2011年1月28日金曜日

コミュニケーション百景:ムダのない、美しいコミュニケーションとは

本日より「コミュニケーション百景」シリーズを開始いたします。

このシリーズのモットーは“コミュニケーションを24時間考える”です。寝ても覚めてもコミュニケーションを考えることを信条にしています。コミュニケーションでいろいろと思いつくことを書き綴っていきたいと思っています。(詳しくはこちらから)

新年の初釜に参加して再認識したことがある。人の動きが美しいことである。特に家元の茶を点てる一連のしぐさが実に美しい。

茶道の本質は、“非日常”を創造するところにある。茶道は以下の3つのことで“非日常”をつくり出す。

①空間(茶室、庭)
②道具(茶道具、掛け軸、生け花)
③動き(作法、挨拶、歩き方、座り方、立ち方、)である。


特にビジネスマンにとっては、この“非日常”を経験することによって日々の集中力を飛躍的に高めることができる。その結果、新たな発想が生まれ、ビジネスでの攻めの視点がつくれる。すくなくとも、自分にとっては、これが最大の効用だと考えている。

茶道では一般的に茶室や道具に関心が集まりがちだが、茶の飲み方、茶器の扱い方、挨拶の仕方、歩き方、座り方、立ち方など一連の作法が生み出す人の動きが、実は茶道の醍醐味ではないかと最近思うようになってきた。

もてなす亭主や半東(亭主の補佐役)の動きだけではない。もてなしを受ける客の動きも、亭主の動きとシンクロし、ひとつの“動き”の芸術作品をつくり出している。その全体の動きの中に自分が参画しているという意識が“非日常”を感じさせてくれる。

動きが美しいとは“ムダ”のない動きであると言うことである。“ムダ”のない動きは美しいだけではなく、パワーを秘めている。

ムダのない体の動きが途轍もない力を発揮することを太極拳で実体験したことがある。太極拳の動きも実に美しい。武道のように体から最大のパワーを引き出すことを極めていくとムダのない、美しい動きにたどり着く。

茶道でもパワーが求められる。よろけずに垂直にスーと立ったり、座ったりする動きをひとつ採っても結構しんどい。数時間、茶道の作法をしっかりと落ち度なくこなすにはそれ相応のパワーは必要不可欠である。それを支えているのがムダのない動きである。

このように考えていくと、「ムダのないコミュニケーションとは何か」、「それはどのようなパワーを生み出すのか」、「コミュニケーションの美しさとは」などなど想像が広がってくる。

“ムダのない、美しいコミュニケーションとは何か”というテーマをもう少し深堀してみたいという衝動に駆られ始めた。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年1月27日木曜日

戦略コミュニケーションの温故知新:田中愼一流、戦略コミュニケーションの発想の系譜を辿る(2)

このシリーズでは一度、原点回帰という意味で私のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。(前回の「戦略コミュニケーションの温故知新」はこちらから)

PRという言葉を初めて聞いたのは1983年の夏ごろだと記憶している。28の歳ころである。

当時は原宿にあったホンダの本社中南米営業部に席を置き、発電機、水ポンプ、耕運機などホンダの汎用機器製品を中南米向けに売っていった。

部長に突然呼ばれアメリカの首府ワシントンDCへの駐在を命じられる。その際に仕事の内容はPRだと言われたのがPRとの最初の遭遇である。言い渡した部長自身もPRがPublic Relationsの略である以外はまったく仕事の内容を把握していなかった。

アメリカ駐在は嬉しかったが、一方で営業から外れることは残念であった。事務系にとってはやはり営業が主流である。営業から外れて、訳のわからないPRなどの間接部門への配属は、当時、野心旺盛な自分としては出世のキャリアから外れるといった些細な妄想にとりつかれ大きなショックであった。

部長もそこを察したのか、「田中、今度の仕事は今までホンダがやったことのない仕事である。ホンダは目に見えることについてはめっぽう強いが、目に見えないことについてはからきし弱い。これからお前がそれをつくっていくのだ。」と大いに慰めてもらった。

そのときは、「何を言ってやんだい」と上司の慰めの言葉(激励の言葉?)を鼻にもかけなかったが、今から思うと実に要を得たはなむけの言葉であった。

コミュニケーションにとっては「見えないものを見る」力が最も求められる。

最も見えないものが人の意識である。

この見えない意識を見る、そしてその意識に働きかけるのがまさにコミュニケーションの作用なのである。

いずれにせよ、駐在の辞令が出て、その年の10月23日にはワシントンに着任した。そもそもなぜ自分が選ばれたかを後々聞く機会があった。理由は単純であった。当時のホンダの海外営業部門の中で田中が一番英語ができそうだということが理由であった。

なるほどまず言語でコミュニケーションがとれないとPRは難しいという発想だったのだろう。ところが本人は英語ができるという自信はまるっきりなかった。着任した晩、ワシントンのホテルにチェックインする際、どう英語で表現したものか大いに迷った。列に並んで待っている間「Check in please. My name is Shinichi Tanaka.」を口の中で緊張しながら繰り返し繰り返し練習していたことを覚えている。

(つづく)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

2011年1月26日水曜日

戦略コミュニケーションで斬る:日本の政治の風景は変るか?

このシリーズでは、様々な時事的な事象を捉えて、戦略コミュニケーションの視点から分析、戦略コミュニケーションの発想から世の中を見ていきます。(前回の「戦略コミュニケーションで斬る」はこちらから)

民主党政権も、野党第一党の自民党もまったく“ふるわない”。

民主党政権は様々な発信を国民に発信しているが国民がまったく“聞く耳を持たない”。自民党も様々な主張をしているが、“批判するだけと一括される”。

実際に落ち着いてこの16カ月程の民主党政権がやってきたことを見ていくと結構やっている。少なくても“聞く耳”さえあれば、それなりに評価できるところもある。

事務次官会議の廃止、記者会見のオープン化、公共事業の18%削減、行政刷新会議の設置、事業仕分けの実施、密約問題の解明、外交文書公開に関する30年ルールの明確化、地球温暖化対策税の導入などなど、細かく見ていくと政権交代にふさわしい政策を出している。

結果は重要だが、一年ぐらいでしっかりとした結果が出ると考えるならば、それは虫が良すぎる。現実的でない。政権交代によって一国のかたちが変わり、結果が出るまでには相当の時間がかかる。歴史を見れば、このことは一目瞭然である。

最も懸念すべき問題は国民が聞く耳を持たなくなってしまったことである。

その最も大きな原因は政治に対する被害者意識が国民の中で蔓延しているからである。リストラ企業の社内意識改革の仕事をする際に直面する最も大きな課題は社員の中に被害者意識が深く根ざしていることである。「リストラに至ったのは経営の責任だ。社員はその被害者なのだ」といった意識である。

この被害者意識がある限り、新しい経営者が何を発信しようと聞く耳を社員は持たない。企業のリストラ失敗の最も大きな原因がここにある。

企業を再生できるかどうかは社員の被害者意識をどれだけ早く当時者意識にもっていくことができるかどうかなのである。

当事者意識を社員が持ち始めると社員が経営者の背後に見ている“風景”が変わってくる。被害者意識がまだ強いと社員は経営者の背後に「投資家やファンドの指示で経営の失敗のツケを社員に回すことに奔走している姿」を “風景”として見る。

この風景を見ている限り、経営者が何を言おうと社員は聞く耳をもたない。この“風景”を変えられるかが企業再生のカギを握る。これは今の政治にも言える。国民が聞く耳を持たなくなったのは日本の政治の責任である。民主党政権も自民党もその罪は重い。国民に政治に対する被害者意識を植え込んでしまった。

国民が見ている日本の政治の風景は「支持率を上げることに汲々として、受け狙いの発信をしている民主党、与党との協議に頑強に応じず、とにかく解散、解散と連呼、政権奪取を狙う自民党」といった姿である。いずれにしても国民不在の風景なのである。

国民の被害者意識を無くさない限り、国民は引き続き聞く耳を持たない。これが日本の政治をいちだんと混乱に陥れる。

今、日本の政治がやるべきことは国民の被害者意識を当時者意識に変えることである。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

2011年1月25日火曜日

フライシュマン・ヒラード 朝喝(アサカツ):「自分の時間を大切にする」

このシリーズでは、フライシュマン・ヒラード・ジャパン・グループで毎週行っている社員向けのスピーチの一部を紹介していきます。最新のコミュニケーション・ビジネス事情、心得など社内で話しているテーマを垣間見ることができます。(前回の「朝喝(アサカツ)はこちら

先週の土曜日に本を読んでいたら

「朝を制する者は一日を制する
一日を制する者は一年を制する
一年を制する者は一生を制する」
と言う言葉に出会いました。

要は「早起きは大事」ということを言っているわけです。この言葉に触発され、昨日は日曜日にも関わらず、早朝5時に起きてしまいました。土日が来ると日ごろ出来ないことをあれやこれやと考えるのですが、だいたい普段より遅めに起きてしまい、一日が終わって、蓋を開けてみると考えていたことの半分もできないことがほとんどです。

そこで、あれやこれやと考えるよりも、とにかく朝早く起きてしまおうということで、5時起きを決行しました。そして一日終わってみると驚いたことに思っていた以上のことができたのです。これは結構な発見でした。思った以上のことができたのは早起きして時間が増えたという理由だけではありません。

やはり朝の力というのが効いていた感じがします。朝の方が効率が良いとよく言いますが、それを確信した次第です。この前の朝礼で人の集中力や勢いには波があると言いましたが、やはり人間は24時間張り詰めて事をやると言うのは難しい。

一日24時間にメリハリをつけながら、オン・オフをうまく使い分け、自分の波にあわせて動くことがもっとも効果・効率を上げてくれることは事実です。自分の時間の使い方のメリハリをどうつけるかを工夫することが大事であることを実感しました。

それが結果として自分の時間を大事にすることにつながるということです。

皆には「自分の時間を大切にする」ということをもう一度自覚してもらいたいです。われわれの仕事は時間が命です。われわれの時間の使い方が即クライアントに提供しているサービスの質に直結します。先週、先々週とアメリカや香港からの仲間が来て、仕事の効果・効率をさらに引き上げるためにはどうするかをグループ長も含めいろいろとと議論してきました。その中でタイムシートのエントリーに関する新たなプロセスを検討しました。それを順次これから各グループに展開して行きます。

タイムシートのエントリーをより徹底する理由は3つあります。

①時間をうまく管理することが会社の収益性を上げる。

②時間を何に使ったかをしっかりと記録として残すことがコンプライアンス上重要である。

③タイムエントリーをしっかり行うことによって、一人一人が自分の時間を大切にするという意識が醸成される。特に最後の時間に対する意識づけが一番大事だと思っています。

時間を大切にするという意識をもつことが、われわれの世界で成功する秘訣だと言っても過言ではないと思います。自分の時間を大切にできる人は、他の人の時間も大切にします。

時間を大切にすることを心掛けてください。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

2011年1月21日金曜日

戦略コミュニケーションで斬る:政権交代を実現した民主党の失敗

戦略コミュニケーションブログでは、今週から4つの新シリーズを始めました。(4つの新シリーズについてはこちらから)

今回の「戦略コミュニケーションで斬る」シリーズでは、様々な時事的な事象を捉えて、戦略コミュニケーションの視点から分析、戦略コミュニケーションの発想から世の中を見ていきます。第一回となる今回は、「政権交代を実現した民主党の失敗」についてです。

今回の政権交代の一つの反省点は日本政治のプラットフォームを変えられなかったことだとある政治に見識のある人が指摘していた。これは事実である。明治維新の時は根底から政治のプラットフォームをひっくり返してしまった。

しかしながら、その新たなプラットフォームが根付くまでに最低10年の時間を費やした。維新最大の功労者である西郷隆盛が明治10年の西南の役で政治の舞台から姿を消すまでは政治の渾沌が続いた。

そもそも政権交代1年で戦後60年を支えてきた屋台骨をすっかり変えること自体無理な話である。国民の期待も虫がよすぎる。

しかしながら、民主党にも問題はある。古来、政権が交代するときは、まずは「出来ないことでもできると言い切って」国民の期待を過剰なまでに高め、それをテコに政権を奪取する。

言い方は悪いが、一種の“騙し打ち”である。明治維新も「尊王攘夷」というスローガンで多くの人々の期待を高めた。その期待するエネルギーで薩長連合は徳川幕府から政権を奪取した。多くの士族や藩主がそれに騙された。薩摩藩の御殿様だった島津久光や土佐藩の山内容堂なども大いに騙された口である。「尊王攘夷」という当時の世論の熱風を利用して政権交代を実現したのである。

明治政府の凄かったことは政権の座に就いた途端にそのスローガンを引き下げ、「和魂洋才」、「殖産興業」と言って「尊王攘夷」とは真逆の開国政策をうつ。これが政権奪取のメカニズムである。

まず騙して政権を取る。取ったら現実路線をひく。取った者勝ちという原則は政治力学の中に純然として存在する。

民主党は「政権交代」というスローガンを掲げた。政権交代によって日本は大きく変わるという風潮をつくった。更には高速道路無料化、子供手当の支給など財源の手当てが不確実なものまで、国民受けする政策としてマニフェストにまとめ、国民の期待を高めた。

その結果、政権を奪取した。ここまでは政治力学の観点からは正しい。

問題は政権を取ってからである。

国民の期待を高めたのは、あくまで政権を奪取することが目的である。政権を取ったならば、次は実際に国を経営することである。政権を取った段階で、国民の期待を高めることから、国民の期待をコントロールすることへ意識をギヤ・チェンジがする必要があった。ところが、民主党はそれをしなかった。

民主党政権から伝わってくるメッセージは国民の期待を更に上げてしまうものばかりであった。その最たるものが「普天間移設は最低でも県外という」という鳩山総理の発言である。民主党に対する過剰な国民の期待が民主党政権の仇となった。

期待をつくるよりも期待をコントロールすることがはるかに難しいことなのである。

戦略コミュニケーションの発想はまず「期待を読む」、そして「期待をマネージする」ことから始まる。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

2011年1月20日木曜日

戦略コミュニケーションの温故知新:田中愼一流、戦略コミュニケーションの発想の系譜を辿る(1)

今回新たに「戦略コミュニケーションの温故知新」シリーズを始めます。

このシリーズでは一度、原点回帰という意味で自分のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。(その他のシリーズ連載についてはこちらから)

田中愼一流、戦略コミュニケーションの発想の系譜を辿る(1)

戦略コミュニケーションの発想とは、ものを考える時のひとつの“癖”のようなものである。

コミュニケーションとは何かと意識しながら、いろいろと経験する中で培われてくる一種の感度であると最近実感している。頭では理解できても実践することが結構むずかしい。左脳だけでは歯がたたない。かなり右脳を酷使することが求められる。

このコミュニケーションの発想をお難く定義すると「コミュニケーションの作用を目的実現のためにフルに使い切るという志向・思考」となる。裏打ちされた経験の蓄積とある程度の感度の磨きがないと字面だけの理解で終わってしまう。まったく役に立たない。

この“癖”のような戦略コミュニケーションの感度を身につけるには、どうすればいいのかとよく聞かれるが、正直、口をすっぱくして説いても中々実践できるまでのレベルには行かない。やはり経験と実践の積み重ねがものを言う。

自分もコミュニケーションの仕事に携わって早今年で28年を迎える。それでも日々迷う。修行の途上といったところである。ただ重要なことは絶えず、24時間コミュニケーションとは何かと自らを問い続けることである。

それを経験にぶつけ、実践の場でひとつひとつ納得し習得していく道しかない。戦略コミュニケーションの発想は何もコミュニケーションの仕事に従事している人々だけのものではない。あらゆる仕事において実績を挙げるために必要な発想である。

仕事をしっかりとこなして行く上で、組織をうまく経営していく上で、国を正しく導いていく上で、そして人生をしたたかに生きていく上で必要不可欠な視点であり、感度であり、感覚である。

この戦略コミュニケーションの発想を培うには、やはり何らかの“道標”が必要である。何から始めればいいのか。

それはPublic Relations(PR)を理解するところから始まると確信している。日本ではPRに対する理解がまちまちであるが、1983年にアメリカで初めてPRなるものに出会ったことが、コミュニケーションの世界で生きるというその後の自分のキャリアを決定付けた。コミュニケーション歴28年を迎えるにあたり、自分のコミュニケーションの系譜を一度振り返り、整理し、もう一度原点回帰しようと決心した次第である。

PR博士号も、修士号ももっておらず、正式なPRの教育を受けたわけでもない。あくまで事の成り行き、ご縁でPR関連の仕事に長く従事することができただけである。その経験の積み重ねの中から自己流にコミュニケーションの原理・原則を作ってきた。

これから田中愼一流のPRの系譜を思いにまかせながら紐解いていく。その中から戦略コミュニケーションの発想の片鱗を感じ取ってもらえると大変うれしい。
(つづく)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

2011年1月19日水曜日

フライシュマン・ヒラード 朝喝(アサカツ) :“非日常”を創り出す

今回からこのブログでシリーズの連載をスタートいたします。(詳しくは前回を参照)

このフライシュマン・ヒラード 朝喝(アサカツ)シリーズでは、フライシュマン・ヒラード・ジャパン・グループで毎週行っている社員向けのスピーチの一部を紹介していきます。最新のコミュニケーション・ビジネス事情、心得など社内で話しているテーマを垣間見ることができます。

昨日鎌倉で新年の初釜に参加してきました。初釜に参加するようになってから4年。慣れも手伝ってか、今年はあまり緊張せず、茶道のプロセスの中で自分の描いている動作を確認する余裕をもつことができ、少しは上達していることを実感できました。

自分にとっての茶道の効果とは、やはり“非日常”に接することです。茶道は3つのことで“非日常”をつくります。①空間(茶室、庭など)②道具(茶道具、掛け軸、生け花など)③動き(作法、挨拶、歩き方、座り方、立ち方、など)です。

非日常を経験することが日常の集中力を飛躍的に高めます。結果として、新たな発想や視点が生まれるのが最大の効用だと考えています。

先週、フライシュマン・ヒラード・グローバルのInternational Advisory Board メンバーの入交さんとコミュニケーションのビジネスにおける“集中力”の重要さについて話し合う機会がありました。

入交さん曰く「集中力をずっと持続させることは基本的に人間にはできない。大事なことはメリハリをつけ、集中する時としない時とオン・オフを切り替えること。これは意識してもダメで、自分をそのような環境に追い込むことが必要となる。

特にコミュニケーションのビジネスの場合は車やゲーム機器を売っているのと違って、“モノ”に頼れない。自分自身そのものが商品であり、サービスである。よって、集中力の欠如は、即、顧客に対するサービスの質の低下につながる」と。

そこで入交さんが強調していたのが、“非日常”に接することの大切さでした。入交さんも日頃から様々な方や企業のコンサルテイングをしている関係から、集中力の質を上げるためにいろいろな気を配っているそうです。

知っている人もいると思いますが、入交さんは今、アジアのシルクロードをバイクで完全走破を目指して頑張っています。中国から始まり、トルコのイスタンブールを目指しています。全体の行程を7つほどに分け、2年ごとの恒例行事として、それぞれのステージを走破、昨年はカスピ海に到達したそうです。

また、年に一度、国内外のフルマラソンに参加、昨年は宮崎マラソンを完走しました。これが入交さん流の自分を“非日常”に追い込む工夫です。入交さんは今年で71歳になりますが、そのパワーの凄さにはいつも驚かされます。

いずれにせよ、集中力の是非がコミュニケーションのビジネスで成功の成否を握るといっても過言ではないと思います。“集中力”の是非が我々の仕事の質に影響します。

集中力を持続する努力をいくらやっても、集中力の質が劣化するだけで、逆に効果・効率が悪くなり、アウトプットの低下を招いてしまいます。新たな発想や視点をどれだけ持てるかが、コミュニケーションという世界で生き抜くためには重要です。

新年の挨拶の時に一人ひとりが輝くという話をしたが、まずは自分の集中力の質の改善から取り組むのも一つのステップです。“非日常”を自分であえて作り出す。

そこに自分を追い込み、“非日常”を自分ごと化する。意図的に“非日常”をつくり、集中力の質を上げることが皆さんが個々に輝いて行く上でひとつの鍵を握ると考えてください。

茶道が僕にとっての“非日常”であるように、各自がそれぞれの“非日常”を創り出すことを真剣に考えてほしいと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

シリーズ連載開始のお知らせ

平素より戦略コミュニケーションブログをご愛読頂き誠にありがとうございます。

皆様にこのブログをより一層楽しんで頂くために、ブログを充実させていきたいと考えておりました。

そこで、本年より4種類のシリーズ連載を始めることに致しました。
以下、そのタイトルと概要をご紹介いたします。


「フライシュマン・ヒラード 朝喝(アサカツ)」

フライシュマン・ヒラード・ジャパン・グループで毎週行っている朝礼でのスピーチの一部を紹介していきます。最新のコミュニケーション・ビジネス事情、心得など社内で話しているテーマを垣間見ることができます。

「戦略コミュニケーションで斬る」

様々な時事的な事象を捉えて、戦略コミュニケーションの視点から分析、戦略コミュニケーションの発想から世の中を見ていきます。

「戦略コミュニケーションの温故知新」

コミュニケーションの仕事に携わって今年で28年を迎えます。経験をひとつひとつ積み重ねる中で自分なりのコミュニケーションの原理・原則を収得してきたと自負しています。一度、原点回帰という意味で自分のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ようと決心した次第です。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。

「コミュニケーション百景」

“コミュニケーションを24時間考える”がモットーです。寝ても覚めてもコミュニケーションを考えることを信条にしています。コミュニケーションでいろいろと思いつくことを書き綴っていきたいと思っています。

以上、4つのシリーズを始めさせて頂きます。新しい試みではありますが、変わらずご愛読いただければ幸いでございます。

何卒よろしくお願い致します。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。