2011年2月25日金曜日

ロビイングの本質を実感する(前編)(戦略コミュニケーションの温故知新* 第6回)

ワシントンに赴任してから数ヶ月間は飯塚所長に連れられていろいろな人に会った。トヨタ、日産、日本自動車工業会、大使館などワシントン在住の関係者、米国の議員、政府関係者、などである。

ロビイング (Lobbying)というからには、さぞかし水面下の裏話でもするのかと思いきや表面的な情報交換で終始する。ワシントンの高級ホテルで暗躍するロビイストのイメージを持っていただけに当てが外れた。

実際のところロビイングは必ずしも水面下で動くことばかりではない。正々堂々と企業を代表して議員に会い、政策変更の論陣を張ることもある。また、ロビイングと似た言葉で Government Relations(GR)、Public Affairs(PA)がある。

Lobbying、GR、PAとこれらの概念を明確に区別することに然して意味はないが、

Lobbyingは政策や法案の内容に直接影響を与える活動、

GRは政府との包括的なコミュニケーション活動、

PA(Public Advocacyとも言う)は政策や法案に影響を与えるため世論の支持を取り付ける活動

と大まかに整理できる。

日本の自動車会社の中ではホンダがワシントン事務所設置の先鞭をつけた。アメリカ人だった初代の所長はビル・トリプレットというワシントンでは名を馳せたロビイストであったらしい。当時、トリプレットは攻めのロビイングを志向、守りのロビイングを方針とする米国ホンダの考え方と対立した。

結果、トリプレットは去り、二代目の所長として日本人の飯塚さんが着任した。1983年当時のホンダのワシントン事務所は積極的なロビイングは行っていなかった。トヨタ、日産と異なり、所謂、大物ロビイストも雇っていなかった。米国運輸省からの規制情報の収集、分析や議会での自動車関連法案情報のモニタリングが中心となっていた。1メートル以上に積み上がるほどのレポートが毎日“生産”されていた。

(つづく)

*「戦略コミュニケーションの温故知新」。このシリーズでは一度、原点回帰という意味で私のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。(前回はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年2月24日木曜日

“覚悟”を伝えるための方程式と3つの行動(後編)(戦略コミュニケーションで斬る*第5回)

前回からのつづき)

下手な弁解や主張をすれば、“逃げている”という印象を与え、世論の批判はさらに加速度を増して企業を追っかけてくる。

企業トップが、そして企業全体がその覚悟をどれだけ“行動”で示せるかがクライシスを乗り切るための要である。それには基本的に3つの“行動”が求められる。

①まず、クライシスによって生じた被害の更なる拡大を抑えることを最優先することである。

生じてしまった被害への手当ても重要であるが、そこに気を捉えられ過ぎて新たな被害の発生を防止できず、被害者を増やす結果になる。また、被害の拡大を抑えることが企業利益の観点から矛盾する事態も起こる。例えば、まだ事故の原因が判明していない段階で流通した全商品を回収するなどは企業に経済的に莫大な損失を与える。

経営トップはクライシス対応と企業利益のどちらを優先するのかの判断に迫られる。企業利益を優先、未然防止の対応が不十分で、仮に被害が拡大すれば回避しようとした経済的損失より遥かに大きな様々な損害を企業は被ることになる。経営陣の交代、ブランド価値の毀損、社会的評価の崩壊、社員の帰属意識の低下、販売の減少、当局からの調査などである。クライシスに対する経営トップの“覚悟”の程が試される。

②次は社内の危機意識の醸成である。これによって、社員のひとりひとりにクライシスに対する当時者意識を植え付け、それぞれの持ち場でしっかりと対応することができるようになる。組織全体のクライシスに対する感度が飛躍的に高まる。結果として新たなクライシスの連鎖を防ぎ、その終息を加速化する。企業のステークホルダーとの接点は社員が担っている。そこに当事者としての危機意識が醸成されれば、周りにしっかりとそれが伝わる。社内の覚悟が伝わってくる。

③最後は、クライシスを一刻でも早く終息させるために様々なステークホルダーの協力を取り付けることである。クライシスの内容が深刻であればあるほど企業だけの単独の対応では限界がある。企業のあらゆるステークホルダーに協力を呼びかけ、クライシスの終息をはかる姿勢を示すことは重要である。クライシスを一刻も終息させるためには、社員に限らず、顧客、流通チャネル網、下請け企業などの取引先、監督官庁、自治体、警察などの当局、地域住民、社員の家族などより幅広いステークホルダーへの協力の取り付けることが肝要である。クライシスに対する企業のリーダーシップを発揮することが企業の覚悟を示すことになる。

これらの3つの行動をとる際に従うべきひとつの原則がある。覚悟を示すための方程式である。

それは“他に痛みを求める前に、まず自らが痛みを感受する”という原則である。これがないと“覚悟”は伝わらない。これが覚悟を示すための序曲である。覚悟を示す最高責任者は経営トップである。その進退をかけ、自分の利害を省みない姿勢、企業利益に引きずられない判断力、競争相手も含むあらゆるステークホルダーに協力を呼びかける勇気など、これらの要素が経営トップの覚悟をメッセージとして伝える。日本の政治は今クライシス・ステージに入っている。

国民は政治から“覚悟”を求めている。

政治が“覚悟”を国民に示さない限り、被害者意識を国民は持ち続ける。与党も野党もその“覚悟”を国民に伝え、政治に対する当事者意識を醸成することが使命である。

*「戦略コミュニケーションで斬る」。このシリーズでは、様々な時事的な事象を捉えて、戦略コミュニケーションの視点から分析、戦略コミュニケーションの発想から世の中を見ていきます。(前回の「戦略コミュニケーションで斬る」はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年2月22日火曜日

ホンダ、ワシントンDC事務所での葛藤(戦略コミュニケーションの温故知新* 第5回)

1983年10月にホンダの米国ワシントンDC事務所に赴任した。当時のワシントン事務所の陣容は6人。

日本人の所長1名、米国人のマネージャー1名、米国人アシスタント・マネージャー1名、そして米国人スタッフ3名、合計6名である。そこに自分が加わり、7名体制となる。

国籍でいうと日本人2名、米国人5名であるが、男女比で見ると、日本人以外はすべて女性である。

直属の上司は事務所長である飯塚さんという方で、ワシントンに来られる前は、本社の北米営業部長、その前はドイツ・ホンダ社長を歴任、元々は伊藤忠商事の出身である。当時、ホンダで英語の達人ベスト3の1人に数えられていた人である。

着任早々、マネージャーであるトニー・ハリングトン女史からオリエンテーションを受ける。彼女とは直接の上下関係はない。タイトルで言えば、彼女はManager、こちらはAssistant to Senior Vice President(SVP)といった曖昧な位置づけである。

当時の米国ホンダには社長のほかに7~8人ほどの日本人SVPが存在、四輪販売、二輪販売、汎用販売、研究開発、総務人事など各部門を統括、それぞれに日本人のAssistant to SVPがつく。自分の場合も政府交渉などのロビイングとPublic Relations(PR)部門の立ち上げを統括する飯塚事務所長に直接つくといった立場である。

一種の“黒子”の役割を期待されている。米国人からすると少々煙たい存在でもある。正式な組織図に入らない立場なので、権限や役割があまり明確になっていない。それでも日本人であるため、米国内の日本人同士のコミュニケーション、日本本社とのコミュニケーションをはかる上で重要な役割を担うポストでもある。

この2重構造という一見指揮系統に曖昧さを残した組織形態が、結果として80年代の日米通商自動車摩擦とホンダが戦う上で威力を発揮することになる。

いずれにせよ、この2重構造を彼女も心得ている。自分の仕事にこの若い日本人をどこで役立たせるか、慎重に品定めをしている。さすがにワシントンではそれなりに名を馳せたロビイストらしく、机がいっぱいになるほどの書類を持ち込まれ、延々と説明が始まった。

正直、まったくわからない。ロビイング自体何をやるのか、皆目検討がつかない。どえらい所に来てしまったというのが率直な気持ちだった。

*「戦略コミュニケーションの温故知新」。このシリーズでは一度、原点回帰という意味で私のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。(前回はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年2月18日金曜日

“覚悟”を伝えるための方程式と3つの行動(前編)(戦略コミュニケーションで斬る*第4回)

今の日本の政治的混乱は政策の問題というよりも国民とのコミュニケーションの問題により起因している。

国民の空気が読めない日本の政治の問題である。結果として国民の政治に対する被害者意識を生み出し、国民が政治に対して聞く耳を持たなくなってしまった。

国民の被害者意識を払しょくし、当時者意識を醸成しないと日本の政治の半身不随の状況はつづく。空前の財政危機、社会保障制度の崩壊、経済活力の停滞などの大きな課題を乗り越えるためにはどうしても国民の当時者意識を醸成することが必要不可欠である。国民の被害者意識を払しょくするには政治の覚悟を示すしかない。

国民は政治に今、覚悟を求めている。政策云々の話よりも民主党、自民党どちらが日本を変えるための“覚悟”があるのか、その本気度を見ようとしている。しかしながら、国民が今見ている日本の政治の風景は「民主党は支持率を上げることに汲々として、受け狙いの発信をしている、自民党は与党との協議に頑強に応じず、とにかく解散、解散と連呼、政権奪取を狙う」党利党略に走る政治の姿である。

事実の是非はともかく、国民にはそのように日本の政治が見える。これでは政治の覚悟など国民には全く伝わらない。一方、言葉で“覚悟がある”と連呼しても国民にとっては絵空事として映る。“覚悟”は唯一行動で示す以外にない。

企業クライシス・コミュニケーションという分野がある。その内容は企業が危機に直面した際にどのような立ち位置を取るべきか、そのためには誰に対して、どのようなメッセージを、どのタイミングで、どのような方法で伝えるかを指南するコミュニケーション・コンサルテイングである。企業が事故や事件を起こすとかならず「加害者 vs 被害者」の構図が生まれる。企業は“加害者”として一挙に色を塗られ、一方的な批判に晒される。

このようなクライシス・モードに入ってしまった企業にとって残された道は、事故や事件によって起こった被害を一刻も早く終息させるために、その“覚悟”をどれだけ示せるかである。これが状況を打開するための企業にとっての唯一の武器なのである。言い換えれば、「当事者意識をもって事に当たっている」という姿勢を強く示す以外に助かる道はない。(つづく)


*「戦略コミュニケーションで斬る」。このシリーズでは、様々な時事的な事象を捉えて、戦略コミュニケーションの視点から分析、戦略コミュニケーションの発想から世の中を見ていきます。(前回の「戦略コミュニケーションで斬る」はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年2月16日水曜日

相手の関心をぶれさせずに対話し続けるコツ(戦略コミュニケーションの温故知新* 第4回)

英語は“慣れ”が重要である。英語で対話する力は“慣れ”の関数である。

慣れれば慣れる程に英語の対話力は上がってくる。対話は覚えている語彙数よりも慣れの度合いのほうが重要だ。

1983年の10月ワシントンに着任する前に、手続きをするため、ロサンゼルスにある米国ホンダ本社にまずは立ち寄った。そこで数泊し、ワシントン入りを準備する。

その際、アメリカの総務が間違ってロサンゼルス~ワシントン間の飛行機をファースト・クラスで手配してしまった。もう手配してしまったものはしょうがないと自分で勝手に言い聞かせ、フライト・チケットを換えることなく飛行機に乗り込んだ。ファースト・クラスは初めてである。いささか緊張しながら席に着くと、国内線であったため、国際線のビジネスクラスより若干レベルが低い程度のものであった。

しかしながら酒は飲み放題である(国内線はビジネスがない)。席に着くと、隣の席に30代ぐらいのアメリカ人男性がすでに座っており酒を離陸前なのに飲んでいた。自分も酒はいけるほうなので、隣の男性が飲んでいるものと同じものを注文した。出てきた酒がドライ・マティーニのオンザロックであった。ドライ・マティーニは飲んだことはあったが、氷を入れるのははじめてであった。シェイクして、冷やし、氷なしで飲むストレートアップよりもアメリカではオンザロックの方が普通らしい。

実際に飲んでみるとジンとドライベルモットのカクテル(これがドライ・マティーニ)というよりもジンのオンザロックであったが実にうまかった。いずれにせよ、離陸前に二人の酒もりが始まってしまい、離陸から4時間、ワシントンのダレス空港につくまで、この酒宴は続く。

直属の上司になるホンダのワシントン事務所長が空港まで迎えに来てくれていた。酒の匂いをプンプンさせ、到着した新任の27歳の部下に甚だ当惑した様子であった。

上司の顰蹙(ひんしゅく)を買ったとは言え、ダレス空港到着までの4時間のフライトはひとつの体験であった。酒の力を借りたものの長時間アメリカ人と話が途切れることなく対話し続けることができたことである。もともと日本語でも日常会話が苦手な性質(たち)である。人と長く目的なく会話することが、能力的にできないらしい。

対話と会話は違う。会話は目的のないもの、対話は目的があるものと勝手に決め込んでいる。

ある意味4時間話続けること自体が結構な試練であった。会話がダメなら対話で行くしかないと覚悟を決めた。「アメリカに着任、まず目の前の一人のアメリカ人にホンダを理解してもらう、日本も理解してもらう」を対話の目的として自らに果たした。

あとはダレス空港到着までの4時間でどれだけ、その目的が達成できたかである。鍵は質問にある。相手の関心を絶えずこちらの関心の領域に留めておくためには質問で誘導するしかない。
「何の車にのっているのか?」、「日本車に対するイメージは?」、「ホンダの車をどう思う?」、「トヨタや日産との違いは?」、「ホンダだけがアメリカで生産していること知っている?」、「日本への輸入車に対する関税ゼロ%知っている?」、「本田宗一郎知っている?」などなど、途切れずに質問を“つなぐ”。


重要なのは、それぞれの質問への答えを十分に聞く。これは相手に対して好印象を与えるだけでなく、相手の答えた内容の中から次の質問をするきっかけを見つけることができる。これが質問を“つなぐ”ということである。これができないと相手の関心が別の方向にぶれる。4時間相手の関心をぶれさせずに維持するには、この質問のつなぎ力が試される。この時の実感である。酒好き、話好きのアメリカ人と席を隣り合わせたことが効を奏した。

*「戦略コミュニケーションの温故知新」。このシリーズでは一度、原点回帰という意味で私のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。(前回はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年2月9日水曜日

支持率の呪縛にあっている日本の政治 (戦略コミュニケーションで斬る* 第3回)

鳥インフルエンザーが宮崎県で猛威をふるっているが、政治の世界では支持率インフルエンザーが猛威をふるっている。

どうもこの10年ほどで支持率=民意という構図をもった病原体が日本の政治の中で増殖している嫌いがある。これが日本の政治の混乱の一つの原因になっている。

この病原体の発生のきっかけをつくったのは小泉純一郎首相である。小泉首相は世論の力学を巧妙に使いきった日本で初めての総理大臣である。

世論をテコに自民党の派閥力学を叩き、当時、野党第一党であった民主党のマニフェスト攻撃をかわした。

結果、6年にわたる長期政権を維持する。小泉首相は支持率が世論力学を稼働させる鍵であることを十二分に認識しており、支持率を大いに利用した。その結果、支持率偏重の流れが政治の世界に定着してしまった。

最近はへたすると週に一回のペースで支持率がマスコミ各紙から報道されるといった異常な状況である。

しかしながら、小泉首相は支持率を利用したものの、それに振り回されることはなかった。問題はその後を継いだ歴代の首相の方々である。程度の差はあるにせよ、皆、支持率を利用するどころか、支持率にまったく翻弄されている。極端な言い方をすれば支持率を見て政治を行っている。

自分が長く籍を置いた自動車の世界では「市場調査では車はつくれない」という格言めいたものがある。市場調査とは言い換えるとユーザーの支持率調査である。この支持率調査を見て、それを鵜呑みにして車をつくるとえらいことになる。市場調査によっていくらユーザーの声を聞き、その声に従って車を開発しても売れる車はつくれない。ユーザーが既に気づいているニーズをいくら反映して車をつくってもユーザーは満足しない。売れる車をつくるには、ユーザーがまだ気づいていない潜在的なニーズをつかむことである。自動車の開発では設計・開発者のあくなき探求心と“このような車をつくりたい!”という強い情熱が車づくりの成功の是非を握る。ユーザーの潜在的なニーズを何としても先取りして捉まえるという設計・開発者の使命感ともいえる“覚悟”が必要となる。

ホンダに籍をおいていたころこのような使命感と覚悟を持つ“車の神様”のような人たちがいっぱいいた。彼らが、どんどんユーザーの潜在ニーズを先取りしていくのである。市場調査も重要であるが、車づくりではあくまで補完的なものであり、最終的にそのデーターを生かすも、殺すも設計・開発者の覚悟による。

政治の世界でも同じである。国民がまだ気づいていない課題やニーズをしっかりと先取りし、捉まえ、政策として打ち出すことが政治の使命である。支持率だけでは本当の国民の課題を吸い上げることはできない。「支持率=民意」という構図は危険である。支持率には表れない潜在的民意をというものを先取りして捉まえることが本当に民意に応えるということである。ここでも政治家の“覚悟”が問われる。

*「戦略コミュニケーションで斬る」。このシリーズでは、様々な時事的な事象を捉えて、戦略コミュニケーションの視点から分析、戦略コミュニケーションの発想から世の中を見ていきます。(前回の「戦略コミュニケーションで斬る」はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年2月8日火曜日

千原ジュニアから学ぶ“ネタ探しの極意”(フライシュマンヒラード 朝喝(アサカツ)* 第3回)

今日は、日常生活においてコミュニケーションの視点からものを見るという癖をつけることが大事だという話をします。

2009年に一ツ橋大学の学園祭に呼ばれ、ロンブーの敦さんと対談する機会があり、その時以来、吉本芸人のコミュニケーションの手法に注目してきました。

週末にジャニーズの嵐の番組で千原ジュニアが出演、話し方の講座をやっていました。その中で、印象的だったのが、話し方を鍛えるために、千原ジュニアが日常心掛けていることです。彼は自分が見たこと、聞いたこと、経験したことなどの中からお笑いのネタを見つけ、すぐ人に話すことを実践しているそうです。

僕も面白かった事をすぐ人に話す癖があります。人はよく僕のことを「人の話をよくパクる」と言いますが、“パクリ”は“真似”とは違います。こちらのひと捻り(ひねり)を加えてはじめて“パク”った事になります。このひと捻り(ひねり)が重要なのです。捻るとは、言い方を換えれば“ネタ”にすることです。見たこと、聞いたこと、経験したことの中からネタを探すことです。千原ジュニアの場合は、お笑いのネタを日常の生活の中から探し続ける不断の努力をしているわけです。

僕の“パクリ”癖は多くのジャーナリストとの接点(メデイア・リレーション)の中から身についたものです。27年近くコミュニケーションの仕事をやってきましたが、その間に約3000人近くのジャーナリストといろいろな接点をもちました。

ジャーナリストと関係性をつくるには、どうしてもネタが重要です。ジャーナリストが面白いと思う捻りです。記事を書くのに役に立つネタです。このネタを豊富に提供するからこそジャーナリストとの関係をつくりあげることができます。ところが問題は、ネタ欠乏症にすぐ陥ってしまうことです。

お笑い芸人が絶えず笑いのネタをつくり出し続けなければならないように、凄腕のメデイア・リレーションの達人になるためには、捻りネタを絶えず見つけ出す努力が必要となります。特に米国ホンダの広報をやっていた時にはホンダの話だけでは、ネタはすぐに尽きてしまいます。他の自動車メーカーの話、業界全体の課題、自動車の通商問題、さらには日本政府の政策、日本の産業構造、日本の文化・歴史にまで及ぶ幅広い分野でのネタ探しをするわけです。

しかもそれはジャーナリストから見ても面白いという捻りがあるものでないとダメです。こうなるとネタ探しの旅に絶えず出ているようなもので、物事や事象に対する観察力、そこからネタを捻り出す意味づけ力、そして、そのネタを相手に伝える伝達力が自ずと備わってきます。

日常の様々な事象や出来事の中から捻りネタを見つけ出し、人にそれをすぐ話すことを心掛けている千原ジュニアの姿勢はコミュニケーションを生業とするわれわれにとって非常に参考になるということです。

(つづく)

*「フライシュマンヒラードの朝喝(アサカツ)」。このシリーズでは、フライシュマン・ヒラード・ジャパン・グループで毎週行っている社員向けのスピーチの一部を紹介していきます。最新のコミュニケーション・ビジネス事情、心得など社内で話しているテーマを垣間見ることができます。(前回の「朝喝(アサカツ)はこちら

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年2月4日金曜日

企業のグローバルな広報活動に求められる事(コミュニケーション百景* 第2回)

茶道の面白いところは、客は一方的にもてなされる訳ではない。 (前回はこちらから)

もてなされる側にも作法がある。亭主側にはもてなす作法が、客側にはもてなされる作法がある。茶道は「動きの芸術作品」と表現したが、もてなす亭主、もてなされる客、お互いにそれぞれ作法を通じて動きをシンクロさせながら数時間に及ぶひとつのパフォーマンスをつくっていくのが初釜の茶会である。

客には正客、連客、詰客とある。正客は茶事の主賓である。主賓である正客の後に次客、三客、四客と連客がつづく。そして連客の中の最後の客が詰客である。客側で重要な役割を担うのが正客と詰客である。

正式には正客だけが茶席で亭主と会話ができる。正客が亭主との動きのやり取りを仕切ると言ってよい。その正客の動きに応じて次客以下連客が動く。

詰客は殿(しんがり)のようなもので全体の茶事の円滑な進行を最後尾から促す役である。これら初釜の参加者の一つ一つの動きがシンクロするに従い“非日常”という感覚に参加者自身が包まれていく。

初釜全体が“非日常”を醸し出す「動きの芸術作品」になるのである。

コミュニケーションの世界でも「動きのシンクロ」は重要である。記者会見、コンベンション、セミナー、国際会議などのイベントを成功させるには参加者の動きをシンクロさせることが最も重要な課題である。イベントの表舞台に出る登壇者などのプレイヤーの動きだけでなく、舞台裏で支えているスタッフの動きとの連動がその成功の是非を握る。うまくいったイベントはスタッフの動きが実にうつくしい。

ところがイベントのようにひとつの物理的な場所で行われるものはまだしも、企業のグローバル広報活動に求められる国境を越えての動きのシンクロは至難の業である。国によってマスコミの反応は違う、国によって広報担当者の視点や感度も違う、それぞれのマーケットでの事業展開に資するメッセージも違う、そして時差がある。これらの壁を乗り越えて動きのシンクロを果たさなければならないのである。これは経験上、結構“しんどい”。

茶道で行われている「動きのシンクロ」からムダのない、美しいグローバル広報を実現するための何らかの発想が出てくると面白いことになる。

*「コミュニケーション百景」。このシリーズのモットーは“コミュニケーションを24時間考える”です。寝ても覚めてもコミュニケーションを考えることを信条にしています。コミュニケーションでいろいろと思いつくことを書き綴っていきたいと思っています。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

twitterアカウント:@ShinTanaka

2011年2月3日木曜日

米大統領スピーチライターに学ぶ非言語コミュニケーション(戦略コミュニケーションの温故知新* 第3回)

(前回はこちらから)

アメリカでコミュニケーションの仕事に携わることとなったが、やはり英語力が問われる。

帰国子女の範疇には入るが、小学校の時代のことである。しかもアメリカとかイギリスなど英語の本場ではなく、英国自治領アフリカのローデシアの英語を身につけた。しかも帰国後、英語を使う場に恵まれず、英語と言えば基本的には受験勉強である。大学生になってから交換留学などを通じて英語力の回復を図ったが、発音はともかく会話する感覚がなかなか戻ってこない。

ホンダ入社3年間は工場勤務だったため、逆に会話力は後退、これは何とかしなければと非常に焦っていた時期があった。そのため勤務終了後にアパートの一室でアメリカ大統領の音声テープつきの演説集を大統領になりきって繰り返し声を張上げながら暗記した。これが訪米してから役に立つ。メリハリのついた対話の基礎になった。これは非言語コミュニケーションでいう周辺言語力がついたのである。

周辺言語力とは話をする際の音の強弱、イントネーションの違い、次の文章を話し出すまでの間合いなどである。単語を連ねただけでは、こちらの伝えたいことの半分も伝わらない。

怖いのは誤解、勘違いされることである。音の強弱やイントネーション、間合いをうまく使うことによってこちらの伝達力が飛躍的に上がる。

アメリカ大統領の演説集は実によくできている。スピーチライターはコミュニケーションのプロフェッショナル最高峰に位置する。

一流のスピーチライターを頼むと一本のスピーチに数百万から一千万円ぐらいの請求されることもある。日本では考えられない世界である。それだけコミュニケーションの重要さがアメリカでは認識されている。

大統領の演説は一流のスピーチライターが工夫に工夫を重ねた作品である。そこには、相手にこちらのメッセージを正確に伝えるための熟練された技術の集大成が内包されている。

英語力の後退を防ごうと苦肉の策で始めた演説集の音読ではあったが、そこに仕込まれたコミュニケーション伝達の技を無意識のうちに触れることができたのが、後々大きく役に立った。

*「戦略コミュニケーションの温故知新」。このシリーズでは一度、原点回帰という意味で私のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「
オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

twitterアカウント:@ShinTanaka