2024年3月14日木曜日

本と対話する

 「積読」(つんどく)という自分流の読書法を長年やってきました。本を買ったら「読む」と言うより、部屋中に「積んで置く」というやり方です。一種の自分流本との付き合い方です。本は読みますが、世に言う「読書家」とは程遠い存在です。何故なら「読むのが実に遅い」、「しきりと本に書き込みを入れる」、「飛ばし読みが下手」などの理由があるからです。本を早く読む人を見るといつも羨ましく思います。

ただ、本との“出会い“は人との“出会い“と同じであると感じることが大事だと思っています。「本を読む」というよりは「本と対話する」感覚です。本との関係は読んだら終わりということではなく、繰り返し、繰り返し、出会う。その都度、新たな発想が降りてくる。

具体的には、先ずは、タイトルと目次、著者の経歴、書評などから「何らかのご縁がある」と感じられた本を買います。買った本の多くは読みきりません。中にはタイトルだけで買い、ページを開いていない本も多数あります。それらを“積んで置く“訳です。結果、部屋の中は多くの本が雑然と積み上がったカオス的な状態になっています。これが本との出会いの空間を作り出します。

朝起きてふっと目についたタイトルに引き寄せられ、その本に手を伸ばす。本を開くとすでに7年前に完読したことに気づく、パラパラとページをめくって行くと傍線が引かれている箇所や手書きで書き込まれた文章が目につく。本に残された過去のそれらの痕跡を追っていくと最初に読んだ時とは全く違う印象が生まれ、新たな発想が降りてきます。それは最後に読み終わった時から今に至るまでに自分の中に蓄積されてきた“経験“により、こちらの受け取る側の感度がより高まった結果だと思います。

よく若い時分に読んだ古典の本が当時はちんぷんかんぷんで理解不能だったのが今読むと「わかる!」といった感じです。”旧友と出会い、久々に話をした”感覚です。

「積読」を行う上で重要なことは、先ずは本を部屋中に「積んで置く」、読書空間を確保することが不可欠になります。部屋じゃなくても構いません。昔、押入れとかタンスの中などを利用した記憶があります。そして本との“出会“を人為的に行うのではなく、偶然性に任せる開き直った姿勢が必要です。本との偶然の出会いを楽しむことです。規則的に本を選ぶのではなく、考えずに選ぶことが基本です。

自分にとっては、この自分流読書術である「積読」は、何故か大変心地がいい。本を読むぞと構えなくていい。本との日々の出会を楽しめる。本との対話を繰り返す中で、結果、沸々と活力が湧いてきます。自分を活性化する一つのの方便だと思っています。そこには人との出会いに通じるものがあります。

ただ一方で、本と向き合う際に、いくつか気をつけていることがあります。

一つは、「知識よりも発想」です。知識は大切ですが、ネット社会では情報入手の方法は多様であり、「本」に知識を求める時代ではなくなっています。これからは“知識“を蓄積するより、“発想“を積み上げ、その“発想“で自らを武装する。そして人生を生き抜いていく時代です。

長年、自分の読書に対してある種の劣等感を持っていましたが、その原因は本に知識を追い求めたことでした。そのため、読むのが遅い=知識習得が遅いと思い込みがちでした。「積読」も読むのが遅いから本が積まれていくのだろうと思い込んでいました。ところが最近は自分が培ってきた「積読」という読書法が実は発想を創出するのに有効であることに気がついた訳です。

二つ目は「本に読まれるな!」です。

「しばらく本を読むのも良いが、できるだけ早くそれを擱く(おく)ようにしないといけぬ。本を読むことを止めぬと、文字の学問だけをやるような癖になる。」鈴木大拙。

世界に禅を普及させた鈴木大拙の言葉です。

万巻の書を読んできたがごとく、本を手当たり次第読んでいるような人にたまに出会います。機関銃のように口から多くの言葉が休みなく飛んできます。一瞬、その言葉の連射に怯むのですが、しばらくすると相手の話している内容が実に空虚に感じられてきます。その原因は語っている言葉が全て借り物の言葉で「自分の言葉」になっていないからです。これが「本に読まれる」ということです。

本との対話は一種の「格闘技」です。「読むか、読まれるか」の真剣勝負です。

本田宗一郎も鈴木大拙と同様に知識に対する警鐘を鳴らします。

「知識は役に立たねばただのお荷物。本に書いてあることは、みんな過去のこと、だからただ鵜呑みにしてはならない。未来に役立たない知識なら、それらを捨ててこそ、未来が考えられるのである。」(本田宗一郎)。

「本に読まれる」とは、本の内容を鵜呑みにすることです。知識として得たものを、今一度、自分の中で腹落ちさせる。そこから新たな発想を生み出す。これが知識の自分ゴト化です。知識を役に立たせるとは発想を掴むことです。これがないと「自分の言葉」は出てきません。知識の鵜呑みからは発想は生まれません。

最後は、「経験という本を読む」ことです。

本田宗一郎は徹底した実践の人でした。現場・現実・現物と真剣に向き合い、「経験」というチャネルを通じて創意工夫を凝らしてきた人でした。言い換えれば、経験という本を絶えず読んでいた人でした。

「学んだことはすぐ実践。見たり、聞いたりしただけの知識は本物ではない。大切なのは、それをすぐに実践で試してみることである。そうすれば本物の知識が宿り、創意の芽も自然に生まれてくる」(本田宗一郎)。

本は文字のみで内容を表現しますが、経験は文字だけでなく五感六感をフルに働かせ、文字だけでは表現しきれない現場の実態をより多面的に立体的に直接とらえます。まさにトライ・アンド・エラー(try and error)という実体験を触媒に本質を掴む発想がこれからますます大事になります。そのためには「自分の経験」という“本“を絶えず読み込んでいく覚悟が必須です。

2023年11月24日金曜日

対話は格闘技、真剣勝負!戦いのコミュニケーションのすすめ

 対話は格闘技です。会話と違って相手を動かすための力の行使です。相手を動かすか、相手に動かされるかの真剣勝負です。

対話の目的はあくまで、こちらの意図に沿って相手に動いてもらうことで、議論して相手を打ち負かすことではありません。議論に勝っても逆に、相手は動かなくなってしまいます。

対話と言えば、普通は「仲良くする」「相互理解をはかる」などの表現で説明しますが、何故か「対話は格闘技だ!」と言った方が自分にはピンときます。実際のところ、トレーニングや講義では始まりの表紙として巌流島に在る「武蔵と小次郎」の戦いを描いた銅像の写真を良く使います。

 

何故、自分はこのように発想するようになったのか、その背景を考えてみました。 

そもそも仕事として「コミュニケーション」と出会ったのは“戦いの中“でした。ホンダにいた時です。

戦いとは1980年代、日米自動車通商摩擦です。アメリカで日本自動車メーカー(ホンダ、トヨタ、日産)の市場シェアが急増、米国車の販売が激減する中、米国自動車メーカーは従業員の大幅な一時解雇(レイオフ)に踏み切ります。結果、「日本自動車メーカーは不当な競争力で市場シェアを拡大、アメリカ人の雇用を奪っている」と言う一大反日キャンペーンが米国自動車メーカー(GM, Ford, Chrysler)や米国自動車組合(UAW)主導のもと全国展開され、反日世論が米国内に急騰します。

この事態の根本的な原因はアメリカの自動車市場の需要構造が大きく変わったことです。1970年代の2度にわたる石油ショックによって需要が大型車から小型車に急激にシフトしたことによります。当時、米国メーカーは小型車を作っておらず、小型車の代名詞であった日本車が飛ぶように売れる状況になります。 

反日世論が急速に拡大しているにも関わらず、日本車の販売は至って好調で、千ドル、二千ドルとプレミア付きでも売れる環境でした。ホンダは日本車の中でもブランドは高く販売への影響はありませんでしたが、反日世論の動向には非常な警戒感をもっていました。その理由は、ホンダの北米での「現地化戦略」の推進に支障をきたすのではとの大きな懸念です。当時のホンダの現地化戦略というのは販売に加え、生産、開発とアメリカで展開、一貫した事業体制の構築を目指すことでした。

 

私は反日キャンペーンが盛んに展開される中、1983年にアメリカでの広報部門立ち上げのメンバーとしてワシントンD.C.に赴任しました。与えられたミッションは「アメリカの世論をホンダの味方にする」ことです。

正直、途方に暮れました。今まで車をつくる現場や車を売る最前線は経験してきましたが、「世論を味方にする」など想像の枠外です。

試行錯誤の日々が続きます。7年かかりましたが、最終的には「アメリカの世論がホンダの味方になってくれた」を象徴する出来事が起こりました。

1989年秋にホンダ創業者本田宗一郎さん(当時82歳)が日本人として初めてアメリカ自動車産業の殿堂入りを果たしたことです。

この7年間の「戦い」の本質はBig 3(GM, Ford, Chrysler)/米国自動車組合(UAW) vs ホンダの間でのアメリカの世論支持の奪い合いです。

その時に唯一頼れた“力”がコミュニケーションでした。商品力、ブランド力、財務力などで消費者、販売店、投資家など一部のステークホルダーの支持は取り付けられますが、世論となると歯が立ちません。

結局、ホンダが企業として真摯に世論や社会と対話する以外には道がありませんでした。その中でホンダがアメリカの自動車産業やアメリカ社会にとって必要な役にたつ存在であると認知される、見られることがホンダのアメリカでの企業活動の生命線でした。

7年間に渡り、コミュニケーションを武器に“戦った“原体験が「コミュニケーションとは?」に対して

「格闘技です」と即答する発想の“癖“が付いたのだと思います。

40年以上に渡り、コミュニケーションの修羅場を潜ってきた経験値からは一つの実践的で有効なコミュニケーションへのアプローチ発想です。

2023年11月10日金曜日

信長のコミュニケーション力学とは ”その本質に迫る!”

戦国時代は世界でも稀に見る「戦いの世紀」でした。それは応仁の乱(1467年)が始まってから大坂夏の陣(1615年)が終わるまでの約150年間です。この間に日本の兵力基盤は世界有数に成長します。

16世紀当時、イギリスの総鉄砲数約6,000丁に対し、肥後の戦国大名・竜造寺隆信は約9,000丁所有していたと言われています。

また、当時、ヨーロッパで最も大きな国だったスペインの軍事力は7~8万人。それに対して、戦国時代に拡大した日本全体の軍事力は15〜25万人に上り、朝鮮出兵の際に豊臣秀吉が動員した兵力は15万人に達すると言われています。いかに戦国時代が武力衝突が日常化し、戦いに明け暮れた150年だったことかが分かります。

日本全体が「猫も杓子も」日々の戦いの中で生存を賭けて様々な「力」を模索する事態です。

すると、面白いことに、武力の増強以上に戦国大名と言われる日本のリーダーたちのコミュニケーション力が飛躍的に高まります。それは何故かと言うと、戦国時代は勝つためには猫の手も借りたい切羽詰まった事態だからです。

兵力を消耗する武力衝突を避けて、他に利用できる力を追い求めます。結果、行き着いた先が今で言う「コミュニケーション」(受信→戦略→発信を工夫する)です。人を殺すのではなく、人の意識を囲い込むことによって目的を達成すると言う”もう一つの選択肢“を持つ発想が生まれてきます。人の意識を囲い込む最強の武器が「コミュニケーション」という認識です。

当時、戦い方が局地戦から総力戦の体をなしてきました。局地戦では“いざこざ“レベルの衝突で終わりますが、戦国大名同士の戦いは、”負ければ=滅ぶ”と言うことで猫も杓子も使い切って勝つという総力戦に移行します。すると、戦い方の「掟破り」が頻発します。従来のやり方とは違った方法で勝ちをとりにいく方向に急速シフトします。そこに武力だけではなく、コミュニケーションを絡ませることによる「勝ち方のInnovation」が起こるわけです。

戦国大名たちは彼らの受信→戦略→発信のサイクルを回す工夫を通じて総力戦に勝っていくことを宿命づけられ、否応なく、勝つためのコミュニケーション力を覚醒させていきます。現代を含めて歴史的に見ても、戦国時代ほど日本のリーダーたちのコミュニケーション力が高まった時期はなかったと思います。


戦国大名の代表格を挙げると、西から大友宗麟、毛利元就、長宗我部元親、織田信長、浅井長政、徳川家康、今川義元、北条早雲、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗など誰もが知る名前が出てきます。

そして、このリーダーたちの中でもコミュニケーション力がダントツに高いのが織田信長です。

信長というと「天下布武」と言うビジョンを掲げて“武力“で天下統一を目指したイメージがありますが、彼ほどコミュニケーションの力を駆使した戦国大名はいません。武力依存だけでは、天下統一の道筋を30年(家督相続から本能寺の変まで)という短期間でつくることは不可能です。

天下統一だけでなく、信長は日本を中世から近世を通り越して近代の一歩手前までもっていったリーダーと言えます。その後、徳川家康の天下になってからは日本は近世に引き戻された感がありますが、戦国時代の動乱を逆手にとって、多くの人々の意識を囲い込み、ある意味で日本人の意識の変容(Transformation)を成し遂げたリーダーとして日本史上、稀な存在です。

信長のコミュニケーション力学を支える要素とは何か。その本質については、これからも時あるごとに紹介して行きたいと思います。

そこには現代でも通用する戦略コミュニケーションの発想が数多く秘められています。

2023年11月2日木曜日

「立ち位置の原体験」“ホンダ“という神様が降りてきた!

昔話をします。誰しもいろいろな“原体験“を持っています。
自分自身もさまざまな原点となる経験を経て今日までに至っています。多くある原体験の中で自分が初めて「人間関係の原理・原則」を思い知らされた原点があります。

6歳の時に当時アフリカに南ローデシアという国がありました。今のジンバブエという国です。親の仕事の関係で日本人として初めて親子3人で移り住みました。当時の南ローデシアは英国の自治領として白人国家を形成しおり“白豪主義“を実践していました。白豪主義とは一種の人種差別政策で白人はホワイト、それ以外の人種はカラード(色つき)と差別され、ホワイト専用のレストラン、トイレ、居住区、学校などカラードとは別の生活空間が設定されていました。当然ながら、肌の色からすると日本人はカラードです。ところが、幸か不幸か日本人だけは“名誉白人“と認定されました。日本との国交が樹立されたことが背景にあります。

肌の色は黄色です、でも名誉白人だと明記したプラカードを肩からかけているわけでもないので、白人のトイレに入れば追い出される、レストランは入れてくれない。住む場所が見つからないなどなどの事態に見舞われました。学校は白人の学校しか存在せず、初めて登校したときは、校長先生の部屋で親同伴で挨拶していると部屋の大きな窓いっぱいに、白人の子供達の顔で埋め尽くされました。彼らにとっては“一大事“です。黄色い奴が入校してきたということで大騒ぎです。教室に入っても無視されるか、質問攻めです。英語もわからず、唯一、覚えた "I am Japanese." もJapan自体を子供達は知らないため役に立ちません。Identity Crisisです。6歳の子供には重すぎます。地獄の一丁目にきてしまったのではと慄いた記憶があります。

ところが、「捨てる神あれば、拾う神あり」です。数ヶ月経つと“ホンダ“という名前の「神様」が降りてきました。当時の南ローデシアではオートバイのモーターレースが高い人気を誇っていました。当時の世界チャンピオンだったのがJim Redmanという南ローデシア人で国の英雄でした。当時ホンダのマシーンで世界を席巻していました。ホンダのチームが南ローデシアに転戦してくると、唯一の日本人家族ということでピットに呼ばれます。そこでJimと握手したり、写真を撮ったり、サインをもらったり、夢のような世界です。そこで得た”獲物“を翌日、学校に持って行きました。教室の皆んなに見せつけるためです。その際は、見せるだけでなく、皆んなの分も今度Jimが転戦してきた時に貰ってくるなどのリップサービスなどはしたと思います。

この行為が学校での環境を大きく変えました。

周りの子供達の態度が急変します。今まで「変な黄色い野郎」としか見られていなかったのが、「こいつ、英雄のJimを知っている、更にはJapanという国はホンダのバイクを作っている凄い国、こいつはそこから来た」と見られるようになりました。見られ方が変わった、立ち位置が変わったのです。それだけで地獄から天国に導かれた感覚です。

南ローデシアにはそのご6年ほど滞在しましたが、子供心に絶えず立ち位置の戦略を持っていました。

「クラスで必ず3番手に見られる」工夫です。そのKPI(評価軸)は同じクラスの女の子たちのBirthday Partyの日に彼女たちの自宅に呼ばれるかどうかです。通常、男の子からは3人選ばれてPartyに参加できるという不文律のルールがあり、そこに選ばれるかどうかがクラスの中の男子生徒の立ち位置が決まります。 

さすがに、白人の世界ですから一番手を狙うのは無理です。さらに、2番手は通常、一番手の白人の子供への対抗馬として、当然ながら白人が入ります。すると日本人にとっての狙い目は3番手をキープすることです。すでに、ホンダ、Jim Redmanのブランドは手に入れていたのですが、それに加え、「算数」を活用しました。当時、一般的に海外に滞在する多くの日本人子女は数学や算数が強いと言われていました、

多分、「九九」を習得する時期が日本人は早いことが背景です。ご多分に漏れず、自分もクラスの中では算数が得意で、それをクラスの子供達に教えるという立ち位置を確保することができました。

南ローデシアでの経験は自分に人間関係の原理原則は何かを体験させてくれました。今日に至るまで、「自分がどう相手から、周りから見られているか」を絶えず意識します。

更には「相手や周りにどう役に立つか」を考えます。「役に立つ」と見られるか、「役に立たない」と見られるかで天国に登るか地獄に落とされるかです。

社会的動物と宿命づけられている人間にとっては周りの「役に立つ」ことが立ち位置をつくる上での鍵です。自分は「どこで役に立つのか、何を持って貢献するのか」自問自答、行動で示すことが大事です。

2023年10月27日金曜日

「強かな立ち位置」をつくるとは? “強かに考えるな!“

立ち位置とは何か。「周りからどう見られるか」です。

個人も、企業も、国も周りからどう見られるかで、個人であればその人生、企業であればその存続、国であればその行末が決まると言っても過言ではありません。

そこで、生き抜いて行くための「強かな立ち位置」とは何か、その本質を考えていきたいと思います。

 

立ち位置はコミュニケーション力によって作られることは、別の稿で話をしました。

強かな立ち位置をつくれるか否かは、その人、企業、国が持っているコミュニケーション力(能力)に依存する訳です。

では、強かな立ち位置をつくるにはどうすればいいのか。普通に考えると「強かに考えて行動、コミュニケーションを図る」という事になります。ところが、コミュニケーションの厄介なところは、「強か」と考えた瞬間に相手はこちらの非言語を通じてそれを察知します。すると「あいつは強かに考えて行動している。気をつけなければ」と逆に用心されてしまいます。人は心で思ったことはすぐ非言語表現となって表に出ます。相手はそれをすぐ察知します。

初めての人と会う時、相手を見た瞬間に「あっ、苦手なタイプ」と心に思った瞬間、それは相手にも伝わります。人は初対面の時、10秒で相手に対する“印象“を作ってしまいます。逆に言えば、最初の10秒が相手に好印象を与えるチャンスになります。いずれにせよ、「強かに」考えることが「強かな立ち位置をつくる」ことには繋がらないのです。ではどうすれば強かな立ち位置が作れるのか?

結論は「結果、強かだと評価される」ことです。

 

「燃えよドラゴン」で一世を風靡した俳優で格闘家のBruce Leeが残した格言があります。格闘技の奥義を説いたものですが、強かな立ち位置の本質を考える上でも非常に示唆に富んでいます。

 

“Be water, my friend!”

"I said empty your mind. Be formless. Shapeless, like water.
Now, if you put water into a cup, it becomes the cup. You put water into a bottle and it becomes the the bottle. You put it in a tea pot, it becomes a tea pot.
Now water can flow or it can crash.
Be water, my friend."

Bruce Lee 

 

(日本語の訳)

「心を空にせよ。型を捨て、形をなくせ。水のように、コップに注げば、コップの形に、
ボトルの注げば、ボトルの形に、急須に注げば、急須の形に、
そして水は自在に動き、ときに破壊的な力を持つ、
友よ、水になれ。

 

Bruce Lee の発想の背景には中国の古典である「老子」の視座がビルトインされています。
「老子」では究極の強かさの象徴を水とします。
水はどのような容器にも形を合わせます。しかも石をも削る力を持ます。
更には、周りから無くてはならない存在です。このような“存在“を「老子」は「強かである」と評価します。

しかしながら、「Be water, my friend」と言われても、相手の形に自分を合わせることは至難の業です。最大の敵は自分です。自分の自我(エゴ)、偏見、先入観、更には、好き嫌いなど越えなければならない壁が立ちはだかります。自分への囚われを無くす。心をゼロにすることが出発点です。

これは「自分との対話」をどれだけ自分に仕掛けられるかです。コミュニーケーションと言うととかく、「相手との対話」だと思われていますが、「自分との対話」あっての「相手との対話」です。
まず、自分をしっかりと整えた上で相手と向き合うことが大切です。

 

「自分との対話」はどうやれば良いのか、更には「結果、強か」を具体的に実施するかについては、自分の経験に基づいた話を別の稿で紹介したいと思います。

2023年10月18日水曜日

立ち位置とは何か

最近、「立ち位置」という表現をよく使います。「これからは企業の立ち位置が問われる」「リーダーとしての立ち位置をつくる」「日本の立ち位置を強くする」など頻繁に使います。また、研修などの場でも「強かな立ち位置をどうつくるか?」と言ったテーマで良く議論を進めます。

そもそも立ち位置とは何か。「立ち位置」と言うと大体の人が頷きますが、その意味を聞くと結構答えに窮する人も多く、曖昧に捉えられているようです。「立ち位置」はコミュニケーションを考える上で非常に重要な意味を持ちます。立ち位置とは周りから「どうみられるか」です。例えば、

社会的動物である人間にとって周りから「役に立つか」「役に立たないか」どちらに見られるかは切実な問題です。どう見られるかによって仕事のみならず、人生そのものが大きく影響を受けます。「立ち位置」によって人間は生かされていると言っても過言ではありません。

立ち位置とコミュニケーションの関係を考える上で、一つの“小話“を紹介します。

New Yorkerだと自慢するスタッフがいました。生まれも、育ちもNew York、他のアメリカ人とは「違う!」と自負していました。そこで彼に「何が違うの」と質問すると、速攻で「発想が違う!」と答え、例え話を切り出してきました。

New Yorkはご存知のように摩天楼が聳え立つ大都会です。そこには多くの古い高層ビルが立ち並びます。そこで一人のNew Yorkersが古い高層ビルのロビーに入り、最上階に行くために直行便のエレベーターに乗ります。するとNew Yorkerの他に5人の同乗者が乗り込んできました。古いビルですから、エレベーターも遅く、これからどこの階にも止まらず、ゆっくりと時間をかけて最上階に向うことになります。「その時、New Yorkerは何を発想するのでしょうか?」これがスタッフが切り出してきた質問です。皆さんだったらどうしますか?

彼は自慢げにその回答を話し出しました。

「先ず、自分を含めた6人の中で一番弱く見られそうなのは誰かを見極める。」仮に自分が一番弱く見られると判断したら即行動にでます。「ああ!!」と大きな声を出して腕を大袈裟に持ち上げ、自分の時計を見る。そして一言「空手道場に遅れる!」New Yorkerはその後、無事に最上階まで行きます。

たわいの無い話ですが、立ち位置とコミュニケーションの関係性を説明するのに手軽な例えば話だと思います。

New Yorkerの立ち位置は彼が行動する前後で大きく変わりました。彼の行動は3つのプロセスからなっています。先ずは「受信」、そして「発想」、最後に「発信」です。どう見られるかで「受信」、何をメッセージとするかで「発想」、行動するで「発信」です。これはコミュニケーションのプロセスです。立ち位置をつくるのがコミュニケーションです。立ち位置によって人は生かされます。よってコミュニケーションは人を生かすために天からの授かり物と認識することが大事です。

2023年10月3日火曜日

コミュニケーション=「人間交際」?

 そもそもコミュニケーションの日本語はないのか?西洋から来た多くの言葉や概念を日本語化してきた福沢諭吉の“造語リスト”を見ると、「人間交際」という表現が出てきます。これがコミュニケーションという言葉の訳として一番近いのではないかと思います。

残念ながらこの表現は一般には普及しませんでした。福沢諭吉という近代日本を啓発した人物が何故、コミュニケーションをあえて「人間交際」と翻訳したのか、その意図と背景を考えてみました。


その背景の一つが当時の明治人の“悩み”にあった様です。江戸時代は国内での移動が厳しく制約される中で、人々が身分制度によって職業選択の自由が制限されていました。

ところが明治になると移動の自由が認められ、身分制度の廃止により、職業を自由に選択することができるようになります。

現代に生きる我々からすれば当たり前なことですが、当時の人々にとっては青天の霹靂です。

江戸時代においては新たな人と出会う機会は我々が想像する以上に少なく、昔からの“顔馴染み”の中で生活していた訳ですから、人との関係がかなり限定的でした。

ところが明治になると望む・望まないに拘らず、様々なバックグラウンドを持った人々との交流が生じ、人との関係性が複雑かつ流動的になります。人は就いた職業によって新たな関係を築いて行くことが求められるようになります。これが交際慣れしてない多くの人たちにとっては大きな悩みの種になります。当時の明治人の悩みを言い表した文章が夏目漱石の著作「草枕」の冒頭に書かれています。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

この「住みにくさ」とはある意味で近代社会がもたらしたものです。

 

福沢諭吉は「人間交際」が近代社会が成り立つ上で基本となるベースであるととらえます。

近代社会は市民一人ひとりが様々な知見や経験を持つ人々と自らの責任で関係をつくり、自らの生計をたて、社会を支えると福沢諭吉は考え各個人が「独立自尊」の立ち位置を持つことを大前提に置きます。

独立自尊とは「独り善がり」になるということではありません。「自尊」とは自分をリスペクト(respect)することですが、当然ながらそれは相手へのrespectを前提にします。両者にとっての独立自尊です。

 

福沢諭吉は日本で初めての社交クラブである交詢社を1880年に立ち上げます。今風の“クラブ”ではなく、財界人、政治家、文化人、ジャーナリストなど多くの人材が集う場で、交流を通じて様々な分野での創意を結集、発想の“Innovation”を仕掛けます。創発的ネットワーキングです。

 

この人間交際を意味あるものにするのがコミュニケーションの力です。

近代社会の本質とは個々人がコミュニケーションの力を駆使して人と組織、そして社会と繋がり、様々な“Innovation”を起こして行く世界であると福沢諭吉は発想したのではと想像します。

2023年9月25日月曜日

コミュニケーションは人を元気にする

 日々のコミュニケーションを疎かにせず、大事に意識していくと人は元気になります。

落ち込んでも回復することが容易になります。人間にとってコミュニケーションというのは単なる伝達手段だけではなく、元気を維持する一つの能力と考えることが大事です。

それには、コミュニケーションのカラクリを知ることが大切です。

コミュニケーションと言うと発信と考える人が多いのですが、コミュニケーションは全て「受信」から始まります。受信から「発想」、そして「発信」へと。このサイクル(受信→発想→発信)がコミュニケーションの基本プロセスです。これは人間の日常の基本動作です。意識しようがしまいが、此のプロセスを回しながら人は生きています。重要なのは此の一つひとつのプロセスをどれだけ意識するかです。

 

では、どう意識するか。先ずは、「受信→発想→発信」を「Inspiration → Imagination → Elaboration」とより能動的な英語表現に置き換えます。

 

例えば、受信=Inspirationには単なる受信を超えて、‟ひらめき”や‟共感”といった要素が含まれます。今まで気づかなかったことがわかる。見えなかったものが見える。感じなかった事が知覚できる。更には、そのことでワクワクしてくる。これらの要素を「受信」は持ってます。

ここで重要なのは、物事に関心を持つことです。日常的に我々は様々な事象や出来事に出逢います。

そこには驚きや想定外なことが多く起こります。それらの一つひとつのことに関心を持つことが受信力を上げInspirationを生み出します。今、目の前で起こっていることに大いなる関心を持つことです。

 

発想=Imagination は人間を人間たらしめているものです。人間はイメージの動物といっても過言ではありません。見えないものをイメージとして捉え、新たな意味づけを行うことができます。

Inspirationを契機に、それをより具体的に“絵“にしていく(構想する)のがImaginationです。人によって描く“絵“は様々です。動画もあれば、ポンチ絵もあります。

立体的でもあり、時空を超えている場合もあります。この抽象的な発想をより現実的な視座に落とし込んでいく過程がImaginationです。

Steve Jobsの名言である「Connecting the Dots」においてConnectするのがImaginationの役割です。Albert Einsteinも「Imagination is more important than Knowledge」と断言しています。

一見、異なるものをどう繋ぎ合わせイメージ化していくかが鍵です。

 

発信=ElaborationはImaginationによってイメージ化されたものを“表現”することです。Elaborationには「外に向けて入念に仕込む」と言う意味合いがあります。人間には「表現欲求」があります。イメージが一つの形に仕上がると、それを「表現したい」という欲求が生まれます。

外の相手に向けて入念に言語と非言語で表現をつくり、相手に伝わる工夫をすることが発信です。その時に気をつけなければならないのが、相手に「伝える」ではなく、相手に「伝わる」ということです。残念ながら人間社会は「伝えれば伝わる」という世界ではありません。「伝わるには、それ相応の努力と創意工夫が不可欠です。

 

受信→発想→発信のコミュニケーションの結果物が「表現」です。人間は表現する動物です。様々な表現を通じて日々の日常生活を生き抜いています。食や呼吸のサイクルと同じようにコミュニケーションとは人の生存を維持・確保するためのサイクルです。

このプロセスをより能動的に意識することによって、「感じて喜び、イメージして楽しみ、表現してワクワクする」ことができるのです。

コミュニケーションとは何か?

 「コミュニケーション」という言葉は実に頻繁に生活の中で使われています。

何か漠然として明確な答えが見つからない時は、概して「それはコミュニケーションの問題だ。」と言って片付けてしまう。お茶を濁してしまうことが多々あります。

便利な言葉ではありますが、かなりいい加減に使われています。このことは裏返せば、人間の悩みは、何らかの形でコミュニケーションの問題と絡んでいるということです。

40年以上にわたりコミュニケーションの世界で仕事をしてきました。様々なリーダーや組織と関わり、数多くのコミュニケーションの修羅場を潜る中で、最近、日々感ずることは人がコミュニケーションの本質をもっとしっかりとわきまえれば、より「人生の有り様が好転してくる」「効果的な解決法を見出すことができる」「不可能が可能になる」「悩みより喜びが増える」結果、「人生をもっと意味あるものにできる」ことを強く思います。

何故、これほど大事なものであるコミュニケーションのカラクリをも知らずに人生を日々過ごしているのか。実に「もったいない」と痛感しています。

所詮、人間の世界、コミュニケーション無しでは成り立ちません。

戦略コミュニケーション・ブログは2011年に立ち上げましたが、2019年2月4日以降更新せず、休眠状態でした。

このほど、再度、スタートする背景には、やはりこの「もったいない」という気持ち。そして1人でも多くの人にコミュニケーションの秘めたる力を知ってもらいたいと言う思いからです。コミュニケーションは人がこの世で「生き抜いていく」ために天が授けてくれた凄い力です。

2019年2月4日月曜日

ニュース 田中愼一が登壇したパネルディスカッション「ゲームチェンジの時代にリーダーはどうやって『信念』『ぶれない軸』を維持すべきか?~石橋義×田中利典×鎌田英治×田中愼一」のビデオが公開されました

11月25日に開催されたG1経営者会議2018に弊社の田中愼一が参加させていただきました。
是非ご確認ください。

パネリスト(肩書は2018年11月開催時当時)
石橋 義 株式会社JOLED 代表取締役社長
田中 利典 金峯山寺 長臈/種智院大学 客員教授
田中 愼一 フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社 代表取締役社長/グロービス経営大学院 教員

モデレーター
鎌田 英治 株式会社グロービス マネジング・ディレクター/知命社中代表

ゲームチェンジの時代にリーダーはどうやって「信念」「ぶれない軸」を維持すべきか?~石橋義×田中愼一×田中利典×鎌田英治

2018年8月6日月曜日

【メディア情報】田中愼一が登壇したパネルディスカッション「リーダーに必要な『心構え』『判断軸』『仕事観』」のビデオが公開されました

6月24日に開催されたG1新世代リーダー・サミット2018第4部全体会「G1-U40へのメッセージ」にて「人を動かすリーダーに必要なもの」に田中愼一が参加させていただきました。
第一線でご活躍されているリーダーの皆様とのコラボレーションを是非ご確認ください。
パネリスト
星野 佳路  星野リゾート 代表
森 まさこ  参議院議員
田中 愼一  フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社 代表取締役社長/グロービス経営大学院 教員
モデレーター
高岡 美緒  株式会社メディカルノート 取締役 事業開発・人事広報部門・コーポレート部門管掌 Arbor Ventures パートナー

リーダーに必要な「心構え」「判断軸」「仕事観」とは?~田中愼一×星野佳路×森まさこ×高岡美緒

2018年6月5日火曜日

人生100年の時代、どう「強かに」変身し続けるか ~戦略コミュニケーションの視座~

自分に毎日語り聞かせるストーリーを持つ
「ライフ・シフト」100年時代の人生戦略という本がある。少子高齢化の最先端を行く日本では話題になった本である。
これまでは多くの人々が「教育→仕事→引退」というシンプルな生き方がひとつの常識だったが、長寿化によってより“マルチ・ステージ”の中で人生のライフ・モデルを模索する時代になる。
仮に60歳で会社を引退しても、残りの40年をどう生きるかは高齢者だけの問題はない。人生100年の時代を生きる全ての世代に共通する課題である。そこではそのステージごとに「変身」を続け、「強かな立ち位置」を作っていくことが必要となる。

それは人生のストーリーを絶えず書き換え進化させることを意味する。
ストーリーは人に語るものではない。自分に毎日語り聞かせるものである。それが自分に元気と活力を与え、行動を喚起させるのである。行動こそ状況を動かす最大の表現である。自分が行動しない限り周りは動かない。
自分のストーリーを持つことによって行動という表現力を持つことが結果として、マルチ・ステージにおいて十分耐え得る立ち位置をつくる。禅の言葉である「融通無限自由自在、随所に主となれば立処皆真なり」という境地に近づく。

知識の過剰摂取は足かせになる。右脳を鍛える
最近、このライフ・シフトを実現させるための中高年向け研修が流行っていて、多くの企業がその導入に動いている。この風潮は「働き方改革」推進という枠の中でますます強まっていく。この手のものが今後たくさん出てくる。
しかしながら、多くの研修が知識習得型のものになっている。左脳偏重の内容になっている。絶えず、新たなステージで自分の立ち位置をつくるものは「知識」ではない。AIがどんどん広がっていく世界では知識は陳腐化する対象でしかない。

強かな立ち位置で変身し続ける
立ち位置をつくる時に最も求められるのが精神的エネルギーである。平たく言えば、“元気”を得ることである。知識をどんなに積み上げても“元気”は出てこない。逆に知識の過剰摂取は、感受性を弱体化させ、立ち位置をつくる上で最も重要な感覚する力=受信力を弱める。“元気”を減退させるのである。
人生の新たなステージ開拓にはそれ相応の精神的的エネルギーを必要とする。自分の“元気”をどうこれから確保していくかが勝負になる。ところが、人間は歳をとるに従い身体的能力が低下する。厄介なのは、身体の衰えは精神的エネルギーの供給にも影響する。
個人差はあるが一般的に60代の大台に乗ると精神的エネルギーの減退は加速する。ここをどう乗り越えるかがライフ・シフトにとって最大の壁である。42キロを走るフルマラソンではよく“心が折れる” ということが起きる。これは身体の限界が精神的エネルギーの供給をも止めてしまう現象である。ところが、70代、80代になっても旺盛さを失わないビジネス・リーダーは多い。これらのリーダー達に共通するものは、仕事や人生のステージごとに強かに変身し続けることを可能にする精神的エネルギーを十分確保していることである。

強かな精神性を支える「生」と「死」のハイブリッド・エンジンを持つ
何故、彼らは変身し続ける元気とエネルギーを確保しているのか。
ひとつ言えることは、「自分との対話」を常時欠かさないことである。経験を積む、特に成功体験を重ねてきた人が陥る最大のリスクがその世界観の固定化である。成功体験も一旦はご破算にしないと様々な事象を凝り固まった経験のフレームワークの中にはめ込もうとする。これに傲慢さが加われば今起こっている事象の本質を全く取り違えてしまう。
「強かさ」に変身を遂げているリーダーは、“自分の心をゼロにする”何らかの“儀式”を使って自分との対話を毎日工夫している。
ふたつ目は、その強かな精神性を支えるため「生」と「死」という2つのエンジンを稼働させパワーを得るということである。
人間は生まれてから中年層までは「生」というエンジンからのパワーで躍動する。ところが中年以降になると、自ずと「生」のエンジン・パワーは低下して行く。鍵はその低下した分をどこから補うかである。自分との対話の中で「死」と向き合い“覚悟する”。これが精神的エネルギーを補給する。所謂、ハイブリッド・エンジンである。
「死」をもレバレッジする「強かさ」である。日本にはこの伝統がある。武士道の要諦を説いた「葉隠」の“武士道と云うは死ぬ事と見つけたり”という有名な一節がある。“死を見つめて、今を必死に生きる”この発想が中高年に求められてくる。

2018年2月13日火曜日

【メディア情報】 田中愼一が登壇したパネルディスカッション「人を動かすリーダーに必要なもの」のビデオが公開されました

昨年11月3日に開催されたG1経営者会議の第3部分科会Dにて「人を動かすリーダーに必要なもの」に田中愼一が参加しました。
複雑化が加速し、不確実性が高まる現代において、リーダーに必要不可欠なものとは何か。下記より是非ご覧ください。

モデレーター
漆 紫穂子学校法人品川女子学院 理事長 中等部校長

日色 保 ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社 代表取締役社長
松山 大耕 臨済宗 大本山妙心寺 退蔵院 副住職
田中 愼一 フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社 代表取締役社長

人を動かすリーダーに必要なもの~日色保×松山大耕×漆紫穂子×田中愼一

2017年12月5日火曜日

コミュニケーションを極めて行くと「強かさ」の本質が見えてくる:戦略コミュニケーションの視座から考える

コミュニケーションを極めて行くと「強かさ」に行き着く。戦略コミュニケーションの発想とは「強かに」生きるための発想である。人間は基本的に3つのことしかできない。「感じる」、「発想する」、「身体を動かす」。“言葉を語る”のも行動である。その行動の一つひとつが周りを動かし、世の中に影響する。結果、自分の人生も動いていく。
戦略コミュニケーションの発想では、この人間の3つの働きを「受信・戦略・発信」と言い換える。つまり、人間活動とはコミュニケーションそのものとなる。そして、コミュニケーションの巧拙が人間活動の「強かさ」を左右する。コミュニケーションは神様が人間に授けた強かに生き抜くための生存力と言っても過言ではない。しかも、コミュニケーションを強かさのパワーとして発揮するための潜在的資質は誰もが持っている。要はそれらをどう覚醒させていくかが勝負である。

ところが、世の中を見ると、強かに生きている人もいれば、そうでない人など千差万別である。この差はどこから来るのか? それは、ズバリ「受信」のところで勝負が決する。つまり、何を感覚するかで、何を発想するかが出てくる。何を発想するかでどう行動するかが決まる。重要なのは眼の前で起こっている事象・事態をどう感覚するか、そこで独自の世界観を持てるかどうかが出発点となる。それによって独自の発想が生まれ、最終的には行動としての「強かさ」を紡ぎ出す。自分の感覚を磨き鍛えることが人生を面白くする。

そこで、強かな“感覚”をどう鍛えるかについてひとつの工夫を紹介したい。

心を“ゼロ”にする
コミュニケーションの要諦は相手を知ることである。完全に相手の身になって発想することができれば相手を動かすことは容易になる。
ところが相手を知ることを一番邪魔する最大の敵は自分である。
自分の好き嫌い、偏見、思い込み、利害などの“煩悩”が邪魔して、相手を知ることを阻む。実績をあげて成功すればするほど自分の我儘度合に拍車がかり相手を素直に受け入れられなくなる。自分の“心”ほど自由にならないものはない。
思い込みは、ある意味ブレないリーダーに取っては重要な資質でもあるが、一方で相手を知る上での障壁ともなる。ここをどうバランスをとるかが肝要になる。そのために自分の心をマネージすることが大切になってくる。相手との対話の前に先ずは自分との対話が重要になる。
それには心を“ゼロ”にする工夫を考えることである。すると相手が見えてくる。「見える」というより「観える」。相手の背後にある見えない風景が鮮やかに観えてくる。そもそも“空気を読む”とは見えないものを見抜くことである。相手がどのような視点や発想をもっているのか。どのような世界観を抱いているのか。どのような相手から影響されているのか。どのような課題を抱え込んでいるのか。それにどう対応しようとしているのか。などなどがジワジワと見えてくる。

概して、優れたリーダーは自分との対話のために必ず何らかの“儀式”を持っている。独自の儀式によって心を“ゼロ”にする工夫をしている。
石川播磨重工、東芝を再生、経団連会長になった“メザシの土光さん”の異名を持つ土光敏夫氏などは早朝お経を唱え、メザシの朝食を摂る。
これが土光流の儀式である。早朝ランニング、呼吸法、ストレッチ、茶道など身体を動かす儀式などは良く聞く話である。
ある業界大手のトップは「スケジュールを書かない手帳」をひとつの儀式にしている。手帳に気づいたこと、新たな発想や経験、感動したことなどを毎日こまめに書き綴って行く。1年経つと新たな手帳を購入、今度は古い手帳の1年前の日付の内容を新しい手帳に書き移す。もちろん、取捨選択をしながら書き移し、新たな発想や考えは書き加える。これは1年前の自分との対話である。

もうひとつ面白い例を挙げる。2005年、俗に言う「郵政選挙」に財務省を辞めて立候補するも落選、2009年の政権交代選挙に当選するまでの4年間地元行脚をした政治家の話である。先輩議員から「お前は人を見定めるきらいがある」と忠告される。財務省での仕事柄、人と会うと自動的に相手を見定めてしまう。これが非言語で相手に伝わり印象を悪くする。そこで考え出したのが「ラブラブ光線」である。
応援者の方々に挨拶行脚する際にこのラブラブ光線を放射するのである。相手がドアを開けた瞬間に放射する。どんな人が出てこようが「I LOVE YOU」と心に言い聞かせ放射する。これはなかなかの難業である。しかし、彼は6ヶ月でこの「ラブラブ光線」を完成させる。
心の底から思い込むと不思議なもので非言語を通じて相手に伝わる。人間は初めの10秒で初対面の相手の印象を決めてしまう。最初の10秒で相手に好印象を残すことが重要である。

「世界は我々が見ているものであるが、しかし同時に“我々は世界の見方を学ばなければならない”」
「ヘーゲル以降」を生きる哲学者として異名をもつM.メルロ・ポンティの言葉である。
欧米化、グローバリゼーションの風潮の中で、世界に勝つための方法論だけでなく、世界観までも借り物になっている日本のリーダーが目立つ。一見、聞こえの良い世界観を唱えるが、中身はグローバルから借りてきた横文字の言葉で羅列されているだけである。
方法論は客観的に判断、取捨選択をすれば良いが、それらを使い何を実現するのか、それによって何が変わるのかという自分の世界観は借り物ではダメである。強かさの本質は先ずは自分の目の前で起こっていることをどう見るかである。そこが借り物では全てが崩れる。感覚を磨く。事態を直覚する。知識の呪縛を排除する。自分の心をゼロにする。ここに強かさを発揮する真理がある。

2017年10月31日火曜日

「強かな」立ち位置とは何か? 戦略コミュニケーションの視座から考える

グローバリゼーションという異種格闘技戦が国内外で本格化する中でリーダーも企業も「強かな」立ち位置をつくることが生き抜くための鍵を握る。そこで重要なことは強かな立ち位置をつくれるだけのしっかりとした“根っ子”があるかどうかである。根っ子のない立ち位置などはこのグローバル化という旋風に晒されれば、どんなに規模が大きく、有名で実績があったとしても「あっ」という間に吹き飛ばされてしまう。
“根っ子”とは、そのリーダーや企業が持っている独特な感覚・発想・表現である。強かな立ち位置を持っているリーダーや企業には、必ずこの独自な“根っ子”がある。
戦略コミュニケーションの視座から言い換えると受信・戦略・発信である。所詮、人間も企業もその生存活動を煎じ詰めれば、この3つの機能に絞り込める。
先ず、どう今の世界を感覚(受信)するか、それに対してどう発想(戦略)するか、その発想したことを実現するためにどう表現(発信)するか。この3つの機能を独自性を活かしどのように設計し、そのプロセスを確実に仕切るかがリーダーにとっても、企業にとっても強かな立ち位置をつくるための必要不可欠な“資質”である。

日本のリーダーや企業はこれから国内外でその立ち位置の「強かさ」がますます問われてくる。その“根っ子”は借り物では用をなさない。日本特有の価値観の中で培ってきた独自の“持ち味”から「感覚する」「発想する」「表現する」ことがどうしても必要になってくる。日本のリーダーや企業が世界に伍して行くには、その“持ち味”を遺憾なく発揮できるところで勝負するしかない。

そもそも「強かさ」(したたかさ)とは何か?同じ漢字でも「強さ」(つよさ)とはそのニュアンスが違う。英語には「強かさ」に匹敵する表現が見つからない。StrongやPowerful ではどうもしっくりこない。これらの用語はその力の行使が直接的、直線型であるのに対して「強かさ」はより間接的、曲線型であるイメージを持つ。
あえて言えばResilience(弾力性がある)とFlexible(柔軟性がある)の要素を加えると近似的になる。「強かさ」には狡賢い、正直でなない、一筋縄ではいかないなどのネガティブな要素とプロセスはどうであれやり遂げる、めげない、てごわい、最後は勝つといった積極的な側面があり、これらの要素が渾然一体となっている。
「強かさ」とは欧米流の考え方では完全には捉えにくいニュアンスを持っているのかもしれない。何れにせよ、「強かさ」の本質をしっかりとおさえ、自らの“根っ子”の部分を見極めることである。強かに感覚するとは何か、強かに発想するとは何か、強かに表現するとは何か。
絶えず自問自答する。その中から「強かさ」を体得する道筋が見えてくる。

「強かさ」と問われると、何時も思い出す語句がある。
禅の言葉である。
それは「融通無碍自由自在、随所に主となれば立処皆真なり」である。
どんな場合でも、どんな状況でも、どんな時でも、誰に対しても、何事にもとらわれず柔軟に主導性を発揮するという意味である。
仏教に影響を与えた紀元前4世紀の中国の古典「老子」がある。その中でこの禅の言葉の本質を「究極の強かさの象徴は“水”なり」と表現している。
老子は水の「強かさ」を3つの特徴でまとめる。
① 水はどんな容器にも自らの形を合わせる。究極のフレキシビリテーを発揮する。
② 水はいざという時は大きな岩をも削り取る力を創出する。
③ 水は周りにとって無くてはならない存在であるのに自己主張はしない、威張らない。
ある意味で、そこには東洋的な視座からの「強かさ」の本質が示されている。
誰に対しても、どのタイミングでも、どの環境でも融通無碍自由自在に期待に応える。
しかし、周りの言いなりになっている訳ではない。いざという時には大きなインパクトを与える力を発揮する。
結果として、「無くてはならない存在」になる。でも自分は偉いぞと主張せず威張らない。

今後、企業のグローバル生存を賭けた立ち位置の戦いが始まる。日本のビジネスリーダーや企業は日本人特有の感度、感覚、発想をベースにその立ち位置を作り込むことが求められてくる。欧米流とは違った独自の強かさを発揮できる立ち位置で勝負することが至上命題になる。

2017年8月27日日曜日

グローバリゼーションの本質は“想定外”、“掟破り”、“場外乱闘”

有事365日の時代のビジネス戦争に勝つためにはコミュニケーションを経営戦力とする発想が求められる

“グローバリゼーション”という世界規模のビジネス大戦争が始まっている。2020年は日本企業がグローバリゼーションの戦いに本格参戦する象徴の年という認識が定着しつつある。従来の中期計画の枠を越えてプラン2020を持つ企業が増えているのもそれが背景にある。2020年はオリンピック以上に日本のビジネスにとって意味深い年となる。それまでにどれだけ、グローバル大競争への備えを準備できるかがポスト2020年の日本企業のグローバリゼーションの命運を握る。

その波動の中で多くの日本企業が従来のビジネスモデルでは戦えないという自覚が出てきている。
従来の事業モデルが生み出すバリューで本当に世界で戦えるのか? 国内外を問わず今の社内意識で世界と互角に伍せるのか?
築き上げてきたブランドのままで新たな顧客層を取り込めるのか?持続可能な社会に対する地球規模での関心が高まる中で従来のCSR活動のあり方はどう変えればいいのか?グローバリゼーションが本格化する中でグローバル企業としての立ち位置をどうつくっていくのか?
これらの課題を解決する処方箋を2020年までには目処を立てることが日本企業に求められている。

一方、企業間“競争”の次元も変わってきた。“場外乱闘”という事態が始まっている。従来のように「市場」というリングの上で、廉価で良質の商品・サービスを提供、マーケットシェアを高めるだけでは市場で勝てない事態になっている。市場というリングの外で競争相手を引きずり落とす掟破りなやり方が横行している。企業間同士の訴訟戦争がグローバル規模で拡大する。当局や世論を動かして競争相手を不利な競争条件下に置く。投資家や株主を囲い込み、敵対的M&Aや委任状争奪戦を仕掛ける。
既存のビジネス市場に無料でサービスを提供、圧倒的シェアを確保、別のビジネスで稼ぐ。社会主義国がグローバル化の主戦場になる中で企業間競争の中に国が乱入してくる。戦略的に競争相手の営業秘密や人材を盗む。
正にビジネスにおける戦い方のパラダイムシフトが起こっている。
多くの日本企業はこの掟破りな攻撃に対して戸惑う。何故なら、この状況を仕切る、あるいは逆に仕掛けるアドバイザーやコンサルタントが日本では圧倒的に欠如しているからである。従来のような正攻法的なビジネス競争を前提としているコンサルティングでは太刀打ちできない状況になっている。

加えて、経営を取り巻く環境が「鬼は外、福は内」から「鬼は外、鬼は内」へと変貌している。鬼は社外だけでなく、社内にも潜んでいる。終身雇用の終焉、多様なキャリア志向への傾向などが社員の帰属意識を希薄化している。
良し悪しはともかく内部告発は日常化している。グローバル展開が進むに従い社員の日本人比率が急低下、組織全体の求心力が弱まってくる。逆に、日本人社員の意識がグローバル化を進める上で最大の障壁となる。グローバル戦略の一環で海外の企業を買うもカルチャーの軋轢、現地経営陣との対立などで失敗する。社内に話したことが社外にダダ漏れでレピュテーション毀損が起こる。購入していた部品が突然リコールでクライシスに引きずり込まれるなどサプライチェーンがやばい。
正に“内輪の世界”の激変が起こっている。経営において長年培ってきた社員やサプライヤーとの信頼関係はもはや十分条件ではない。また、「社内のことは社内が一番知っている、社内のことは社内でやる」という自前主義が企業を崩壊させる時代になってきている。この発想の転換は否が応でもでも日本経営は迫られてくる。

グローバリゼーションを機にビジネスの世界は有事365日の時代に入った。24時間大小様々なクライシスが起こっている。それらを事前に察知しながら手を打っていく、未然に摘み取っていく有事対応への意識と体制が必要となる。製造業で戦後最大の破産の元凶となったタカタのエアバッグリコール問題は米国で公聴会が開かれるなど2014年に公に騒がられるようになったが、2000年代の初めにはすでに問題の兆候があり、そこで手を打っていれば今回のような事態を回避できた可能性はある。最早、企業は平時の経営から有事の経営に意識を切り替えることがグローバリゼーションの大競争時代を生き抜くための必須条件になってきている。

この有事経営の最大の武器がコミュニケーションである。コミュニケーションを有事対応の“盾”とする。コミュニケーションを戦略実行の“矛”とする発想を持つことが必須である。コミュニケーションを“力”として認識する。そもそも、コミュニケーションとは神様が人間に与えた生き抜くための力である。企業も意識するかしないかにかかわらず、その力の恩恵にあずかっている。ただ、それを力と意識して使うことがコミュニケーションを経営戦力にする。コミュニケーションの経営戦力化なくしては日本企業のグローバリゼーションは覚束ない。

2017年2月14日火曜日

戦略コミュニケーションの発想から見るリーダーシップ論とは

リーダーシップの本質は意識との戦いだ。それを発揮するには“武器”が必要だ

武蔵と小次郎、巌流島の戦い。上段の構えから木刀を振り下ろす武蔵、それを八相の構えで長刀で迎え撃つ小次郎。

これが自分がリーダーシップ研修をする際の表紙の図柄である。
グローバル化が急速に“侵攻”する中でリーダーシップを求める声がビジネスの世界で再び連呼され始めている。リーダーシップについての議論は今に始まったことではない。この20年、百家争鳴、様々なリーダー論が世の中を賑わした。しかしながら、どうも腹落ちするものが少なく、消化不良気味なものが多い、「べき論」はあるが「実践論」が弱い感が否めない。
この20年、リーダーシップ研修をトップから中堅、若手まで様々な業界で幅広く実施してきた。その中で戦略コミュニケーション®の発想から見たリーダーシップ論はかなりイケると実感している。
武蔵と小次郎の対決をリーダーシップ研修の冒頭に出す意図は、リーダーシップの本質は意識との戦いだ。それを発揮するには“武器”が必要だ。敵をしっかりと倒す手法が不可欠だ。その武器を磨く日々の修練が大事だという視座を知ってもらうためである。
更には、リーダーシップの武器論というよりも“武器”そのものをどう作っていくかに議論のフォーカスを当てることを狙いとしている。

リーダーには人の意識を変え、それを動かす力学が必要だ

そもそもリーダーシップとは何かと聞くと、ビジョン・志・思いなどを持っているという要素説。人間的魅力、尊敬される、公正・公平に思われるなどの性善説。導く、引っ張るなどの君子説などが多く出てくる。試しに、トランプ米国大統領はリーダーかと尋ねると「リーダーではない煽動者」という答えが案外に多い。煽動者と先導者をはっきりと分ける思考である。Leadership vs Dictatorshipである。
リーダーか煽動者かどうか、その定義論はともかくとして、実践的なリーダーシップ論を展開するのであれば、リーダーの使命は「事を起こす」ことであると認識した方が有効である。その起こした事をどう評価するかは別次元の話である。
人の世である限り、自分以外の人間を動かさない限り何事も起こらないのが世の常である。リーダーシップとは人を動かしてナンボの世界なのである。
人を動かす際に立ちはだかる最大の敵は相手の意識である。人の意識の壁を粉砕する武器がコミュニケーションである。
人を動かす方法は他にもある。相手に有無を言わせず動かす“武力”。人間の物欲に訴える財力も然り。法的、組織的なルールなどを決め事として強制する権力は日常的に行使されている。しかしながら、これらの力はそれを行使する際に“反作用”を生み出すという難がある。武力を使えばやり返される。財力は金の切れ目が縁の切れ目。権力は不満や嫉みを買う。この反作用が厄介なのである。
コミュニケーションの力は基本相手の意識に働きかけ納得・共感を得て動いてもらう。よって反作用が少なく、コストパフォーマンスが高い。有史以来、人間が人を動かすために最も使ってきた力なのである。

戦略コミュニケーション®という発想をもつ。人を動かす最強の武器になる

コミュニケーションを理解し合う、意思疎通をはかる、思いを伝える、相手の思いをわかるなど事象面での認識は意味がない。
「人を動かす力」であると意識することが肝要である。1人では生きていけないのが社会動物“人間”の性である。自分以外の人間に動いてもらわないと生きていけない。コミュニケーションとは神様が人に与えた生き抜くための力である。
日頃から空気のような存在であるため、コミュニケーションを力学として意識する事に慣れていない。折角与えられた力を十二分に発揮できないのである。これは非常にもったいない話である。コミュニケーションを力だと意識するだけでリーダーにとって最強の武器を手に入れることができる。
戦略コミュニケーション®とは造語である。戦略とコミュニケーションは表裏一体であるとする発想である。どんなに戦略が良くても、それを実現するために様々なステークホルダーが動いてくれないと実現しない。人を動かすコミュニケーション戦略がなければどんなに立派な戦略も絵に描いた餅である。コミュニケーション無くして戦略無しである。戦略もコミュニケーションもコインの裏表である。これからの戦略づくりは戦略ができてから、コミュニケーションをするのでは変化のスピードに遅れる。動かすステークホルダーの視点を予め抑えながらコミュニケーションの視座から戦略を作り込む時代へと大きく変わる。
個人の世界も同じである。自分の思いや夢を実現させ、人生を生き抜くために自分のコミュニケーション力学を磨きあげることが不可欠である。
戦略のコミュニケーションを持つ。企業も個人も人を動かす最強の武器を手にすることが求められてきている。

2016年12月2日金曜日

戦略コミュニケーションの奥義、“自分との対話を制する”(後編)


夏目漱石の「草枕」の冒頭の文章が示唆に富む
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
智に働く、情に棹さす、意地を通す、すべて自分である。ここを抑えれば、とかくに人の世は住み易くなるのである。

リーダーは“儀式”で心の呪縛を粉砕する
人間は思い込みの動物である。思い込みがないと人生生きていけない。重要なのは“適切な”思い込みを持つことである。
仏教では思い込みを妄想×煩悩と言う。何を妄想×煩悩するかによって心の呪縛が生まれることを説く。よって妄想や煩悩をコントロールすることで心の呪縛を解くことができる道理である。自分との対話力を培い妄想×煩悩を飼いならすことが仏教の考え方である。ただ、妄想×煩悩とは猛獣のようなもので、下手するとこちらが喰われてしまう。如何に飼いならすかは至難の技と考えた方が良い。
甘く見ないことである。多くのリーダー達が自分の中にある“猛獣”を躾けるため必死に創意工夫を凝らし“自分との対話”を実践している。いわゆる“儀式”を持っている。自分との対話の“ルーティーン”である。
その内容は様々である。ジョギングをする、ジムで筋トレをやる、夜中に密かにヨガに入る、早朝にお経を唱える、茶道を嗜むなど多様である。ある70代半ばのビジネスリーダーに言われたことがある。50代では1日1時間、60代では2時間、70代では3時間、自分との対話の儀式に時間を使へと。本人は早朝5時に起床、10キロ近く走り、そのあと呼吸法を実践している。車の運転もそのルーティーンの1つでトータル1日3時間はこなしている。
成功体験の年輪を重ねると傲慢になってくるのは人の性のようだ。自分との対話を通じて、この傲慢さと向き合い自らを律することが成功を重ねるとリーダーにはますます必要になってくる。
石川島播磨重工や東芝を再生させ、政界、財界にも睨みを効かせた土光敏夫元経団連会長などは“メザシの土光さん”と愛称がつくほど生活が質素であっただけでなく、毎朝4時に起床、長時間お経を唱えることを日課としていた。これなどは、まさに自分と向き合うためのルーティーンである。

元寇の乱で元軍に勝利した北条時宗が師と仰いだ無学祖元という禅僧が時宗に禅を説いた。
「坐禅堂で型の如く坐禅をするだけが坐禅ではない。いつ、どこでも、自己の身体と口と意(こころ)を整頓することが坐禅である。」
そして、5か条の自己整頓の心得を伝える。
① 外の物ごとに心を奪われず、泰然として自己の信ずる道を守って動くな。
② 外の物ごと貪着(むさぼりこだわる)するな。一方に貪着すると、必ず他の一方の注意を欠く。油断や恐怖はこんなときに起こる。
③ 自己の才知を頼んで、あれこれ策を樹てるな。常時も非常時も平然として、その心を一にしておれば、どんな異変に遭遇しても、霊妙なる作略が生まれるものだ。
④ 心の見る物量を拡大せよ。心の視界が狭小だと、胆量もまた自然に小量になるから、心で思うことを拡大せよ。
⑤ 勇気を持て。勇猛の心意気はよく白刃をも踏む。反対に柔懦(いくじのない)の身体では、窓の隙間風にも耐えられまい。故に常に心身を鍛えよ。
日々の自分との対話のガイドラインとして多くの示唆を与えてくれる。

2016年11月28日月曜日

戦略コミュニケーションの奥義、“自分との対話を制する”(前編)

自分との対話に勝って自分を動かす
コミュニケーションは人を動かす力である。
ところが、最も動かすことが難しい相手は自分である。
自分ほど思い通りにならないものはない。
人生、日々自分との葛藤とも言える。この葛藤をどう乗り切るか、自分との対話をどう制するかが、実はコミュニケーション力を飛躍させる鍵を握る。
コミュニケーションと言うと相手との対話を先に思い浮かべるが、先ずは自分との対話である。結果、自分を動かす、相手も動く。これが戦略コミュニケーションの基本発想である。
自分との対話が十分できていない人は自分も動かせなければ相手も動かすことができない。
日頃から“自問自答”の癖を身につけ自分との対話力を鍛えることがコミュニケーションのチカラを次のレベルに飛躍させる。

自分の思い込みが「相手を知る」ことを拒む
コミュニケーションはすべて“相手を知る”ところから始まる。相手を知らないと間違ったメッセージを伝えてしまう。逆に相手を十分知っていれば的確なメッセージを打ち込むことができ、相手との対話をリードできる。ところが、厄介なことに、相手を知る上で最大の敵が“自分の思い込み”なのである。
“相手を知る”とは、相手の“受け皿”を知ることである。こちらが話したことがどのように受け取られるかは相手の受け皿次第である。
こちらが発信したと思っているメッセージはメッセージではない。単なる情報発信である。その情報が相手の受け皿に届いた瞬間にメッセージになる。相手の受け皿次第で伝わるメッセージが変わる。
Aと言ってもBやCなどと伝わってしまう。受け皿を把握していないと相手に何が伝わるかわからない。結果、間違ったメッセージが伝わり、想定外の相手の反応を招き、対話の主導権を奪われる。
そこで相手の受け皿とは何かと考えると、相手の物事への認識とそこから生まれる感情の起伏である。ここを先ずおさえないと相手に何を発信していいのかわからない。
ところが、逆に自分の物事への思い込みとそこから生まれる感情の起伏が相手を知ることを邪魔する。相手を“素直に”受け入れられない。相手の言っていることを勝手に解釈する。嫌いなタイプの人は色眼鏡で見る。また逆に好きなタイプだと過剰評価する。怒りで興奮している時は相手の言うことがいちいち突っかかってくる。突き詰めると実はその原因は自分にあることが多い。
自分との対話とは、先ず、この凝り固まった“自分”を一旦、「無」にする作業とも言える。相手の受け皿を受け入れる度量を自分の中に仕掛けることである。自分の思い込みや感情に呪縛されない力を身につけることである。まさに自分との日々の対話がこの度量と力を育てる。

心の動きが自分の働きを呪縛する
日常は自問自答の日々である。一念発起、早朝5時に起床と決めても実際に目覚ましが鳴ると起きるか起きないかの葛藤が始まる。「あと30分、いや1時間寝よう。いやいや、ここは起きなければ」あたかも自分の中にもう一人の自分がいて、起きるか起きないかの自問自答を展開する。
自分の心ほど自由にならないものはない。厄介なのは心の自由気ままな動きが自分の働きを呪縛する。落ち込んでいると仕事で本来持っている力の発揮が削がれる。動揺しているとプレゼンテーションが上手くいかない。怒りや嫌悪感が商談や交渉をダメにする。意地を張ると人間関係を悪くする。

心の呪縛とは、
① 心が奪われる。
② 心が執着する。
③ 心が動揺する。
④ 心が狭くなる。
⑤ 心が萎える。
である。
心の呪縛から自分の“働き”を守るには自分との対話力を鍛えるしかない。
言い方を変えると、自分の心の動きをコントロールすることである。ところが自分のものであっても自由にならないのが心である。目の前の事象によって心は一喜一憂、絶えず揺れ動く。憂いたり、怒ったり、悲しんだり、喜んだり、驚いたり、その定るところを知らない。この心の呪縛が相手を知ることを妨げるだけでなく、こちらの“働き”にも影響し、相手との柔軟な対話を損なう。

2016年8月22日月曜日

無党派層が動く、小池陣営有利な事態に(後編)

後半戦に入って小池陣営には2つの懸念事項があった。
1つは無党派層が小池支持に動くかどうか。党組織のサポートは無い。組織戦では勝てない。この弱点を無党派層の支持を取り付け封じ込めるしかない。
幸いに舛添問題の過熱報道によって既に都知事選に関する世間的な関心はかなり高い。選挙期間中もそれを引きずる。更には桜井パパへの注目、小池百合子の立候補、自民党分裂の状況、小池・増田・鳥越の三つ巴の形勢など世間の関心を引く素材に事欠かない。
結果、無党派層が動く。投票率も上がる。小池陣営有利な事態になる。


最大の懸念、野党候補は誰?

ところが小池陣営が勝つ上でもう1つ懸念項目あった。
前半戦で築いた「初の女性都知事」vs「自民・自民党都連」の選択の構図を後半戦も維持できるかどうか。
自民党都連が既に「悪役」としてレッテルを貼られている中ではこの構図は小池候補にとって優位な立ち位置を担保してくれる。無党派層は既に動いている。知名度低く組織戦依存の増田候補は怖くはない。
この段階での最大の不確定要素は後半戦に入っても野党側の候補の顔が見えないことである。この意味では野党の究極の後出しジャンケンは功を奏している。
選挙後半戦は空中戦が死命する状況にある。増田陣営は元タレント議員を動員、認知度アップを謀るが知名度の差はどうしようもない。
ところが、仮にここで空中戦に強い知名度のある野党候補が出ると状況は一変する。せっかく築いた選択の構図を壊されかねない。


小池百合子に女神が微笑む。致命的に“ズレ”た野党候補

最後の最後で野党側はジャーナリスト鳥越俊太郎を候補として打ち出してきた。
知名度ということでは小池百合子に引けを取らない。出身もジャーナリストで小池候補と同類である。

この段階での鳥越候補のマイナス要素を敢えて挙げれば
① 前半・後半戦を通じて「後出しジャンケン」に対する批判報道がかなりなされていた。
② 鳥越候補の76歳という歳の問題である。2020年のオリンピック・パラリンピックでは80歳の大台に乗る。大丈夫かという印象を与える。
③ 鳥越候補に一本化する過程で野党側がかなりごたついた印象を残す。

しかしながら、この段階では小池vs鳥越は互角と言っていい。
鳥越陣営の最大の失敗は鳥越候補の最初の「一声」にある。その内容は致命的に“ズレ”ていた。
立候補する理由を聞かれ、開口一番「参院選で自民党が勝ったから」「このままでは日本は危ない」など連呼、掲げた政策も「安保法制反対」「脱原発」「非核」といった内容で参院選の延長線上での「発信」である。
都民感覚からすれば“ズレ”ている。正に「江戸の敵を長崎で討つ」である。しかも「脱原発」は都知事選ではメッセージとして“効かない”ことは既に前回の都知事選で細川護煕候補が実証済み。
その後、鳥越候補のメッセージ発信は“都政”よりに修正されるがもう遅い。選挙では「終わりよければ全て良し」ではない。「始めコケれば全て無し」が鉄則である。
選挙の要諦は有権者に候補者にとって有利な争点を早く思い込ませることである、アジェンダ設定をすることである。第一声は選挙コミュニケーションにおける戦略上の要である。


石原慎太郎元都知事の発言を応援歌にする小池流発信の“強かさ”

一方、後半戦では小池候補の発信の“強かさ”が目立った。先ずは全体的に「失言」が少ない。
唯一の失言は鳥越候補に対する「病み上がり」発言。また戦略コミュニケーションの技術論から見ると“ブリッジング”が身についている。
ブリッジング(bridging)とは相手の質問を利用してこちらのメッセージを発信する技である。人は質問を受けるとそれに答えようとして、知らぬ間に相手の術中にはまりボロボロにされる。
ブリッジングとは“つなぐ”という意味。質問を受けたら、答える前に自分のメッセージに“つなぐ”、そして答える。質問に答える前にワンステップ置く。そこで自分のメッセージを確認する。このワンステップを意識するだけで発信力は飛躍的に高まる。
もともとは質問を武器に相手から話を聞き出そうとするジャーナリストに対抗する上で考えられた手法である。
この手法は頭で分かっていてもなかなかできない。実践の中で培うしかない技である。小池候補の場合、ブリッジングがある程度身についており、他の候補やキャスター、記者などからの質問にあまり惑わされない。
相手の発言を利用する面でも強かな片鱗を見せる。石原元都知事が自民党都連に応援に駆けつけ「大年増の厚化粧」と小池百合子を揶揄する。小池候補はこの石原発言を街頭演説でのネタにする。
批判するのではなく、ユーモアを持って「厚化粧です」と認めた上で、透かさず男性上位の自民党都連の体質を攻める。「いつの間にか男同士の密室で会議が行 われて、結論が出されて、日本が正しい方向に行っていたでしょうか?おっさんの論理でこれからも日本が突き進むのでありますか?日本はおっさんの論理で ずっとやっていけば、必ず他の国にもどんどん追い越される」と。


小池百合子流「勝利の方程式」、"エアーポケット"を見つけよ!

下降気流のため飛行機が急に下降する空域をエアーポケットという。
選挙にもエアーポケットがある。そこに上手くはまると逆に上昇気流にのることができる。ところが、選挙のエアーポケット現象はいつも出現するとは限らない。幾つかの条件を満たすことが必要である。

経験上、最低でも4つの要素が整うことが重要である。
① 先ずは有権者から見て二者択一の互角の選択構図が出来ているかどうか。今回の都知事選の場合は、民進、共産を中心とした野党共闘が実現、一様に与党(自民党・公明)vs野党(民進・共産)の二者択一の構図が出来る。どちらかの選択肢しかないと一旦有権者は思い込む。
② そこで次に重要なのは、そのどちらの選択枝も“パッとしない”ことである。増田候補は自民党都連の全面サポートのもと今までの都政の延長線上と見られ る。都政の革新には程遠い。鳥越候補は都政を国政の延長線上で考える姿勢に多くの人が違和感を持つ。都政の革新どころか混迷かと疑われる。選ぶ方からは “どっちもどっち”という状況である。
③ 後はそこに強烈な個性と発信力を持った第三の候補の出現である。小池候補がまさにこのポストを仕留める。自民党とは程よい距離感を保ちながら独立自 尊、弁が立ち大臣経験者、さらにはメルケル、クリントン、メイなど女性政治家が世界を賑わせている中で、日本でも女性都知事かという雰囲気の中で、従来の 延長線上にない第三の候補者として浮かび上がってくる。
④ 最後に、前提条件ともいえるが、空中戦が選挙の死命を制する状況にあること。空中戦無くしてエアーポケット現象は起こらない。二者択一の選択肢に辟易 しているところに第三の道があるという思い込みを有権者の中に早く広く生じさせる戦略兵器はテレビなどのマスコミやネットによる空中戦である。
ここでは組織戦は無力である。この意味で「先出しジャンケン」で選挙前半において空中戦を主戦場に設定した小池陣営の動きは当たっていた。もともと「後出 しジャンケン」も同じメカニズムで有権者が辟易したところに新たな第三の候補者を最後に出す方式であるが、その際に重要なのは候補者の選定である。しっか りとこのエアーポケット現象で浮揚できる素質を持った候補者を選ぶことである。

今回の都知事選は小池百合子候補者が戦略的か偶然かはわからないが、結果としてこのエアーポケットに上手く“どんぴしゃり”と便乗出来たことでが大きな勝因である。