グローバリゼーションという異種格闘技戦が国内外で本格化する中でリーダーも企業も「強かな」立ち位置をつくることが生き抜くための鍵を握る。そこで重要なことは強かな立ち位置をつくれるだけのしっかりとした“根っ子”があるかどうかである。根っ子のない立ち位置などはこのグローバル化という旋風に晒されれば、どんなに規模が大きく、有名で実績があったとしても「あっ」という間に吹き飛ばされてしまう。
“根っ子”とは、そのリーダーや企業が持っている独特な感覚・発想・表現である。強かな立ち位置を持っているリーダーや企業には、必ずこの独自な“根っ子”がある。
戦略コミュニケーションの視座から言い換えると受信・戦略・発信である。所詮、人間も企業もその生存活動を煎じ詰めれば、この3つの機能に絞り込める。
先ず、どう今の世界を感覚(受信)するか、それに対してどう発想(戦略)するか、その発想したことを実現するためにどう表現(発信)するか。この3つの機能を独自性を活かしどのように設計し、そのプロセスを確実に仕切るかがリーダーにとっても、企業にとっても強かな立ち位置をつくるための必要不可欠な“資質”である。
日本のリーダーや企業はこれから国内外でその立ち位置の「強かさ」がますます問われてくる。その“根っ子”は借り物では用をなさない。日本特有の価値観の中で培ってきた独自の“持ち味”から「感覚する」「発想する」「表現する」ことがどうしても必要になってくる。日本のリーダーや企業が世界に伍して行くには、その“持ち味”を遺憾なく発揮できるところで勝負するしかない。
そもそも「強かさ」(したたかさ)とは何か?同じ漢字でも「強さ」(つよさ)とはそのニュアンスが違う。英語には「強かさ」に匹敵する表現が見つからない。StrongやPowerful ではどうもしっくりこない。これらの用語はその力の行使が直接的、直線型であるのに対して「強かさ」はより間接的、曲線型であるイメージを持つ。
あえて言えばResilience(弾力性がある)とFlexible(柔軟性がある)の要素を加えると近似的になる。「強かさ」には狡賢い、正直でなない、一筋縄ではいかないなどのネガティブな要素とプロセスはどうであれやり遂げる、めげない、てごわい、最後は勝つといった積極的な側面があり、これらの要素が渾然一体となっている。
「強かさ」とは欧米流の考え方では完全には捉えにくいニュアンスを持っているのかもしれない。何れにせよ、「強かさ」の本質をしっかりとおさえ、自らの“根っ子”の部分を見極めることである。強かに感覚するとは何か、強かに発想するとは何か、強かに表現するとは何か。
絶えず自問自答する。その中から「強かさ」を体得する道筋が見えてくる。
「強かさ」と問われると、何時も思い出す語句がある。
禅の言葉である。
それは「融通無碍自由自在、随所に主となれば立処皆真なり」である。
どんな場合でも、どんな状況でも、どんな時でも、誰に対しても、何事にもとらわれず柔軟に主導性を発揮するという意味である。
仏教に影響を与えた紀元前4世紀の中国の古典「老子」がある。その中でこの禅の言葉の本質を「究極の強かさの象徴は“水”なり」と表現している。
老子は水の「強かさ」を3つの特徴でまとめる。
① 水はどんな容器にも自らの形を合わせる。究極のフレキシビリテーを発揮する。
② 水はいざという時は大きな岩をも削り取る力を創出する。
③ 水は周りにとって無くてはならない存在であるのに自己主張はしない、威張らない。
ある意味で、そこには東洋的な視座からの「強かさ」の本質が示されている。
誰に対しても、どのタイミングでも、どの環境でも融通無碍自由自在に期待に応える。
しかし、周りの言いなりになっている訳ではない。いざという時には大きなインパクトを与える力を発揮する。
結果として、「無くてはならない存在」になる。でも自分は偉いぞと主張せず威張らない。
今後、企業のグローバル生存を賭けた立ち位置の戦いが始まる。日本のビジネスリーダーや企業は日本人特有の感度、感覚、発想をベースにその立ち位置を作り込むことが求められてくる。欧米流とは違った独自の強かさを発揮できる立ち位置で勝負することが至上命題になる。
2017年10月31日火曜日
2017年8月27日日曜日
グローバリゼーションの本質は“想定外”、“掟破り”、“場外乱闘”
有事365日の時代のビジネス戦争に勝つためにはコミュニケーションを経営戦力とする発想が求められる
“グローバリゼーション”という世界規模のビジネス大戦争が始まっている。2020年は日本企業がグローバリゼーションの戦いに本格参戦する象徴の年という認識が定着しつつある。従来の中期計画の枠を越えてプラン2020を持つ企業が増えているのもそれが背景にある。2020年はオリンピック以上に日本のビジネスにとって意味深い年となる。それまでにどれだけ、グローバル大競争への備えを準備できるかがポスト2020年の日本企業のグローバリゼーションの命運を握る。その波動の中で多くの日本企業が従来のビジネスモデルでは戦えないという自覚が出てきている。
従来の事業モデルが生み出すバリューで本当に世界で戦えるのか? 国内外を問わず今の社内意識で世界と互角に伍せるのか?
築き上げてきたブランドのままで新たな顧客層を取り込めるのか?持続可能な社会に対する地球規模での関心が高まる中で従来のCSR活動のあり方はどう変えればいいのか?グローバリゼーションが本格化する中でグローバル企業としての立ち位置をどうつくっていくのか?
これらの課題を解決する処方箋を2020年までには目処を立てることが日本企業に求められている。
一方、企業間“競争”の次元も変わってきた。“場外乱闘”という事態が始まっている。従来のように「市場」というリングの上で、廉価で良質の商品・サービスを提供、マーケットシェアを高めるだけでは市場で勝てない事態になっている。市場というリングの外で競争相手を引きずり落とす掟破りなやり方が横行している。企業間同士の訴訟戦争がグローバル規模で拡大する。当局や世論を動かして競争相手を不利な競争条件下に置く。投資家や株主を囲い込み、敵対的M&Aや委任状争奪戦を仕掛ける。
既存のビジネス市場に無料でサービスを提供、圧倒的シェアを確保、別のビジネスで稼ぐ。社会主義国がグローバル化の主戦場になる中で企業間競争の中に国が乱入してくる。戦略的に競争相手の営業秘密や人材を盗む。
正にビジネスにおける戦い方のパラダイムシフトが起こっている。
多くの日本企業はこの掟破りな攻撃に対して戸惑う。何故なら、この状況を仕切る、あるいは逆に仕掛けるアドバイザーやコンサルタントが日本では圧倒的に欠如しているからである。従来のような正攻法的なビジネス競争を前提としているコンサルティングでは太刀打ちできない状況になっている。
加えて、経営を取り巻く環境が「鬼は外、福は内」から「鬼は外、鬼は内」へと変貌している。鬼は社外だけでなく、社内にも潜んでいる。終身雇用の終焉、多様なキャリア志向への傾向などが社員の帰属意識を希薄化している。
良し悪しはともかく内部告発は日常化している。グローバル展開が進むに従い社員の日本人比率が急低下、組織全体の求心力が弱まってくる。逆に、日本人社員の意識がグローバル化を進める上で最大の障壁となる。グローバル戦略の一環で海外の企業を買うもカルチャーの軋轢、現地経営陣との対立などで失敗する。社内に話したことが社外にダダ漏れでレピュテーション毀損が起こる。購入していた部品が突然リコールでクライシスに引きずり込まれるなどサプライチェーンがやばい。
正に“内輪の世界”の激変が起こっている。経営において長年培ってきた社員やサプライヤーとの信頼関係はもはや十分条件ではない。また、「社内のことは社内が一番知っている、社内のことは社内でやる」という自前主義が企業を崩壊させる時代になってきている。この発想の転換は否が応でもでも日本経営は迫られてくる。
グローバリゼーションを機にビジネスの世界は有事365日の時代に入った。24時間大小様々なクライシスが起こっている。それらを事前に察知しながら手を打っていく、未然に摘み取っていく有事対応への意識と体制が必要となる。製造業で戦後最大の破産の元凶となったタカタのエアバッグリコール問題は米国で公聴会が開かれるなど2014年に公に騒がられるようになったが、2000年代の初めにはすでに問題の兆候があり、そこで手を打っていれば今回のような事態を回避できた可能性はある。最早、企業は平時の経営から有事の経営に意識を切り替えることがグローバリゼーションの大競争時代を生き抜くための必須条件になってきている。
この有事経営の最大の武器がコミュニケーションである。コミュニケーションを有事対応の“盾”とする。コミュニケーションを戦略実行の“矛”とする発想を持つことが必須である。コミュニケーションを“力”として認識する。そもそも、コミュニケーションとは神様が人間に与えた生き抜くための力である。企業も意識するかしないかにかかわらず、その力の恩恵にあずかっている。ただ、それを力と意識して使うことがコミュニケーションを経営戦力にする。コミュニケーションの経営戦力化なくしては日本企業のグローバリゼーションは覚束ない。
2017年2月14日火曜日
戦略コミュニケーションの発想から見るリーダーシップ論とは
リーダーシップの本質は意識との戦いだ。それを発揮するには“武器”が必要だ
武蔵と小次郎、巌流島の戦い。上段の構えから木刀を振り下ろす武蔵、それを八相の構えで長刀で迎え撃つ小次郎。
これが自分がリーダーシップ研修をする際の表紙の図柄である。
グローバル化が急速に“侵攻”する中でリーダーシップを求める声がビジネスの世界で再び連呼され始めている。リーダーシップについての議論は今に始まったことではない。この20年、百家争鳴、様々なリーダー論が世の中を賑わした。しかしながら、どうも腹落ちするものが少なく、消化不良気味なものが多い、「べき論」はあるが「実践論」が弱い感が否めない。
この20年、リーダーシップ研修をトップから中堅、若手まで様々な業界で幅広く実施してきた。その中で戦略コミュニケーション®の発想から見たリーダーシップ論はかなりイケると実感している。
武蔵と小次郎の対決をリーダーシップ研修の冒頭に出す意図は、リーダーシップの本質は意識との戦いだ。それを発揮するには“武器”が必要だ。敵をしっかりと倒す手法が不可欠だ。その武器を磨く日々の修練が大事だという視座を知ってもらうためである。
更には、リーダーシップの武器論というよりも“武器”そのものをどう作っていくかに議論のフォーカスを当てることを狙いとしている。
リーダーには人の意識を変え、それを動かす力学が必要だ
そもそもリーダーシップとは何かと聞くと、ビジョン・志・思いなどを持っているという要素説。人間的魅力、尊敬される、公正・公平に思われるなどの性善説。導く、引っ張るなどの君子説などが多く出てくる。試しに、トランプ米国大統領はリーダーかと尋ねると「リーダーではない煽動者」という答えが案外に多い。煽動者と先導者をはっきりと分ける思考である。Leadership vs Dictatorshipである。
リーダーか煽動者かどうか、その定義論はともかくとして、実践的なリーダーシップ論を展開するのであれば、リーダーの使命は「事を起こす」ことであると認識した方が有効である。その起こした事をどう評価するかは別次元の話である。
人の世である限り、自分以外の人間を動かさない限り何事も起こらないのが世の常である。リーダーシップとは人を動かしてナンボの世界なのである。
人を動かす際に立ちはだかる最大の敵は相手の意識である。人の意識の壁を粉砕する武器がコミュニケーションである。
人を動かす方法は他にもある。相手に有無を言わせず動かす“武力”。人間の物欲に訴える財力も然り。法的、組織的なルールなどを決め事として強制する権力は日常的に行使されている。しかしながら、これらの力はそれを行使する際に“反作用”を生み出すという難がある。武力を使えばやり返される。財力は金の切れ目が縁の切れ目。権力は不満や嫉みを買う。この反作用が厄介なのである。
コミュニケーションの力は基本相手の意識に働きかけ納得・共感を得て動いてもらう。よって反作用が少なく、コストパフォーマンスが高い。有史以来、人間が人を動かすために最も使ってきた力なのである。
戦略コミュニケーション®という発想をもつ。人を動かす最強の武器になる
コミュニケーションを理解し合う、意思疎通をはかる、思いを伝える、相手の思いをわかるなど事象面での認識は意味がない。
「人を動かす力」であると意識することが肝要である。1人では生きていけないのが社会動物“人間”の性である。自分以外の人間に動いてもらわないと生きていけない。コミュニケーションとは神様が人に与えた生き抜くための力である。
日頃から空気のような存在であるため、コミュニケーションを力学として意識する事に慣れていない。折角与えられた力を十二分に発揮できないのである。これは非常にもったいない話である。コミュニケーションを力だと意識するだけでリーダーにとって最強の武器を手に入れることができる。
戦略コミュニケーション®とは造語である。戦略とコミュニケーションは表裏一体であるとする発想である。どんなに戦略が良くても、それを実現するために様々なステークホルダーが動いてくれないと実現しない。人を動かすコミュニケーション戦略がなければどんなに立派な戦略も絵に描いた餅である。コミュニケーション無くして戦略無しである。戦略もコミュニケーションもコインの裏表である。これからの戦略づくりは戦略ができてから、コミュニケーションをするのでは変化のスピードに遅れる。動かすステークホルダーの視点を予め抑えながらコミュニケーションの視座から戦略を作り込む時代へと大きく変わる。
個人の世界も同じである。自分の思いや夢を実現させ、人生を生き抜くために自分のコミュニケーション力学を磨きあげることが不可欠である。
戦略のコミュニケーションを持つ。企業も個人も人を動かす最強の武器を手にすることが求められてきている。
武蔵と小次郎、巌流島の戦い。上段の構えから木刀を振り下ろす武蔵、それを八相の構えで長刀で迎え撃つ小次郎。
これが自分がリーダーシップ研修をする際の表紙の図柄である。
グローバル化が急速に“侵攻”する中でリーダーシップを求める声がビジネスの世界で再び連呼され始めている。リーダーシップについての議論は今に始まったことではない。この20年、百家争鳴、様々なリーダー論が世の中を賑わした。しかしながら、どうも腹落ちするものが少なく、消化不良気味なものが多い、「べき論」はあるが「実践論」が弱い感が否めない。
この20年、リーダーシップ研修をトップから中堅、若手まで様々な業界で幅広く実施してきた。その中で戦略コミュニケーション®の発想から見たリーダーシップ論はかなりイケると実感している。
武蔵と小次郎の対決をリーダーシップ研修の冒頭に出す意図は、リーダーシップの本質は意識との戦いだ。それを発揮するには“武器”が必要だ。敵をしっかりと倒す手法が不可欠だ。その武器を磨く日々の修練が大事だという視座を知ってもらうためである。
更には、リーダーシップの武器論というよりも“武器”そのものをどう作っていくかに議論のフォーカスを当てることを狙いとしている。
リーダーには人の意識を変え、それを動かす力学が必要だ
そもそもリーダーシップとは何かと聞くと、ビジョン・志・思いなどを持っているという要素説。人間的魅力、尊敬される、公正・公平に思われるなどの性善説。導く、引っ張るなどの君子説などが多く出てくる。試しに、トランプ米国大統領はリーダーかと尋ねると「リーダーではない煽動者」という答えが案外に多い。煽動者と先導者をはっきりと分ける思考である。Leadership vs Dictatorshipである。
リーダーか煽動者かどうか、その定義論はともかくとして、実践的なリーダーシップ論を展開するのであれば、リーダーの使命は「事を起こす」ことであると認識した方が有効である。その起こした事をどう評価するかは別次元の話である。
人の世である限り、自分以外の人間を動かさない限り何事も起こらないのが世の常である。リーダーシップとは人を動かしてナンボの世界なのである。
人を動かす際に立ちはだかる最大の敵は相手の意識である。人の意識の壁を粉砕する武器がコミュニケーションである。
人を動かす方法は他にもある。相手に有無を言わせず動かす“武力”。人間の物欲に訴える財力も然り。法的、組織的なルールなどを決め事として強制する権力は日常的に行使されている。しかしながら、これらの力はそれを行使する際に“反作用”を生み出すという難がある。武力を使えばやり返される。財力は金の切れ目が縁の切れ目。権力は不満や嫉みを買う。この反作用が厄介なのである。
コミュニケーションの力は基本相手の意識に働きかけ納得・共感を得て動いてもらう。よって反作用が少なく、コストパフォーマンスが高い。有史以来、人間が人を動かすために最も使ってきた力なのである。
戦略コミュニケーション®という発想をもつ。人を動かす最強の武器になる
コミュニケーションを理解し合う、意思疎通をはかる、思いを伝える、相手の思いをわかるなど事象面での認識は意味がない。
「人を動かす力」であると意識することが肝要である。1人では生きていけないのが社会動物“人間”の性である。自分以外の人間に動いてもらわないと生きていけない。コミュニケーションとは神様が人に与えた生き抜くための力である。
日頃から空気のような存在であるため、コミュニケーションを力学として意識する事に慣れていない。折角与えられた力を十二分に発揮できないのである。これは非常にもったいない話である。コミュニケーションを力だと意識するだけでリーダーにとって最強の武器を手に入れることができる。
戦略コミュニケーション®とは造語である。戦略とコミュニケーションは表裏一体であるとする発想である。どんなに戦略が良くても、それを実現するために様々なステークホルダーが動いてくれないと実現しない。人を動かすコミュニケーション戦略がなければどんなに立派な戦略も絵に描いた餅である。コミュニケーション無くして戦略無しである。戦略もコミュニケーションもコインの裏表である。これからの戦略づくりは戦略ができてから、コミュニケーションをするのでは変化のスピードに遅れる。動かすステークホルダーの視点を予め抑えながらコミュニケーションの視座から戦略を作り込む時代へと大きく変わる。
個人の世界も同じである。自分の思いや夢を実現させ、人生を生き抜くために自分のコミュニケーション力学を磨きあげることが不可欠である。
戦略のコミュニケーションを持つ。企業も個人も人を動かす最強の武器を手にすることが求められてきている。
2016年12月2日金曜日
戦略コミュニケーションの奥義、“自分との対話を制する”(後編)
夏目漱石の「草枕」の冒頭の文章が示唆に富む
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」
智に働く、情に棹さす、意地を通す、すべて自分である。ここを抑えれば、とかくに人の世は住み易くなるのである。
リーダーは“儀式”で心の呪縛を粉砕する
人間は思い込みの動物である。思い込みがないと人生生きていけない。重要なのは“適切な”思い込みを持つことである。
仏教では思い込みを妄想×煩悩と言う。何を妄想×煩悩するかによって心の呪縛が生まれることを説く。よって妄想や煩悩をコントロールすることで心の呪縛を解くことができる道理である。自分との対話力を培い妄想×煩悩を飼いならすことが仏教の考え方である。ただ、妄想×煩悩とは猛獣のようなもので、下手するとこちらが喰われてしまう。如何に飼いならすかは至難の技と考えた方が良い。
甘く見ないことである。多くのリーダー達が自分の中にある“猛獣”を躾けるため必死に創意工夫を凝らし“自分との対話”を実践している。いわゆる“儀式”を持っている。自分との対話の“ルーティーン”である。
その内容は様々である。ジョギングをする、ジムで筋トレをやる、夜中に密かにヨガに入る、早朝にお経を唱える、茶道を嗜むなど多様である。ある70代半ばのビジネスリーダーに言われたことがある。50代では1日1時間、60代では2時間、70代では3時間、自分との対話の儀式に時間を使へと。本人は早朝5時に起床、10キロ近く走り、そのあと呼吸法を実践している。車の運転もそのルーティーンの1つでトータル1日3時間はこなしている。
成功体験の年輪を重ねると傲慢になってくるのは人の性のようだ。自分との対話を通じて、この傲慢さと向き合い自らを律することが成功を重ねるとリーダーにはますます必要になってくる。
石川島播磨重工や東芝を再生させ、政界、財界にも睨みを効かせた土光敏夫元経団連会長などは“メザシの土光さん”と愛称がつくほど生活が質素であっただけでなく、毎朝4時に起床、長時間お経を唱えることを日課としていた。これなどは、まさに自分と向き合うためのルーティーンである。
元寇の乱で元軍に勝利した北条時宗が師と仰いだ無学祖元という禅僧が時宗に禅を説いた。
「坐禅堂で型の如く坐禅をするだけが坐禅ではない。いつ、どこでも、自己の身体と口と意(こころ)を整頓することが坐禅である。」
そして、5か条の自己整頓の心得を伝える。
① 外の物ごとに心を奪われず、泰然として自己の信ずる道を守って動くな。
② 外の物ごと貪着(むさぼりこだわる)するな。一方に貪着すると、必ず他の一方の注意を欠く。油断や恐怖はこんなときに起こる。
③ 自己の才知を頼んで、あれこれ策を樹てるな。常時も非常時も平然として、その心を一にしておれば、どんな異変に遭遇しても、霊妙なる作略が生まれるものだ。
④ 心の見る物量を拡大せよ。心の視界が狭小だと、胆量もまた自然に小量になるから、心で思うことを拡大せよ。
⑤ 勇気を持て。勇猛の心意気はよく白刃をも踏む。反対に柔懦(いくじのない)の身体では、窓の隙間風にも耐えられまい。故に常に心身を鍛えよ。
日々の自分との対話のガイドラインとして多くの示唆を与えてくれる。
2016年11月28日月曜日
戦略コミュニケーションの奥義、“自分との対話を制する”(前編)
自分との対話に勝って自分を動かす
コミュニケーションは人を動かす力である。
ところが、最も動かすことが難しい相手は自分である。
自分ほど思い通りにならないものはない。
人生、日々自分との葛藤とも言える。この葛藤をどう乗り切るか、自分との対話をどう制するかが、実はコミュニケーション力を飛躍させる鍵を握る。
コミュニケーションと言うと相手との対話を先に思い浮かべるが、先ずは自分との対話である。結果、自分を動かす、相手も動く。これが戦略コミュニケーションの基本発想である。
自分との対話が十分できていない人は自分も動かせなければ相手も動かすことができない。
日頃から“自問自答”の癖を身につけ自分との対話力を鍛えることがコミュニケーションのチカラを次のレベルに飛躍させる。
自分の思い込みが「相手を知る」ことを拒む
コミュニケーションはすべて“相手を知る”ところから始まる。相手を知らないと間違ったメッセージを伝えてしまう。逆に相手を十分知っていれば的確なメッセージを打ち込むことができ、相手との対話をリードできる。ところが、厄介なことに、相手を知る上で最大の敵が“自分の思い込み”なのである。
“相手を知る”とは、相手の“受け皿”を知ることである。こちらが話したことがどのように受け取られるかは相手の受け皿次第である。
こちらが発信したと思っているメッセージはメッセージではない。単なる情報発信である。その情報が相手の受け皿に届いた瞬間にメッセージになる。相手の受け皿次第で伝わるメッセージが変わる。
Aと言ってもBやCなどと伝わってしまう。受け皿を把握していないと相手に何が伝わるかわからない。結果、間違ったメッセージが伝わり、想定外の相手の反応を招き、対話の主導権を奪われる。
そこで相手の受け皿とは何かと考えると、相手の物事への認識とそこから生まれる感情の起伏である。ここを先ずおさえないと相手に何を発信していいのかわからない。
ところが、逆に自分の物事への思い込みとそこから生まれる感情の起伏が相手を知ることを邪魔する。相手を“素直に”受け入れられない。相手の言っていることを勝手に解釈する。嫌いなタイプの人は色眼鏡で見る。また逆に好きなタイプだと過剰評価する。怒りで興奮している時は相手の言うことがいちいち突っかかってくる。突き詰めると実はその原因は自分にあることが多い。
自分との対話とは、先ず、この凝り固まった“自分”を一旦、「無」にする作業とも言える。相手の受け皿を受け入れる度量を自分の中に仕掛けることである。自分の思い込みや感情に呪縛されない力を身につけることである。まさに自分との日々の対話がこの度量と力を育てる。
心の動きが自分の働きを呪縛する
日常は自問自答の日々である。一念発起、早朝5時に起床と決めても実際に目覚ましが鳴ると起きるか起きないかの葛藤が始まる。「あと30分、いや1時間寝よう。いやいや、ここは起きなければ」あたかも自分の中にもう一人の自分がいて、起きるか起きないかの自問自答を展開する。
自分の心ほど自由にならないものはない。厄介なのは心の自由気ままな動きが自分の働きを呪縛する。落ち込んでいると仕事で本来持っている力の発揮が削がれる。動揺しているとプレゼンテーションが上手くいかない。怒りや嫌悪感が商談や交渉をダメにする。意地を張ると人間関係を悪くする。
心の呪縛とは、
① 心が奪われる。
② 心が執着する。
③ 心が動揺する。
④ 心が狭くなる。
⑤ 心が萎える。
である。
心の呪縛から自分の“働き”を守るには自分との対話力を鍛えるしかない。
言い方を変えると、自分の心の動きをコントロールすることである。ところが自分のものであっても自由にならないのが心である。目の前の事象によって心は一喜一憂、絶えず揺れ動く。憂いたり、怒ったり、悲しんだり、喜んだり、驚いたり、その定るところを知らない。この心の呪縛が相手を知ることを妨げるだけでなく、こちらの“働き”にも影響し、相手との柔軟な対話を損なう。
コミュニケーションは人を動かす力である。
ところが、最も動かすことが難しい相手は自分である。
自分ほど思い通りにならないものはない。
人生、日々自分との葛藤とも言える。この葛藤をどう乗り切るか、自分との対話をどう制するかが、実はコミュニケーション力を飛躍させる鍵を握る。
コミュニケーションと言うと相手との対話を先に思い浮かべるが、先ずは自分との対話である。結果、自分を動かす、相手も動く。これが戦略コミュニケーションの基本発想である。
自分との対話が十分できていない人は自分も動かせなければ相手も動かすことができない。
日頃から“自問自答”の癖を身につけ自分との対話力を鍛えることがコミュニケーションのチカラを次のレベルに飛躍させる。
自分の思い込みが「相手を知る」ことを拒む
コミュニケーションはすべて“相手を知る”ところから始まる。相手を知らないと間違ったメッセージを伝えてしまう。逆に相手を十分知っていれば的確なメッセージを打ち込むことができ、相手との対話をリードできる。ところが、厄介なことに、相手を知る上で最大の敵が“自分の思い込み”なのである。
“相手を知る”とは、相手の“受け皿”を知ることである。こちらが話したことがどのように受け取られるかは相手の受け皿次第である。
こちらが発信したと思っているメッセージはメッセージではない。単なる情報発信である。その情報が相手の受け皿に届いた瞬間にメッセージになる。相手の受け皿次第で伝わるメッセージが変わる。
Aと言ってもBやCなどと伝わってしまう。受け皿を把握していないと相手に何が伝わるかわからない。結果、間違ったメッセージが伝わり、想定外の相手の反応を招き、対話の主導権を奪われる。
そこで相手の受け皿とは何かと考えると、相手の物事への認識とそこから生まれる感情の起伏である。ここを先ずおさえないと相手に何を発信していいのかわからない。
ところが、逆に自分の物事への思い込みとそこから生まれる感情の起伏が相手を知ることを邪魔する。相手を“素直に”受け入れられない。相手の言っていることを勝手に解釈する。嫌いなタイプの人は色眼鏡で見る。また逆に好きなタイプだと過剰評価する。怒りで興奮している時は相手の言うことがいちいち突っかかってくる。突き詰めると実はその原因は自分にあることが多い。
自分との対話とは、先ず、この凝り固まった“自分”を一旦、「無」にする作業とも言える。相手の受け皿を受け入れる度量を自分の中に仕掛けることである。自分の思い込みや感情に呪縛されない力を身につけることである。まさに自分との日々の対話がこの度量と力を育てる。
心の動きが自分の働きを呪縛する
日常は自問自答の日々である。一念発起、早朝5時に起床と決めても実際に目覚ましが鳴ると起きるか起きないかの葛藤が始まる。「あと30分、いや1時間寝よう。いやいや、ここは起きなければ」あたかも自分の中にもう一人の自分がいて、起きるか起きないかの自問自答を展開する。
自分の心ほど自由にならないものはない。厄介なのは心の自由気ままな動きが自分の働きを呪縛する。落ち込んでいると仕事で本来持っている力の発揮が削がれる。動揺しているとプレゼンテーションが上手くいかない。怒りや嫌悪感が商談や交渉をダメにする。意地を張ると人間関係を悪くする。
心の呪縛とは、
① 心が奪われる。
② 心が執着する。
③ 心が動揺する。
④ 心が狭くなる。
⑤ 心が萎える。
である。
心の呪縛から自分の“働き”を守るには自分との対話力を鍛えるしかない。
言い方を変えると、自分の心の動きをコントロールすることである。ところが自分のものであっても自由にならないのが心である。目の前の事象によって心は一喜一憂、絶えず揺れ動く。憂いたり、怒ったり、悲しんだり、喜んだり、驚いたり、その定るところを知らない。この心の呪縛が相手を知ることを妨げるだけでなく、こちらの“働き”にも影響し、相手との柔軟な対話を損なう。
2016年8月22日月曜日
無党派層が動く、小池陣営有利な事態に(後編)
後半戦に入って小池陣営には2つの懸念事項があった。
1つは無党派層が小池支持に動くかどうか。党組織のサポートは無い。組織戦では勝てない。この弱点を無党派層の支持を取り付け封じ込めるしかない。
幸いに舛添問題の過熱報道によって既に都知事選に関する世間的な関心はかなり高い。選挙期間中もそれを引きずる。更には桜井パパへの注目、小池百合子の立候補、自民党分裂の状況、小池・増田・鳥越の三つ巴の形勢など世間の関心を引く素材に事欠かない。
結果、無党派層が動く。投票率も上がる。小池陣営有利な事態になる。
最大の懸念、野党候補は誰?
ところが小池陣営が勝つ上でもう1つ懸念項目あった。
前半戦で築いた「初の女性都知事」vs「自民・自民党都連」の選択の構図を後半戦も維持できるかどうか。
自民党都連が既に「悪役」としてレッテルを貼られている中ではこの構図は小池候補にとって優位な立ち位置を担保してくれる。無党派層は既に動いている。知名度低く組織戦依存の増田候補は怖くはない。
この段階での最大の不確定要素は後半戦に入っても野党側の候補の顔が見えないことである。この意味では野党の究極の後出しジャンケンは功を奏している。
選挙後半戦は空中戦が死命する状況にある。増田陣営は元タレント議員を動員、認知度アップを謀るが知名度の差はどうしようもない。
ところが、仮にここで空中戦に強い知名度のある野党候補が出ると状況は一変する。せっかく築いた選択の構図を壊されかねない。
小池百合子に女神が微笑む。致命的に“ズレ”た野党候補
最後の最後で野党側はジャーナリスト鳥越俊太郎を候補として打ち出してきた。
知名度ということでは小池百合子に引けを取らない。出身もジャーナリストで小池候補と同類である。
この段階での鳥越候補のマイナス要素を敢えて挙げれば
① 前半・後半戦を通じて「後出しジャンケン」に対する批判報道がかなりなされていた。
② 鳥越候補の76歳という歳の問題である。2020年のオリンピック・パラリンピックでは80歳の大台に乗る。大丈夫かという印象を与える。
③ 鳥越候補に一本化する過程で野党側がかなりごたついた印象を残す。
しかしながら、この段階では小池vs鳥越は互角と言っていい。
鳥越陣営の最大の失敗は鳥越候補の最初の「一声」にある。その内容は致命的に“ズレ”ていた。
立候補する理由を聞かれ、開口一番「参院選で自民党が勝ったから」「このままでは日本は危ない」など連呼、掲げた政策も「安保法制反対」「脱原発」「非核」といった内容で参院選の延長線上での「発信」である。
都民感覚からすれば“ズレ”ている。正に「江戸の敵を長崎で討つ」である。しかも「脱原発」は都知事選ではメッセージとして“効かない”ことは既に前回の都知事選で細川護煕候補が実証済み。
その後、鳥越候補のメッセージ発信は“都政”よりに修正されるがもう遅い。選挙では「終わりよければ全て良し」ではない。「始めコケれば全て無し」が鉄則である。
選挙の要諦は有権者に候補者にとって有利な争点を早く思い込ませることである、アジェンダ設定をすることである。第一声は選挙コミュニケーションにおける戦略上の要である。
石原慎太郎元都知事の発言を応援歌にする小池流発信の“強かさ”
一方、後半戦では小池候補の発信の“強かさ”が目立った。先ずは全体的に「失言」が少ない。
唯一の失言は鳥越候補に対する「病み上がり」発言。また戦略コミュニケーションの技術論から見ると“ブリッジング”が身についている。
ブリッジング(bridging)とは相手の質問を利用してこちらのメッセージを発信する技である。人は質問を受けるとそれに答えようとして、知らぬ間に相手の術中にはまりボロボロにされる。
ブリッジングとは“つなぐ”という意味。質問を受けたら、答える前に自分のメッセージに“つなぐ”、そして答える。質問に答える前にワンステップ置く。そこで自分のメッセージを確認する。このワンステップを意識するだけで発信力は飛躍的に高まる。
もともとは質問を武器に相手から話を聞き出そうとするジャーナリストに対抗する上で考えられた手法である。
この手法は頭で分かっていてもなかなかできない。実践の中で培うしかない技である。小池候補の場合、ブリッジングがある程度身についており、他の候補やキャスター、記者などからの質問にあまり惑わされない。
相手の発言を利用する面でも強かな片鱗を見せる。石原元都知事が自民党都連に応援に駆けつけ「大年増の厚化粧」と小池百合子を揶揄する。小池候補はこの石原発言を街頭演説でのネタにする。
批判するのではなく、ユーモアを持って「厚化粧です」と認めた上で、透かさず男性上位の自民党都連の体質を攻める。「いつの間にか男同士の密室で会議が行 われて、結論が出されて、日本が正しい方向に行っていたでしょうか?おっさんの論理でこれからも日本が突き進むのでありますか?日本はおっさんの論理で ずっとやっていけば、必ず他の国にもどんどん追い越される」と。
小池百合子流「勝利の方程式」、"エアーポケット"を見つけよ!
下降気流のため飛行機が急に下降する空域をエアーポケットという。
選挙にもエアーポケットがある。そこに上手くはまると逆に上昇気流にのることができる。ところが、選挙のエアーポケット現象はいつも出現するとは限らない。幾つかの条件を満たすことが必要である。
経験上、最低でも4つの要素が整うことが重要である。
① 先ずは有権者から見て二者択一の互角の選択構図が出来ているかどうか。今回の都知事選の場合は、民進、共産を中心とした野党共闘が実現、一様に与党(自民党・公明)vs野党(民進・共産)の二者択一の構図が出来る。どちらかの選択肢しかないと一旦有権者は思い込む。
② そこで次に重要なのは、そのどちらの選択枝も“パッとしない”ことである。増田候補は自民党都連の全面サポートのもと今までの都政の延長線上と見られ る。都政の革新には程遠い。鳥越候補は都政を国政の延長線上で考える姿勢に多くの人が違和感を持つ。都政の革新どころか混迷かと疑われる。選ぶ方からは “どっちもどっち”という状況である。
③ 後はそこに強烈な個性と発信力を持った第三の候補の出現である。小池候補がまさにこのポストを仕留める。自民党とは程よい距離感を保ちながら独立自 尊、弁が立ち大臣経験者、さらにはメルケル、クリントン、メイなど女性政治家が世界を賑わせている中で、日本でも女性都知事かという雰囲気の中で、従来の 延長線上にない第三の候補者として浮かび上がってくる。
④ 最後に、前提条件ともいえるが、空中戦が選挙の死命を制する状況にあること。空中戦無くしてエアーポケット現象は起こらない。二者択一の選択肢に辟易 しているところに第三の道があるという思い込みを有権者の中に早く広く生じさせる戦略兵器はテレビなどのマスコミやネットによる空中戦である。
ここでは組織戦は無力である。この意味で「先出しジャンケン」で選挙前半において空中戦を主戦場に設定した小池陣営の動きは当たっていた。もともと「後出 しジャンケン」も同じメカニズムで有権者が辟易したところに新たな第三の候補者を最後に出す方式であるが、その際に重要なのは候補者の選定である。しっか りとこのエアーポケット現象で浮揚できる素質を持った候補者を選ぶことである。
今回の都知事選は小池百合子候補者が戦略的か偶然かはわからないが、結果としてこのエアーポケットに上手く“どんぴしゃり”と便乗出来たことでが大きな勝因である。
1つは無党派層が小池支持に動くかどうか。党組織のサポートは無い。組織戦では勝てない。この弱点を無党派層の支持を取り付け封じ込めるしかない。
幸いに舛添問題の過熱報道によって既に都知事選に関する世間的な関心はかなり高い。選挙期間中もそれを引きずる。更には桜井パパへの注目、小池百合子の立候補、自民党分裂の状況、小池・増田・鳥越の三つ巴の形勢など世間の関心を引く素材に事欠かない。
結果、無党派層が動く。投票率も上がる。小池陣営有利な事態になる。
最大の懸念、野党候補は誰?
ところが小池陣営が勝つ上でもう1つ懸念項目あった。
前半戦で築いた「初の女性都知事」vs「自民・自民党都連」の選択の構図を後半戦も維持できるかどうか。
自民党都連が既に「悪役」としてレッテルを貼られている中ではこの構図は小池候補にとって優位な立ち位置を担保してくれる。無党派層は既に動いている。知名度低く組織戦依存の増田候補は怖くはない。
この段階での最大の不確定要素は後半戦に入っても野党側の候補の顔が見えないことである。この意味では野党の究極の後出しジャンケンは功を奏している。
選挙後半戦は空中戦が死命する状況にある。増田陣営は元タレント議員を動員、認知度アップを謀るが知名度の差はどうしようもない。
ところが、仮にここで空中戦に強い知名度のある野党候補が出ると状況は一変する。せっかく築いた選択の構図を壊されかねない。
小池百合子に女神が微笑む。致命的に“ズレ”た野党候補
最後の最後で野党側はジャーナリスト鳥越俊太郎を候補として打ち出してきた。
知名度ということでは小池百合子に引けを取らない。出身もジャーナリストで小池候補と同類である。
この段階での鳥越候補のマイナス要素を敢えて挙げれば
① 前半・後半戦を通じて「後出しジャンケン」に対する批判報道がかなりなされていた。
② 鳥越候補の76歳という歳の問題である。2020年のオリンピック・パラリンピックでは80歳の大台に乗る。大丈夫かという印象を与える。
③ 鳥越候補に一本化する過程で野党側がかなりごたついた印象を残す。
しかしながら、この段階では小池vs鳥越は互角と言っていい。
鳥越陣営の最大の失敗は鳥越候補の最初の「一声」にある。その内容は致命的に“ズレ”ていた。
立候補する理由を聞かれ、開口一番「参院選で自民党が勝ったから」「このままでは日本は危ない」など連呼、掲げた政策も「安保法制反対」「脱原発」「非核」といった内容で参院選の延長線上での「発信」である。
都民感覚からすれば“ズレ”ている。正に「江戸の敵を長崎で討つ」である。しかも「脱原発」は都知事選ではメッセージとして“効かない”ことは既に前回の都知事選で細川護煕候補が実証済み。
その後、鳥越候補のメッセージ発信は“都政”よりに修正されるがもう遅い。選挙では「終わりよければ全て良し」ではない。「始めコケれば全て無し」が鉄則である。
選挙の要諦は有権者に候補者にとって有利な争点を早く思い込ませることである、アジェンダ設定をすることである。第一声は選挙コミュニケーションにおける戦略上の要である。
石原慎太郎元都知事の発言を応援歌にする小池流発信の“強かさ”
一方、後半戦では小池候補の発信の“強かさ”が目立った。先ずは全体的に「失言」が少ない。
唯一の失言は鳥越候補に対する「病み上がり」発言。また戦略コミュニケーションの技術論から見ると“ブリッジング”が身についている。
ブリッジング(bridging)とは相手の質問を利用してこちらのメッセージを発信する技である。人は質問を受けるとそれに答えようとして、知らぬ間に相手の術中にはまりボロボロにされる。
ブリッジングとは“つなぐ”という意味。質問を受けたら、答える前に自分のメッセージに“つなぐ”、そして答える。質問に答える前にワンステップ置く。そこで自分のメッセージを確認する。このワンステップを意識するだけで発信力は飛躍的に高まる。
もともとは質問を武器に相手から話を聞き出そうとするジャーナリストに対抗する上で考えられた手法である。
この手法は頭で分かっていてもなかなかできない。実践の中で培うしかない技である。小池候補の場合、ブリッジングがある程度身についており、他の候補やキャスター、記者などからの質問にあまり惑わされない。
相手の発言を利用する面でも強かな片鱗を見せる。石原元都知事が自民党都連に応援に駆けつけ「大年増の厚化粧」と小池百合子を揶揄する。小池候補はこの石原発言を街頭演説でのネタにする。
批判するのではなく、ユーモアを持って「厚化粧です」と認めた上で、透かさず男性上位の自民党都連の体質を攻める。「いつの間にか男同士の密室で会議が行 われて、結論が出されて、日本が正しい方向に行っていたでしょうか?おっさんの論理でこれからも日本が突き進むのでありますか?日本はおっさんの論理で ずっとやっていけば、必ず他の国にもどんどん追い越される」と。
小池百合子流「勝利の方程式」、"エアーポケット"を見つけよ!
下降気流のため飛行機が急に下降する空域をエアーポケットという。
選挙にもエアーポケットがある。そこに上手くはまると逆に上昇気流にのることができる。ところが、選挙のエアーポケット現象はいつも出現するとは限らない。幾つかの条件を満たすことが必要である。
経験上、最低でも4つの要素が整うことが重要である。
① 先ずは有権者から見て二者択一の互角の選択構図が出来ているかどうか。今回の都知事選の場合は、民進、共産を中心とした野党共闘が実現、一様に与党(自民党・公明)vs野党(民進・共産)の二者択一の構図が出来る。どちらかの選択肢しかないと一旦有権者は思い込む。
② そこで次に重要なのは、そのどちらの選択枝も“パッとしない”ことである。増田候補は自民党都連の全面サポートのもと今までの都政の延長線上と見られ る。都政の革新には程遠い。鳥越候補は都政を国政の延長線上で考える姿勢に多くの人が違和感を持つ。都政の革新どころか混迷かと疑われる。選ぶ方からは “どっちもどっち”という状況である。
③ 後はそこに強烈な個性と発信力を持った第三の候補の出現である。小池候補がまさにこのポストを仕留める。自民党とは程よい距離感を保ちながら独立自 尊、弁が立ち大臣経験者、さらにはメルケル、クリントン、メイなど女性政治家が世界を賑わせている中で、日本でも女性都知事かという雰囲気の中で、従来の 延長線上にない第三の候補者として浮かび上がってくる。
④ 最後に、前提条件ともいえるが、空中戦が選挙の死命を制する状況にあること。空中戦無くしてエアーポケット現象は起こらない。二者択一の選択肢に辟易 しているところに第三の道があるという思い込みを有権者の中に早く広く生じさせる戦略兵器はテレビなどのマスコミやネットによる空中戦である。
ここでは組織戦は無力である。この意味で「先出しジャンケン」で選挙前半において空中戦を主戦場に設定した小池陣営の動きは当たっていた。もともと「後出 しジャンケン」も同じメカニズムで有権者が辟易したところに新たな第三の候補者を最後に出す方式であるが、その際に重要なのは候補者の選定である。しっか りとこのエアーポケット現象で浮揚できる素質を持った候補者を選ぶことである。
今回の都知事選は小池百合子候補者が戦略的か偶然かはわからないが、結果としてこのエアーポケットに上手く“どんぴしゃり”と便乗出来たことでが大きな勝因である。
2016年8月10日水曜日
都知事選、小池百合子流「勝ちの方程式」(前編)
小池、増田、鳥越と三つ巴の都知事選は小池候補圧勝で決まった。
小池陣営の戦略や意図がどのようなものであったのかはわからないが、戦略コミュニケーションの発想から見ると、そこには勝つべくして勝った構造が見えてくる。
舛添問題で都民が見た都政の風景とは
舛添知事辞任に至るまでの一連の流れは危機管理コミュニケーションの視座からも興味深い。
記者会見をやる毎に炎上する。1回目のクライシス会見で墓穴を掘り炎上することはよくある。普通は学習効果によって2回目以降やり方を正す。しかしながら、6回行われた舛添会見の場合は回を重ねる毎に炎上する。所謂「墓穴を掘りまくる」。
最後の最後まで往生際が悪い。有事には有事のコミュニケーションの原理原則がある。舛添流有事対応は全くそれに逆行する。
更に事態は知事の問題だけにとどまらない。共産党を始めとする野党都議による舛添下ろしが盛り上がる中で与党側の動きが鈍い。これが結果として舛添知事と与党都議は一蓮托生という印象を都民に与える。
加えて、同じ時期に東京オリンピック開催に伴う費用が予算を大幅に上回る事態が連日報道される。その中で野党も含む都議団がリオ・オリンピックへ豪華な視察団を派遣することが露呈する。都民の関心は舛添知事の金の問題にとどまらず、都議会も巻き込む都政全体への不信へと広がる。
今回の都知事選は、「都政への不信」という風景の中で、都民に対してどのような選択の構図を見せられるか、そこで最も映える候補を立てられるかを探る戦いである。
与党側動く。行政のプロを模索、「政治家」vs「行政のプロ」の選択の構図を狙う
先ず動いたのは自民・公明の与党である。前回都知事選で舛添支持をしただけにその動きは速かった。「都政への不信」=「今までの延長線上の候補ではダメ」という都民感情を捉え、政治家ではない行政のプロの候補擁立に舵を切る。
そこで目をつけたのがジャニーズ嵐の桜井翔の父親である桜井総務省事務次官。地方自治体を管掌する総務省の行政プロナンバーワンである。若手世代へのアピールや桜井翔の知名度を利用した空中戦の展開なども可能だ。
野党側の候補に政治家の名前がいろいろと音沙汰されるのを横目に「政治家」VS「行政のプロ」という構図の作り込みに走る。この段階では自公与党側は一歩リードする。ところが、ここで2つの誤算と想定外が生じる。
桜井氏が辞退する。更には、自民党の意に反して小池百合子自民党議員が立候補を打ち上げる。
小池候補「初の女性都知事」VS「自民・自民党都連」の選択の構図をつくる
選挙で勝利する基本は有権者に対する選択の構図を相手に先駆けてつくれるかどうかだ。
小池陣営は“先出しジャンケン”で与党側がつくろうと腐心する「政治家」VS「行政のプロ」の構図を崩す。
立候補する旨を早々に打ち出し、推薦を求め自民・自民党都連を追い込む。怒りで困惑する自民党都連を尻目に自民からの推薦拒否に乗じて「個人」vs「党」という構図をつくった。
この段階で都知事選挙の“建て付け”が変わる。
それまでは自民・公明vs民進・共産の「党」vs「党」の二極対立になっていた形勢に「個人」が参戦する三つ巴の形になる。その中から「個人」の土俵に立った小池候補が精彩を放ち始める。
参院選の延長線、党利党略の主戦場と化している都知事選は批判の対象になっており、それが小池陣営の追い風となる。一方、野党側の動きは混沌とし、その存在感が無い。自ずと「小池百合子」vs「自民党都連」の構図が浮き出てくる。
おまけに自民都連がますます“悪人面”になってくる。報道される自民都連の議員はほとんど「男性」。しかも石原自民都連会長、内田自民都連幹事長など「悪役」を演じる名優が揃っている。
巨大与党組織に1人毅然と立ち向かうジャンヌ・ダルク小池百合子というドラマが展開される。
外からも風が吹く。イギリスではテリーザ・メイ女性首相誕生、アメリカではヒラリー・クリントン大統領候補の連日の報道など小池候補にとってはこれも追い風になる。
更に重要なのが、与党、野党の正式候補が決まらない中、小池候補の武器である知名度を最大限活用する。マスコミ報道を囲い込み空中戦一人舞台を演じる。まさに“先出しジャンケン”の妙である。
前半戦で小池陣営は空中戦に措いてかなり優位な立ち位置を築くことに成功する。空中戦が効く無党派層が動けば小池優位という状況を作り出した。
(後編に続く)
小池陣営の戦略や意図がどのようなものであったのかはわからないが、戦略コミュニケーションの発想から見ると、そこには勝つべくして勝った構造が見えてくる。
舛添問題で都民が見た都政の風景とは
舛添知事辞任に至るまでの一連の流れは危機管理コミュニケーションの視座からも興味深い。
記者会見をやる毎に炎上する。1回目のクライシス会見で墓穴を掘り炎上することはよくある。普通は学習効果によって2回目以降やり方を正す。しかしながら、6回行われた舛添会見の場合は回を重ねる毎に炎上する。所謂「墓穴を掘りまくる」。
最後の最後まで往生際が悪い。有事には有事のコミュニケーションの原理原則がある。舛添流有事対応は全くそれに逆行する。
更に事態は知事の問題だけにとどまらない。共産党を始めとする野党都議による舛添下ろしが盛り上がる中で与党側の動きが鈍い。これが結果として舛添知事と与党都議は一蓮托生という印象を都民に与える。
加えて、同じ時期に東京オリンピック開催に伴う費用が予算を大幅に上回る事態が連日報道される。その中で野党も含む都議団がリオ・オリンピックへ豪華な視察団を派遣することが露呈する。都民の関心は舛添知事の金の問題にとどまらず、都議会も巻き込む都政全体への不信へと広がる。
今回の都知事選は、「都政への不信」という風景の中で、都民に対してどのような選択の構図を見せられるか、そこで最も映える候補を立てられるかを探る戦いである。
与党側動く。行政のプロを模索、「政治家」vs「行政のプロ」の選択の構図を狙う
先ず動いたのは自民・公明の与党である。前回都知事選で舛添支持をしただけにその動きは速かった。「都政への不信」=「今までの延長線上の候補ではダメ」という都民感情を捉え、政治家ではない行政のプロの候補擁立に舵を切る。
そこで目をつけたのがジャニーズ嵐の桜井翔の父親である桜井総務省事務次官。地方自治体を管掌する総務省の行政プロナンバーワンである。若手世代へのアピールや桜井翔の知名度を利用した空中戦の展開なども可能だ。
野党側の候補に政治家の名前がいろいろと音沙汰されるのを横目に「政治家」VS「行政のプロ」という構図の作り込みに走る。この段階では自公与党側は一歩リードする。ところが、ここで2つの誤算と想定外が生じる。
桜井氏が辞退する。更には、自民党の意に反して小池百合子自民党議員が立候補を打ち上げる。
小池候補「初の女性都知事」VS「自民・自民党都連」の選択の構図をつくる
選挙で勝利する基本は有権者に対する選択の構図を相手に先駆けてつくれるかどうかだ。
小池陣営は“先出しジャンケン”で与党側がつくろうと腐心する「政治家」VS「行政のプロ」の構図を崩す。
立候補する旨を早々に打ち出し、推薦を求め自民・自民党都連を追い込む。怒りで困惑する自民党都連を尻目に自民からの推薦拒否に乗じて「個人」vs「党」という構図をつくった。
この段階で都知事選挙の“建て付け”が変わる。
それまでは自民・公明vs民進・共産の「党」vs「党」の二極対立になっていた形勢に「個人」が参戦する三つ巴の形になる。その中から「個人」の土俵に立った小池候補が精彩を放ち始める。
参院選の延長線、党利党略の主戦場と化している都知事選は批判の対象になっており、それが小池陣営の追い風となる。一方、野党側の動きは混沌とし、その存在感が無い。自ずと「小池百合子」vs「自民党都連」の構図が浮き出てくる。
おまけに自民都連がますます“悪人面”になってくる。報道される自民都連の議員はほとんど「男性」。しかも石原自民都連会長、内田自民都連幹事長など「悪役」を演じる名優が揃っている。
巨大与党組織に1人毅然と立ち向かうジャンヌ・ダルク小池百合子というドラマが展開される。
外からも風が吹く。イギリスではテリーザ・メイ女性首相誕生、アメリカではヒラリー・クリントン大統領候補の連日の報道など小池候補にとってはこれも追い風になる。
更に重要なのが、与党、野党の正式候補が決まらない中、小池候補の武器である知名度を最大限活用する。マスコミ報道を囲い込み空中戦一人舞台を演じる。まさに“先出しジャンケン”の妙である。
前半戦で小池陣営は空中戦に措いてかなり優位な立ち位置を築くことに成功する。空中戦が効く無党派層が動けば小池優位という状況を作り出した。
(後編に続く)
登録:
投稿 (Atom)
