の武器である知名度を最大限活用する。マスコミ報道を囲い込み空中戦一人舞台を演じる。まさに“先出しジャンケン”の妙である。

前半戦で小池陣営は空中戦に措いてかなり優位な立ち位置を築くことに成功する。空中戦が効く無党派層が動けば小池優位という状況を作り出した。

(後編に続く)


2016年8月2日火曜日

そもそも「コミュニケーション」の訳語はあるのか?

福澤諭吉はコミュニケーションを「人間交際」と訳していた!

「コミュニケーション」という言葉は日頃あまり意識せず使われている。「コミュニケーションとは何か?」と聞かれると一瞬言葉に詰まる。
そこでカタカナ表記でない「コミュニケーション」の日本語訳はあるのかと調べてみた。その結果、「人間交際」という言葉が出てきた。「経済」「社会」「競争」「自由」「演説」など従来、日本にはなかった多くの概念を漢字で造語してきた福澤諭吉が「コミュニケーション」を「人間交際」と訳していた。
「経済」「社会」など福澤の名訳の殆どが2文字であるのに対して「人間交際」は4文字。それが理由でウケが悪かったのか、後世には残らなかった。これは日本にとって残念なことである。コミュニケーションという概念を日本人なりに消化吸収する機を逸した。
外来語が表意文字の漢字で翻訳されるか、表音文字のカタカナで表現されるかは、その外来語の意味を理解する上で大きな分かれ目になる。やはり日本人の思考回路は表意文字である漢字に根ざしている。カタカナだとなかなかその意味を明確にイメージできない。
コミュニケーションという言葉は日常頻繁に使われているが、漠然とした理解の領域を出ておらず、何かあるとそれはコミュニケーションの問題だと安易にまとめる。コミュニケーションの漢字訳がなかったことは日本人のコミュニケーションに対する意識を低めたということでは致命的であった。

コミュニケーション=「人間交際」、近代社会を生き抜くための武器

そこで、福澤諭吉がせっかくコミュニケーションを「人間交際」と訳してくれたので、彼がどうゆう意味を込めてこの造語を考え出したのか紐解く。
福澤諭吉がコミュニケーションを「人間交際」と訳した背景には、その概念が近代化を進める日本にとって大変重要な意味を持つと考えたからである。福澤は近代民主社会を成り立たせているのは社会を構成する人と人との関係性にあると考える。日本初のベストセラーになった福澤諭吉の「学問のすすめ」は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という冒頭文から始まる。
先ずは人と人との関係性に注目する。この冒頭文は今でこそ違和感なく読み流してしまうが、まだ封建制を色濃く含んだ当時の日本人の意識からは青天の霹靂である。封建制は身分で人と人との関係性を世襲にする。生まれた身分によって周りとの関係性が固定化される。正に「人の上に人を造り、人の下に人を造る」社会であった。「身分」とは「職業」と言い換えても良い。封建制では職業を選択できない。しかも、移動の自由がなく、現代から見ると1人の人間が一生に出会う相手の数は極端に限られていた。
ところが、幕末から明治へと時代が変わる中で身分制は消滅、移動の自由とともに職業選択の自由が訪れる。
1人の人間が一生に出会う相手の数が飛躍的に増える。出会う数だけではない、出会いの質も多様になる。選んだ職業によっては全く異なる価値観、考え方、素性を持った相手と仕事をせざるを得ない状況になる。そうなると、封建制では周りとの関係性が与えられていたのが、今度は自らの責任で職業を選び、その中で相手との関係性を造ることが求められるようになってきた。これはある意味で多くの人々にとっては苦痛なことであった。
新たな職業に着くには知識やスキルを習得する必要に迫られる。また知識やスキルがあっても、氏素性の全く異なる相手と上手くやっていかなければならない。相手からの信頼を得ながら、いかに自らの立ち位置を築くかに腐心することを強いられる。
見方を変えるとこれは職業選択の自由を得るための代償であり、近代社会において個人が受け入れなくてはならないコード(code:行動規範)とも言える。福澤諭吉は近代社会を成り立たせている基本は“個人”であると達観する。個人が自由に様々な職業につき、そこでスキルや知識を培い、“関係する相手”とつながりを持ち、しっかりとその立ち位置をつくる。これが"独立自尊の精神"の気風を醸成し近代社会の礎となる。
更にここでいう“関係する相手”とは家族であり、利害関係者(ステークホルダー)であり、社会(世論)である。近代を生き抜くためには個人は実学(スキル、技術、知識)と「人間交際」という武器を手に自らの人生を切り開く。これが福澤のメッセージである。

「学問のすすめ」は立ち位置の力学を説いた日本初のHow to本

福澤諭吉の代表作「学問のすすめ」は、このような状況の中で生まれる。その骨子は趣味的教養だけを高める従来の学問を否定、実際に世の中に役立つ「実学」を会得、そして「人間交際」をテコに個人の立ち位置をつくることである。
福澤の真骨頂は独立自尊の気風を持って個人がしっかりとした立ち位置で社会や国家と向き合う。これが近代社会を成り立たせているメカニズムと看破する。
この本は当時としては飛ぶように売れ、日本最初のベストセラーとなる。いかに多くの人々が自分の立ち位置をつくることに腐心、悩んでいたかが分かる。「学問のすすめ」はまさに立ち位置の力学を説いた書である。
「人間交際」=「コミュニケーション」は近代社会で独立自尊を実現する武器である。
 福澤諭吉が創設した慶應義塾のシンボルマークは2つのペンが交差したデザインである。「ペンには剣に勝る力あり」を象徴するマークである。それはあたかも剣ではなく「人間交際」というコミュニケーションを武器に個々人がその立ち位置をつくる。それ通じて日本の近代を創り上げていくという意気込みを示しているように思える。
「学問のすすめ」は古典にもかかわらず、多くの人がその注釈書を書いている。やはり、そこには長い年月を生き延びてきた古典特有の強かさがある。違った角度で読み返すとそこから新たな発想が生まれ出てくる強かさである。
今一度、手にとってコミュニケーションの視点から「学問のすすめ」を一読するのも「コミュニケーション」の輪郭をよりクリアにする事始めになる。

2015年6月30日火曜日

俳優、 渡辺謙の立ち位置。

アメリカで最高峰の演劇賞トニー賞でKen Watanabeが主演男優賞にノミネートされた。55歳の快挙である。

渡辺謙がブロードウェイミュージカル「王様と私」の本公演を間近に控え、テレビのインタビューを受けた。そこで語った言葉が印象に強く残った。

日本人として初めてブロードウェイで主演することに対して、「とにかく試すんですよね。その可能性を試す。恥かく商売だと思っているから、捨てて塗り替えて捨てて塗り替えてする、ある種の勇気を持っているやつが最後には勝っていくっていうか。」

そして、彼は更に語り続ける。「起きて、飯を食って、着替えて出て行って、リンカーンセンターに入って、そこからステージに向かって行く、この一日が僕にとってはライブなわけ。無駄なものがないって言ったら変だけど一日っていうのを積み重ねて行くしかないですよ。」

ステージの場だけでなく、自分に対して「恥かく商売」「捨てて塗り替えて捨てて」と絶えず言い聞かせ、ブロードウェイでの公演をこなすための日常の動きを全て「ライブ」と言い切る。ステージの上だけでなく、そこに至るまでの生き様の全てが自分の脚本であり、それを渡辺謙は24時間365日演じ続けている。

言い方を変えると、それは自分との対話を積み上げて行くことである。日常の生活の中で自分のシナリオを自らが演じる。日常生活そのものをストーリーとして演じ切るからこそ、脚光を浴びるステージの上で観衆に感動を与えることができる。

渡辺謙は「人に感動を」の一点に絞って自分の人生の筋書きつくり、それを演じ切っているからこそ、舞台での彼の一挙手一投足に観衆は心を動かされる。これが齢55歳で世界最高峰の演劇の場ブロードウェイで主演をはることができる渡辺謙の立ち位置である。

2015年2月20日金曜日

「イスラム国」のコミュニケーション力学から何を読み取る

サイバー戦争の幕開け

イスラム国が21人のキリスト教エジプト人殺害映像を流す。ISISの発信する内容がますます過激化している。米国もサイバー部隊の強化に乗り出す。更にはハッカー集団アノニマスがイスラム国に宣戦布告するなどさながらインターネット戦争の様相を呈し始めた。軍事力がなくてもインターネットで大国と戦える時代の到来を予感させる。ISISの発信技術も高度化してきている。ネット上では有志連合に負けていない。軍事戦力に替わりサイバー戦力が主役に、戦争の形態が大きく変わろうとしている。まさにサイバー戦争の幕開けである。
サイバー戦争の特徴は、戦場が世界のどこからでも見えることである。軍事衝突は本来密室的な空間で行われる。ジャーナリストが前線に出て取材するも、実際は戦場で起きていることのほんの一部しか報道できない。ところがサイバー空間は誰でもが見える、世界がその一部始終を目撃する。そこにネット世界の特徴である遠心力と求心力のダイナミズムが働き出す。遠心力とは加速度的に増幅する情報浸透の広がりであり、求心力とはその広がりの中で渦のごとく発生する思い込みの連鎖のつながりである。多くの外国人がイスラム国の活動に参加する動きは今だ衰えない。一方、ヨルダン兵士の殺害によってヨルダン国内のISISに対する怒りが爆発、イスラム国への空爆は再開される。フランスではイスラム系の複数の男女が風刺漫画家を殺害、その反動でフランス国内だけでなく、世界各地で報道の自由を掲げデモが起こる。安部総理の中東訪問を機に日本人人質事件が起こり、その訪問のタイミングに対する是非が問われる中でテロへの不安が日本中に蔓延する。これらの事象の背後にはサイバーの戦場で発信された様々なコンテンツが大小多様な思い込みを同時多発的に発生させ、それらが錯綜し、つながりながら現実世界を動かしている。その思い込みのつながりの大きなものが世界世論とも言い換えることもできる。

思い込みを操作する

サイバー戦争とは思い込みを操作することによって目的実現をくわだてる戦いと呼べる。その本質は軍事力を除いたという意味でより純化されたコミュニケーション戦争である。この戦場ではメッセージという武器を使って「思い込み」を相手につくり相手を動かす。メッセージを撃ち込むことで相手を誘導する、牽制する、共感させる、歓喜させる、恐怖のどん底に突き落とす。イスラム国は有志連合に対する軍事面での劣勢をコミュニケーション力でカバーするという強かな発想を持っている。コミュニケーションの戦いは従来、世論支持の取り合い合戦である。外交戦では、世界世論の獲得である。委任状争奪戦では一般個人株主世論の奪取である。敵対的M&A戦ではより広いステークホルダー世論の囲い込みである。選挙戦では有権者世論の確保である。ところがISISの場合、その狙いは世界世論の獲得ではさらさらない。逆に世界の恐怖感を煽る、有志連合という世界世論を代表する巨大な敵と聖戦をしているという構図をつくり、その思い込みを世界のイスラム過激派の中に植え付けることである。ターゲットは明確である。イスラム過激派とその予備軍である。現にナイジェリアのテロ集団ボコハラムなどのイスラム過激派があちらこちらで気勢を揚げ始めている。その戦いの構造の基本は弱者の強者への戦いである。よって劣勢の軍事力を補うためにサイバー戦力を巧みに使いこなす。
これは世論獲得を狙いとした従来のコミュニケーション戦とは違う新たな方向性である。世論という「マクロ」を狙うのではなく、小集団でも過激性のある特定の相手という「ミクロ」を狙う手法である。

コミュニケーション武装という考え方

戦略や目的実現にコミュニケーション力学を使いこなすという戦略コミュニケーションの発想を磨く時代になった。
イスラム国はテロ集団の「新種」である。その特徴はサイバー戦力を支える強かなコミュニケーション戦略である。「見えないテロ集団」であるアルカイダではサイバー戦力を効果的に使いこなせない。コンテンツを作り出すだけの力がない。地上戦でも空中戦でも見えるからイスラム国は効果的なサイバー戦を戦える。サイバー戦争はある意味、公開討論会のような全てが見える場での戦いである。その公の場での戦いを左右するのがコミュニケーション力の巧拙である。
物理的な力の行使である軍事力の実効性が相対的に弱まっている。
本格的な軍事力の行使には様々な抑止力が働く。有志連合が本格的に地上戦を仕掛けられないのがその一例である。その中で軍事力や経済力など従来の力学に加え相手を動かすコミュニケーション力があらゆる領域での「戦い」において重要になってくる。今やテロでさえもこのコミュニケーションの力学を使う時代である。
企業もその「戦場」は多様化している。従来の「市場」という戦場に加え、訴訟社会の進展によって「裁判所」での攻防もある。しかしながら、これから最も企業を脅かしてくる戦場は「世間」という戦場である。ここでは全てが公の場での戦いとなる。市場や裁判所では何を発信するべきかの判断基準は比較的に明確である。市場原理という基準が企業の事業発信を導く、法律が企業の訴訟発信を司る、ところが世間では多様な受け皿を持つ”相手”が手ぐすね引いて待っている。しかも受け皿が違うと全く違ったメッセージが伝わる、しかも発信したものは99%誤解されるか、曲解されるかである。誤解は溶けるが曲解は達が悪い。ISISに幾ら人道支援だと言っても相手は確信犯である。曲解し続け意味がない。「何を言うか」よりも「何が伝わるか」の世界である。伝わったものが大小さまざまなな思い込みをつくり、企業に襲いかかってくる。企業側も受け身ではいられない、逆に思い込みを相手につくる攻めに転じざるを得ない状況になる。コミュニケーション戦争である、コミュニケーション力の巧拙が問われてくる。
これから国も、企業も、個人も、自らをコミュニケーション武装することが求められてくる。コミュニケーション戦争における攻防力を身につけることがそれぞれの分野で確固たる立ち位置をつくる要となる。

2015年2月7日土曜日

世界で勝つ方程式、戦略コミュニケーションの発想 (3)

あらゆる事象の背後には”コミュニケーション”というカラクリがある。それを手繰って行くとひとつの力学が見えてくる。そのメカニズムを把握すると事象に影響を与え、目的実現に資する形で駆使できるという発想、戦略コミュニケーションという発想は何処から来たのか。考えてみるとやはり原点は80年代日米最大の懸案であった自動車通商摩擦での原体験である。それは戦うコミュニケーションから始まった。

PRってなんですか?」、「分からぬ、ただ、これから企業にとって大事なものらしい。ホンダは見えるものに対しては強いが、見えないものにはどうも弱い、その見えないものを相手にするみたいだ。まあ、頑張って来い。」アメリカのワシントンDCへの赴任を前に上司から貰った餞別の言葉である。19837月、27歳の時である。
これがPRとの出会いであり、コミュニケーションという世界に足を踏み入れた時である。80年代初頭ホンダはアメリカでの事業の現地化を推し進める中で、ワシントンDCPRの拠点とした。日本人の若手を一人よこせということで、何故か広報ではなく、海外営業に籍を置く自分に白羽の矢が立った。下手に広報の知識がない方が良いと思っていたのかもしれない。赴任早々、訳も分からない中でPR会社を雇った。それがフライシュマンヒラードである。その後、その「見えないもの」を相手に7年以上にわたりアメリカでのPR活動を展開することになる。
当時のホンダにとって「見えないもの」とはアメリカの世論である。その動向によって消費者の意識が変わる、販売店の離反が起こる、従業員が動揺する、そして政策も動く。結果、ホンダ車の輸入、販売、現地生産、リコールなどの訴訟対応などアメリカでの一連の事業活動に支障をきたすことになる。いくら品質の良い製品を持っていても、輸入できない、作れない、売れない、訴訟されるということになる。特にアメリカはホンダの生命線とも言うべき市場であり、その動向が経営全体に多大な影響を及ぼす。

1980年代の日米通商自動車摩擦は、今では想像できない程に激しいアメリカでの反日世論に晒されていた。シビックやカローラが失業者達の手で燃やされ、壊される事態が米国自動車メーカーの生産拠点であるミシガン州を中心に頻発していた。アメリカの自動車産業のメッカであるデトロイトで中国系アメリカ人が日本人に間違われてバットで殴り殺された悲惨な事件も起こった。
この過激な反日世論の背景には、日本自動車メーカーは大量の日本車を持ち込み、不当な競争力でアメリカ市場を席巻、アメリカ人の職を奪っているという「社会的空気」があった。自動車産業がアメリカの象徴であったこともアメリカ人の国民的自尊心を傷つけ、事態を加速させることとなる。
米国市場における日本車シェア急拡大の原因は70年代における二度に渡る石油危機により燃費の良い小型車へ需要が急激にシフトしたことである。大型車を主力としていたビッグ3(GM、フォード、クライスラー)はこの市場変化に対応できず、大幅な収益悪化にみまわれ、工場従業員の大規模な解雇を実施せざるを得ない状況に追い込まれていた。197810%程度の日本車シェアは1980年には20%以上に上昇、1990年に35%までになって行く。
このような状況の中、ビッグ3と全米自動車労働組合(UAW)がとってきた戦略は、この反日世論を意図的に煽ることによって、日本車を米国市場から締め出し、日本メーカーの米国工場を組合化することであった。アメリカの世論に配慮、米国政府の要請もあり、通産省(当時)は日本車の米国輸出を年間168万台に抑える自主規制を実施した。ビッグ3UAW側は世論をテコに、この自主規制枠を縮小させるべく米国政府に圧力をかける。更には、日本メーカーの米国工場で生産された車もアメリカ製部品の調達比率が低いということで、輸入車として扱う現地調達法案を議会に提出する。この法案は75%以上の米国製部品を使用していない車は米国製とは認めない内容になっているが、ビッグ3でさえもこの基準は満たしていなかった。明らかに日本自動車メーカー狙い撃ちの法案であった。一方、組合側は、日本メーカーの中で最も現地生産が進んでいたホンダの米国工場の組合化を画策、ホンダを落とせば、トヨタ、日産の工場も落とせるという目論見である。

ホンダの課題は明確に3つあった。①自主規制枠を維持する。生産余力を持つトヨタ、日産は自主規制枠拡大の方針であるが、ホンダは日本からの供給余力がない。トヨタ、日産よりも進んでいた米国での現地生産を推し進めるほか選択肢がなかった。枠を維持することによって、アメリカの世論を緩和させ、一方、トヨタ、日産の日本からの供給を制限できるという狙いがある。②現地調達法案の廃案に持っていく。ホンダの方針は現地調達率をもっと上げて行くことであったが、それには時間がかかる。日本狙い撃ちということもあり、法案の内容も非現実的なもので、現地調達率の定義自身が曖昧なものであった。③ホンダオハイオ州工場の組合化を阻止する。これが最も深刻な問題であった。組合化されると、多品種少量生産の考えをベースとする日本的生産方式が導入できなくなる。当時のアメリカの生産方式は少品種大量生産で何百もの職種に生産工程が細分化され、職種別に賃金も違うという労務形態であった。全ての工程をひとつの職種とし、工程間の異動を自由に行い、多様な車種の生産に柔軟に対応、そしてチームで車の品質を作り込んで行くという日本的生産方式とは全く相容れないものであった。組合化するか否かの判断は従業員にある。組合側が選挙を仕掛け、投票結果が過半数であれば組合化される。
これらの課題はまさに経営に直結したものであった。そして生命線であるアメリカ市場でホンダが生き抜くための戦いであった。
当時、ホンダの会長であった杉浦さんが、ワシントンDCに来た時に言った言葉が今でも強烈な印象として残っている。「アメリカはいずれ太平洋の真ん中あたりに線を引いて、アメリカ側と日本側とをはっきりと分ける。その際に、トヨタ、日産は日本側に落ちても、ホンダだけはアメリカ側に落着くよう頑張れ」。要は「アメリカの世論をホンダの味方につけろ」という意味である。世論を味方につけることによって、アメリカでのホンダの事業現地化戦略推進への障害を乗り越えるという方針の打ち上げである。
それから7年以上にわたり、アメリカの世論をホンダの味方にするべく、試行錯誤が続く。当時やってきた事を今から俯瞰すると、それなりにPR戦略として整理されているように見えるが、当時はPRの理論云々よりも、実践の中で無我夢中にやれる事をやったというのが実感である。

下記に主にやった事を列記する。

① 日本自動車メーカーとしては未踏の地であり、ビッグ3UAWが本拠を置く米国自動車産業のメッカ、デトロイトに日本メーカーとして初めて事務所を開設、当時、200人程の自動車産業を追っている記者の囲い込みに入る。当時、デトロイトは自動車記者クラブのような体をなしていた。Wall Street Journal, New York Times, Business weekの大手メデイアはデトロイト支局を置き、自動車産業をフォローしていた。

②自動車産業の研究拠点の双璧であったミシガン大学、マサチューセッツ工科大学、更にはハーバード、スタンフオード両ビジネス・ビジネス・スクールへの人脈作りを通じてホンダのアメリカにおける戦略、事業展開、その基本的考え方などへの理解を醸成、ケーススタデイーの作り込み、本の出版をし仕掛ける。

③アメリカにおけるホンダの事業活動最大のエビデンス(例証)であるオハイオ州工場にマスコミ、有識者、州・政府関係者、政治家を個別に招待する戦略を展開する。百聞は一見に如かずである。一日かけてツアーを敢行、ホンダの生産工程、開発、エンジニアリング施設見学、米国部品の調達状況の説明、アメリカ従業員との対話、取引米国部品メーカーへの取材、地域住民との対話集会参加などこちらのメッセージを打ち込む様々なコンタクトポイントをつくる。

④ホンダの各事務所の相手を明確にし、連携をしながら、一貫したメッセージを発信する体制をつくる。デトロイト事務所はマスコミ、学界を含む有識者、ワシントンDCは議会、政府、シンクタンク、ニューヨークは証券アナリスト、ロサンゼルスは販売店、自動車専門誌、オハイオ州工場は従業員、地域住民、州議会・政府、部品メーカーと夫々が明確に「相手」を規定して発信して行く仕組みにする。これは発信機能だけでなく、受信機能としても働き、世論の動向やホンダのメッセージ発信に対する反応をチェックすることができた。また、夫々の事務所に日本人を貼り付け、米国内における連携の強化と日本とのPR戦略の擦り合わせを迅速に行える体制にする。

⑤米国3大自動車会議へ積極的に参画をする。ミシガン大学、マサチューセッツ工科大学、最大の自動車産業誌オートモーティブ・ニュースが主催する自動車会議にスピーカーの提供、有識者、マスコミとの関係作りを積極的にしかけていく。

⑥ホンダの現地化戦略がアメリカの経済、競争力に大きく貢献するというメッセージを伝えるためのイベントを実施する。1985年に米国での開発、調達、生産、販売、海外への輸出を一貫して行える体制の構築を謳ったホンダ米国自立化戦略をオハイオ州ホンダ工場で記者会見、発表する。Wall Street Journalでは発表当日までの5日間、連続で一面トップ記事でホンダの米国現地化戦略を取り上げるなど、大きな反響を呼ぶ。1987年には日本自動車メーカーとして、初めて米国製ホンダ車の日本への輸出を開始、輸出港ポートランドで政治、政府、マスコミ関係者を招待、輸出イベントを開催、自動車マスコミのメッカであるデトロイトとポートランドをサテライトでつなぎ、ライブ・オンライン記者会見を実施する。更には、3大テレビネットワークに話を持ちかけ、うちABCNBCが当日、ポートランドから生で全国に放映する。政治、政策の府であるワシントンDCに最も影響力のあるワシントン・ポスト紙に働きかけ、米国製アコードが日本に向けて船積みされる写真が一面トップで掲載を実現した。

⑦ホンダの「顔」をつくる戦略を展開する。当時、ホンダは商品ブランドは確立されていたが、企業ブランドが無かった。アメリカでの事業展開を可視化するだけでなく、ホンダの「顔」を見せることが、特にアメリカの世論に働きかけるためには必須であった。それには実際に事業戦略の意思決定を行っている日本人トップマネジメントを「顔」として売り出すことある。アメリカ人の顔ではなく、日本人の顔である。社内からは多くの反対があった。特に日本からは。アメリカの世論を相手にするなら、なるべく日本色は消す方が良いということがその論拠である。しかし、ここはアメリカの日本人トップのサポートもあり、強行突破した。結果、表面的にアメリカ人の顔を出すより、堂々と日本人の顔で勝負したことが世論に対しては効果が高かった。これは組織よりも個人に注目するアメリカの国民性に負うところが大きい。

⑧最後は、1989年、創始者、本田宗一郎さんが米国自動車産業の殿堂入りを日本人として初めて果たしたことである。殿堂入り受賞式では本田さんが「アメリカありがとう!ホンダはアメリカのおかげで一人前の自動車メーカーになれました。本当にありがとう!」とアメリカに対する感謝からスピーチを始めた。Thank youHallowしか英語を知らない本田宗一郎さんは、ひたすら「ありがとう、ありがとう」とスピーチの中で連呼、話を終えたその瞬間に観衆からのスタンデイング・オベーションが起こった。その時は身の震えが止まらなかった事を今でも鮮明に覚えている。アメリカの世論を味方にしたという強烈な実感である。

PRとの出会いは、まさに戦うコミュニケーションから始まった。コミュニケーションは武力、財力、権力と並ぶ、あるいはそれ以上の、人を動かす力学であるという実感、それはホンダのアメリカの事業戦略を守ることに直結したパワーであるという認識がここから生まれた。戦略コミュニケーションの発想が体得できた原体験であった。

2015年2月6日金曜日

世界で勝つ方程式、戦略コミュニケーションの発想 (2)

「五輪書」という本がある。あの有名な剣術家、宮本武蔵の兵法書である。
齢60歳の時に九州肥後の岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向かい、47年間の剣術修行の真髄をしたためたものである。
読むと次の文に惹きつけられる。「我に師匠なし。今此書を作るといえども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをもちいず、此の一流の見たて、実の心を顕す事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てんに、筆をとって書初むるもの也。」兵法の本質は全て「自分の内にある」という武蔵の宣言である。心を静寂にして自己との対話の中でその「体験を見極める」と云う武蔵の覚悟である。過去の書籍や教えに一切頼らず、自分の長年の経験の中からのみ掴み取った原理原則を「五輪書」に書き綴ったという武蔵の自負である。
この武蔵の姿勢が戦略コミュニケーションの世界に通じるところに大いに感じ入った。コミュニケーションを戦略実現のための力学として捉えた時、その真髄は実際の経験から弾き出したものでないと実践の役に立たない。本をいくら読んでも、人からいくら教えてもらっても左脳での理解だけでは歯が立たない。目の前の具体的な課題に取り組み、その経験から本質を掴み取る右脳での体得がないと事に対応することができないのがコミュニケーション力学の世界である。
「戦略コミュニケーション」は”造語”である。戦略的コミュニケーションという表現は良く使われるが、大きな違いは”的”がついていない。”戦略的”はあくまでコミュニケーションの中での話になる。戦略性の高いコミュニケーションと言ったニュアンスで、何を持って戦略性かはっきりしない。”的”を外すことで戦略とコミュニケーションは別物でなく、表裏一体であることを示す。戦略があっても周りがその実現のために動くよう影響を与えなければ何事も起こらない。人に影響を与え動かすためのコミュニケーション力学が不可欠になる。人の世である限りこれは「常識」であるが、コミュニケーションは別物という認識が特に日本ではまだ強い。優れた戦略が稚拙なコミュニケーションによってダメになるケースが日常茶飯事に起こっている。戦略とコミュニケーションは不可分なのだと説明をすると頭では理解してくれるが、発想を持つまでには落ちない。やはり、発想を待つまでに落とし込むには”修羅場”とも言える経験が必要となる。
コミュニケーションの世界に関わりを持つこと30年、その体験の中で培ってきた”発想”を表現しようとした際に出て来たのが「戦略コミュニケーション」と言う言葉である。これからグローバル化の波が押し寄せる中で、この”発想”を持つことが成功のためのルールである。英語力、MBA、ビジネス理論をいくら習得しても世界では勝てない。人生を生き抜く上で、企業が事業戦略を実現する上で、国が繁栄する上で必要不可欠な「発想」が戦略コミュニケーションの発想である。
この発想を体得する鍵は自分の内にある。培ってきた体験の中にある。そこから原理原則を捻り出す絶え間ない努力と工夫が必要である。日常の些細な経験の中にも戦略コミュニケーションの発想を身につけるための秘宝は多く隠されている。人生は毎日が修羅場 。その日々の修羅場から”世界で勝つ方程式”を感得するぐらいの気構えが重要である。宮本武蔵の「五輪書」に流れている”姿勢”がここにある。