2011年1月20日木曜日

戦略コミュニケーションの温故知新:田中愼一流、戦略コミュニケーションの発想の系譜を辿る(1)

今回新たに「戦略コミュニケーションの温故知新」シリーズを始めます。

このシリーズでは一度、原点回帰という意味で自分のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。(その他のシリーズ連載についてはこちらから)

田中愼一流、戦略コミュニケーションの発想の系譜を辿る(1)

戦略コミュニケーションの発想とは、ものを考える時のひとつの“癖”のようなものである。

コミュニケーションとは何かと意識しながら、いろいろと経験する中で培われてくる一種の感度であると最近実感している。頭では理解できても実践することが結構むずかしい。左脳だけでは歯がたたない。かなり右脳を酷使することが求められる。

このコミュニケーションの発想をお難く定義すると「コミュニケーションの作用を目的実現のためにフルに使い切るという志向・思考」となる。裏打ちされた経験の蓄積とある程度の感度の磨きがないと字面だけの理解で終わってしまう。まったく役に立たない。

この“癖”のような戦略コミュニケーションの感度を身につけるには、どうすればいいのかとよく聞かれるが、正直、口をすっぱくして説いても中々実践できるまでのレベルには行かない。やはり経験と実践の積み重ねがものを言う。

自分もコミュニケーションの仕事に携わって早今年で28年を迎える。それでも日々迷う。修行の途上といったところである。ただ重要なことは絶えず、24時間コミュニケーションとは何かと自らを問い続けることである。

それを経験にぶつけ、実践の場でひとつひとつ納得し習得していく道しかない。戦略コミュニケーションの発想は何もコミュニケーションの仕事に従事している人々だけのものではない。あらゆる仕事において実績を挙げるために必要な発想である。

仕事をしっかりとこなして行く上で、組織をうまく経営していく上で、国を正しく導いていく上で、そして人生をしたたかに生きていく上で必要不可欠な視点であり、感度であり、感覚である。

この戦略コミュニケーションの発想を培うには、やはり何らかの“道標”が必要である。何から始めればいいのか。

それはPublic Relations(PR)を理解するところから始まると確信している。日本ではPRに対する理解がまちまちであるが、1983年にアメリカで初めてPRなるものに出会ったことが、コミュニケーションの世界で生きるというその後の自分のキャリアを決定付けた。コミュニケーション歴28年を迎えるにあたり、自分のコミュニケーションの系譜を一度振り返り、整理し、もう一度原点回帰しようと決心した次第である。

PR博士号も、修士号ももっておらず、正式なPRの教育を受けたわけでもない。あくまで事の成り行き、ご縁でPR関連の仕事に長く従事することができただけである。その経験の積み重ねの中から自己流にコミュニケーションの原理・原則を作ってきた。

これから田中愼一流のPRの系譜を思いにまかせながら紐解いていく。その中から戦略コミュニケーションの発想の片鱗を感じ取ってもらえると大変うれしい。
(つづく)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

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