2012年10月4日木曜日

リーダーの対話力は格闘技(孫子を実践的に読み解き直す4)

孫子に「善く戦う者は、人に致して人に致されず」とある。

戦いに勝つ者は相手を動かすが、相手には動かされないという意味である。戦いとは相手を動かすか、相手に動かされるか、ギリギリのところで勝負を競う。

リーダーの対話力の本質も、正に「人に致して人に致されず」である。

その本質は格闘技と言っても過言ではない。対話の中で相手が繰り出してくる言葉、視点、文脈、考え、議論などを交わしながら反撃、共感を醸成する一方で恐怖感を煽り、相手の意識に揺さぶりを掛け動かす。

リーダーの対話は相手を動かすことに集中する。

リーダーとしての対話力の是非が最も顕著に現れる一つの場がトップがマスコミの取材を受けている時である。如何に記者に「致されず」に記者を「致す」かがリーダーの対話力のバロメーターになる。

記者の評判の良いトップが必ずしも対話力が高いとは限らない。往々にして、記者の評判が高いリーダーほど、記者に致されている場合が多く、記者にとってはスクープが取れる好都合な相手なのである。

取材は何も記者が求めている情報を与えるだけの場ではない。トップとして企業や組織の方針、考え、思い、政策をしっかりとマスコミを通じて世に知らしめることが本来の目的である。

ところが厄介な事に、こちらと記者の取材における利害が必ずしも一致するとは限らない。

新商品やサービスなどに関する話ならまだしも、クライシスなどの有事における事業戦略の見直し、世論を二分する政策方針の選択などのキツイ話になると取材を受ける側、する側で利害が真っ向から対立する場合がよくある。

ここをどう仕切るかがリーダーの対話に求められる、その力が試される。

2012年8月9日木曜日

日本のリーダーの対話力をダメにしている4つのポイント(孫子を実践的に読み解き直す3)

何故、日本のリーダーの対話力は概して低いのか。4つの理由がある。

(1)そもそもコミュニケーションを力として認識していない。

コミュニケーションというと意思疎通を図る、情報共有する、仲良くするなどその事象面での理解で留まっている。飲みニュニケーションなる言葉が使われているぐらいである。

コミュニケーションを事象面で理解するのではなく、その目的から考えれば、コミュニケーションはスバリ「人を動かすパワー」である。この認識は比較的世界の常識になっている。

日本だけがコミュニケーションを力として認識することが希薄なのである。

欧米の企業エリートなどと対話していると、日本の企業人に比べて一言一言が計算し尽くされている事を痛感する。無駄がない、その発する言葉に必ずメッセージが秘められている、対話の目的を十分意識して話している、まさにコミュニケーションをビジネス遂行のパワーとして認識している。

対話とはコミュニケーション力の行使なのである。

(2)対話力を個人のレベルでとらえている。

組織の対話力という発想が日本のリーダーにはない。

リーダーとしての対話力の延長線上には、必ずそのリーダーが率いる企業の対話力がある。ここのところが日本企業人は甘い。企業の対話力とは、その企業の存亡に大きく左右する様々なステークホルダー(利害関係者)を対話で動かす力である。

これから先進国経済では企業創造以上に企業再生が注目されてくる。既に存在する企業を再生した方が、新たに企業を創造するよりも経済活性化の効率が圧倒的に高い。米国では連邦倒産法チャプター11(イレブン)を適用、力強く再生した企業は沢山ある。これが米国の経済の活性化に大きく貢献している。

最近の例では世界最大の自動車メーカーであるGMは5年程で再生に成功した。日本でも2年程でスピード再生に成功した日本航空が今、注目されている。その他にも、東電、ルネサス、エルピーダなど大型の企業再生が目白押し。企業再生の場合、企業の対話力が最も問われる。

投資家には債権放棄、社員にはリストラ、賃金カット、顧客には商品・サービスの停止、更には公的資金を投入する場合は政府、世論への説明責任など、様々な利害関係者との対話が必要とされる。企業の対話力の是非が問われるのである。

(3)日本人は対話が下手だと思い込んでいる。

日本人はコミュニケーション音痴だと自虐的に思っているリーダーが結構多い。

ところが、今、日本流のコミュニケーションが見直されてきている。欧米のコミュニケーションの源流はアリストテレスの著書「弁術論」の中に見て取れる。その本質は二元論である。是非の論理である。こちらが「是」で相手が「非」。言い方を変えれば、こちらが正しく、相手が間違っているという前提で、相手を様々なやり方で説得する。まさにデイベート(debate)の世界である。

しかしながら、この二元論、是非論のやり方が、世界で通用しなくなってきている。世界の多極化、価値観の多様化、利害の多元化のためである。一方的な考え方、価値観、利害では説得できなくなってきている。それが様々な対立を生んでいる。このような世界では説得されるよりも納得するコミュニケーションのあり方が求められてくる。ここに日本人のコミュニケーションが注目される背景がある。

日本人ほどに多様性に寛大な民族は世界に稀である。日本には八百万の神(やおよろずのかみ)がこの小さな島国のなかで仲良く寄り添って存在するぐらい多様で異質なものを受け入れる精神的土壌がある。明治維新の時も、太平洋戦争後も、日本人は多くのものを海外から取り入れ、奇跡的な発展を遂げてきた。

この精神的土壌が相手を完全に否定せず、是非で割り切らず、相手の視点にも立って落とし所を探るという柔軟性のあるコミュニケーションを生む。今までは、この柔軟性がハッキリしないとか、不明瞭だとか、YesかNoかわからないという批判にさらされてきた。

(4)日本人が持つ特有な非言語対話の妙力、凄さを認識していない。

日本は長い時間をかけて孤島の中で独自に優れた非言語対話の手法と感覚を培ってきた。阿吽の呼吸によって対話し合える手法である。気遣い、心配り、おもてなしなど言葉による表現を借りずに相手の気持ちを読み取り、先取りし、理解、共感、信頼を創り上げる日本人独自の感覚である。

KY(空気読めない!)という流行り言葉も「周りの意図を読み取れ」という日本人の意識の底流にある本音から出たものである。この独特な非言語対話力では日本は世界を圧倒する。日本のリーダーの対話力を支える大きな強みである。問題は日本のリーダーこの認識が薄い、強みとしての認識していないことである。世界では通用しないと勝手に思い違いしている。弱点だとさえ思い込んでいる節もある。

孫子は「相手を動かす」という一点にこだわった兵法書である。
「人を動かす」、「組織で動かす」、「違いで動かす」という基本的な考え方が孫子が説く戦いの原理原則の底流にはある。


それは言い換えると、コミュニケーションを人を動かす力として認識すること、しかも、それを個人レベルに止めず組織としてのコミュニケーションの力を考えること、更には違いを活かすことによってコミュニケーションにレバレッジを掛る発想なのである。

2012年7月26日木曜日

リーダーシップと対話力(孫子を実践的に読み解き直す2)

リーダーシップの本質は相手を動かすことである。

リーダーは様々な相手を事業戦略実現のために動かす。社員、組合、顧客、取引先、政府当局、投資家、地域社会、世論などである。所謂、ステークホルダー(利害関係者)である。リーダーは対話で相手、すなわちステークホルダーを動かす。

対話とは相手の意識への働き掛けである。対話を通じて何らかのメッセージが相手に伝わり、その意識が変わる、相手が動く。対話とは人を動かす力の行使とも言える。対話力の是非がリーダーシップ発揮の有無を決める。


しかしながら、リーダーの対話力だけではステークホルダーは動かない。リーダー自身の対話力に加え、自らが率いる組織の対話力を高めることが事業戦略実現に向けてステークホルダーを動かす鍵を握る。

自分の対話力と同時に組織の対話力を築くことが、これからのグローバル・リーダーには求められてくる。

慨して日本のリーダーは欧米、中国、韓国、インドなど世界に比べると、相手を動かす対話力に対する認識が低い。

先日、日本の主要なテレビ、新聞、経済誌の記者に調査、日本企業トップの取材での対話力を聞いて見た。ダントツ・トップが日産のカルロス・ゴーン氏であった。日本人の経営者ではなかった。ゴーン氏はリーダーとしての対話力が優れているだけでなく、日産という組織の対話力も高めたことが評価されている。着任早々、まず手を付けたのが社内外の広報体制の強化である。日産が直面する窮状を乗り切る上で組織の対話力が必要だった。

GMの再生を果たした元会長のウィデカー氏も組織の受信と発信機能を一元化したコミュニケーション部門をCEO直属とし、GMの対話力の強化を推し進めた。連邦倒産法の適用、巨額の公的資金を投入などあらゆる利害関係者、更には世論との対話が企業再生成功への鍵を握ったからである。

日本では新しい経営陣となった東電が今後どれだけ組織の対話力を強化、国民との対話を促進できるのかが最大の課題である。原発の再稼動の問題における政府の対話力も今大きく問われている。

孫子は戦争を国家の存亡を掛けた一大事業と考える。国家の事業戦略をどう実現するのか、そのために全てのステークホルダーをどう動かすのか、国家の対話力をどう行使するのかを徹底的に追求した書と言える。

言い換えれば、国家の対話力の延長線上に戦争を考える。著書の中で「戦争は、他の手段をもってする政治の延長」と述べた西の孫子とも揶揄される「戦争論」を記したクラウゼビッツの考え方と通じるところがある。

2012年7月20日金曜日

孫子を実践的に読み解き直す

人間の最大の敵は人間の意識である。有史以来、これは変わらない。

今、世界が直面している様々な問題においても突き詰めていくと最終的には人の意識が変わらないという一点に行きつく。「敵は内にあり」で人間自身の問題なのである。

人間の意識の中に人間の最大の敵が隠れている。

ホンダの創始者本田宗一郎さんが「人の意識は大型タンカーの様にイナーシアが強い」という事を話してくれた事がある。イナーシアとは物理学で習う慣性の法則の慣性を意味する。慣性とは摩擦がゼロとするとある物体に一定の力をかけると、その物体は一定のスピードで一定の方向にずっと走り続ける性質のことである。

本田さんは人間の意識も同じように強い慣性を持っていると言う。大型タンカーのようなものだと。大型タンカーは舵を切っても5~6kmは直進してしまう。人間の意識も同じで直ぐには方向を変えられない。

経営が直面する最大の課題は変わらない人間の意識をどう変えていくかである旨を話されたことがある。1989年、日本人として初めてアメリカの自動車業界の殿堂入りの式典に参加するためにデトロイトに来られた時の話である。自分は当時ホンダのデトロイト事務所の責任者をしていた時の話である。

これが人の意識を変えるコミュニケーションという力が経営にとって如何に重要かという事を認識した時でもあった。戦略コミュニケーションの世界で生きることを決めた瞬間でもある。

経営の最大の悩みは人が思うように動いてくれない、人が想定外の動きをする、言い換えれば社員が事業戦略実現に思うように動いてくれない、顧客が自信を持って勧めている商品を買ってくれない、投資家が事業に投資してくれない、当局が事業戦略戦略実現のための障壁を理解してくれない、世論が事業活動の成果を正当に認めてくれないなどなど、経営の本質はこの変わろうとしない人の意識と向かい合い、人を動かすことである。

古今東西の多くの古典がこの人の意識とどう向き合うかという厄介なテーマを取り上げてきた。中でも秀逸なのが「孫子」である。兵法書というよりも人間意識の研究書と言ったほうがピッタリくる。

孫子は最古の兵法書として多くの人が夫々の立場から読み解いている。兵法や中国古典の専門家以外でも経営的視野から、リーダーシップ論の視点から、更には人生教訓の考えからなど様々な解釈、読み解きがなされている。

しかしながら正直なところ、その多くのものが表層的で、実践的な側面が欠落している印象を拭いきれない。中にはここまでこじ付けるかと驚く程に安っぽい人生指南書如きものもある。26年以上戦略の実現に資するコミュニケーションに携わって来た経験から孫子に接すると

その主題は「人の意識を変える、動かす」の一言に尽きる。

孫子をより実践的な書として現代に蘇らせることが出来たらという強い思いがある。

そこで孫子を戦略コミュニケーションの視点から読み解き直すことにした。孫子は戦略コミュニケーションを体系的に理解する上でまたと無い古典である。

欧米流のコミュニケーションが限界を迎えている昨今、東洋の代表的な古典である孫子の発想を使って、世界で今起こっている最先端のコミュニケーション力学を更なる次元にまとめ上げていくことができれば面白い。

2012年5月25日金曜日

コミュニケーションという視点で世間を見る。新たな発見が。

ブログを書き始める。最後、書いたブログは昨年の8月一年以上も前になってしまった。理由は3.11の震災。あの事件以来、世の中の流れも変わった。自分の意識の有り様も変わった。3.11の震災は日本人にとって一つの節目である。新たな気持ちになってブログを再開する。

コミュニケーションという視点で世間を見る。新たな発見が。


一度、コミュニケーションを主軸において世間を見ることをお勧めする。所詮、人の世は「つながり」と「しがらみ」の世界。人のコミュニケーションの在り方が、「つながり」と「しがらみ」をつくる。

「つながり」とは相手を動かす関係、「しがらみ」とは相手に動かされる関係とでも考えれば良い。「つながり」だけを求めるのは虫が良すぎる。「つながり」を作るには、必ず「しがらみ」がついて来るのが人の世の常。


差し当たっては「つながり」を最大化、「しがらみ」を最小化することを心掛けることが肝要。

この「つながり」と「しがらみ」をコミュニケーションによってどう交差させていくかが人の人生の行方を左右する。疎かにはできない。

経営も人の「つながり」であり、「しがらみ」である。そろそろ経営学という視点だけから見るのも程々にして、人の世の営みを支えているコミュニケーションという多面的な尺度から経営を見ることが重要になってきている。いや、コミュニケーションという多面的に人間をとらえて行くアプローチなしでは、これからの経営は二進三進(にっちもさっちも)行かなくなる。

特に、21世紀、経営が直面する最大の課題は人の意識である。人が思うように動いてくれない、人が想定外の動きをする、これでは経営が成り立たないという時代がすぐそこまで来ている。機械的で理論偏重の経営学的枠組みでは太刀打ちができなくなる。

経営に携われば直ぐ分かることだが、経営の本質は人を動かすこと。人を動かさない限り、どんなに素晴らしい事業戦略があっても絵に書いた餅。ところが、人を動かすとということは、結構ドロドロした世界に踏み込むことになる。整合性のとれた、綺麗な理論では手に負えなくなる。

人間は我々が思う以上に複雑な生き物なのである。極端に言えば人間にとって最も厄介な存在が実は人間自身なのである。ここをどうマネージしていくかが全ての経営に携わる人にとって緊急の課題なのである。ここにコミュニケーションというパワーを使いこなす力量が経営に問われてくる。

ところが、殆どの経営者が、このコミュニケーションのパワーを体系的に実践する方法を教わったこともなく、日々の業務の中で、見よう見まね、試行錯誤をしながらその経験の積み重ねで何とかコミュニケーション的課題に対応している。ことコミュニケーションに関しては四苦八苦しているのが現状である。

これからはコミュニケーションのパワーを経営戦力に転換する発想がますます経営に求められてくる。