2016年8月2日火曜日

そもそも「コミュニケーション」の訳語はあるのか?

福澤諭吉はコミュニケーションを「人間交際」と訳していた!

「コミュニケーション」という言葉は日頃あまり意識せず使われている。「コミュニケーションとは何か?」と聞かれると一瞬言葉に詰まる。
そこでカタカナ表記でない「コミュニケーション」の日本語訳はあるのかと調べてみた。その結果、「人間交際」という言葉が出てきた。「経済」「社会」「競争」「自由」「演説」など従来、日本にはなかった多くの概念を漢字で造語してきた福澤諭吉が「コミュニケーション」を「人間交際」と訳していた。
「経済」「社会」など福澤の名訳の殆どが2文字であるのに対して「人間交際」は4文字。それが理由でウケが悪かったのか、後世には残らなかった。これは日本にとって残念なことである。コミュニケーションという概念を日本人なりに消化吸収する機を逸した。
外来語が表意文字の漢字で翻訳されるか、表音文字のカタカナで表現されるかは、その外来語の意味を理解する上で大きな分かれ目になる。やはり日本人の思考回路は表意文字である漢字に根ざしている。カタカナだとなかなかその意味を明確にイメージできない。
コミュニケーションという言葉は日常頻繁に使われているが、漠然とした理解の領域を出ておらず、何かあるとそれはコミュニケーションの問題だと安易にまとめる。コミュニケーションの漢字訳がなかったことは日本人のコミュニケーションに対する意識を低めたということでは致命的であった。

コミュニケーション=「人間交際」、近代社会を生き抜くための武器

そこで、福澤諭吉がせっかくコミュニケーションを「人間交際」と訳してくれたので、彼がどうゆう意味を込めてこの造語を考え出したのか紐解く。
福澤諭吉がコミュニケーションを「人間交際」と訳した背景には、その概念が近代化を進める日本にとって大変重要な意味を持つと考えたからである。福澤は近代民主社会を成り立たせているのは社会を構成する人と人との関係性にあると考える。日本初のベストセラーになった福澤諭吉の「学問のすすめ」は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という冒頭文から始まる。
先ずは人と人との関係性に注目する。この冒頭文は今でこそ違和感なく読み流してしまうが、まだ封建制を色濃く含んだ当時の日本人の意識からは青天の霹靂である。封建制は身分で人と人との関係性を世襲にする。生まれた身分によって周りとの関係性が固定化される。正に「人の上に人を造り、人の下に人を造る」社会であった。「身分」とは「職業」と言い換えても良い。封建制では職業を選択できない。しかも、移動の自由がなく、現代から見ると1人の人間が一生に出会う相手の数は極端に限られていた。
ところが、幕末から明治へと時代が変わる中で身分制は消滅、移動の自由とともに職業選択の自由が訪れる。
1人の人間が一生に出会う相手の数が飛躍的に増える。出会う数だけではない、出会いの質も多様になる。選んだ職業によっては全く異なる価値観、考え方、素性を持った相手と仕事をせざるを得ない状況になる。そうなると、封建制では周りとの関係性が与えられていたのが、今度は自らの責任で職業を選び、その中で相手との関係性を造ることが求められるようになってきた。これはある意味で多くの人々にとっては苦痛なことであった。
新たな職業に着くには知識やスキルを習得する必要に迫られる。また知識やスキルがあっても、氏素性の全く異なる相手と上手くやっていかなければならない。相手からの信頼を得ながら、いかに自らの立ち位置を築くかに腐心することを強いられる。
見方を変えるとこれは職業選択の自由を得るための代償であり、近代社会において個人が受け入れなくてはならないコード(code:行動規範)とも言える。福澤諭吉は近代社会を成り立たせている基本は“個人”であると達観する。個人が自由に様々な職業につき、そこでスキルや知識を培い、“関係する相手”とつながりを持ち、しっかりとその立ち位置をつくる。これが"独立自尊の精神"の気風を醸成し近代社会の礎となる。
更にここでいう“関係する相手”とは家族であり、利害関係者(ステークホルダー)であり、社会(世論)である。近代を生き抜くためには個人は実学(スキル、技術、知識)と「人間交際」という武器を手に自らの人生を切り開く。これが福澤のメッセージである。

「学問のすすめ」は立ち位置の力学を説いた日本初のHow to本

福澤諭吉の代表作「学問のすすめ」は、このような状況の中で生まれる。その骨子は趣味的教養だけを高める従来の学問を否定、実際に世の中に役立つ「実学」を会得、そして「人間交際」をテコに個人の立ち位置をつくることである。
福澤の真骨頂は独立自尊の気風を持って個人がしっかりとした立ち位置で社会や国家と向き合う。これが近代社会を成り立たせているメカニズムと看破する。
この本は当時としては飛ぶように売れ、日本最初のベストセラーとなる。いかに多くの人々が自分の立ち位置をつくることに腐心、悩んでいたかが分かる。「学問のすすめ」はまさに立ち位置の力学を説いた書である。
「人間交際」=「コミュニケーション」は近代社会で独立自尊を実現する武器である。
 福澤諭吉が創設した慶應義塾のシンボルマークは2つのペンが交差したデザインである。「ペンには剣に勝る力あり」を象徴するマークである。それはあたかも剣ではなく「人間交際」というコミュニケーションを武器に個々人がその立ち位置をつくる。それ通じて日本の近代を創り上げていくという意気込みを示しているように思える。
「学問のすすめ」は古典にもかかわらず、多くの人がその注釈書を書いている。やはり、そこには長い年月を生き延びてきた古典特有の強かさがある。違った角度で読み返すとそこから新たな発想が生まれ出てくる強かさである。
今一度、手にとってコミュニケーションの視点から「学問のすすめ」を一読するのも「コミュニケーション」の輪郭をよりクリアにする事始めになる。

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