2015年2月20日金曜日

「イスラム国」のコミュニケーション力学から何を読み取る

サイバー戦争の幕開け

イスラム国が21人のキリスト教エジプト人殺害映像を流す。ISISの発信する内容がますます過激化している。米国もサイバー部隊の強化に乗り出す。更にはハッカー集団アノニマスがイスラム国に宣戦布告するなどさながらインターネット戦争の様相を呈し始めた。軍事力がなくてもインターネットで大国と戦える時代の到来を予感させる。ISISの発信技術も高度化してきている。ネット上では有志連合に負けていない。軍事戦力に替わりサイバー戦力が主役に、戦争の形態が大きく変わろうとしている。まさにサイバー戦争の幕開けである。
サイバー戦争の特徴は、戦場が世界のどこからでも見えることである。軍事衝突は本来密室的な空間で行われる。ジャーナリストが前線に出て取材するも、実際は戦場で起きていることのほんの一部しか報道できない。ところがサイバー空間は誰でもが見える、世界がその一部始終を目撃する。そこにネット世界の特徴である遠心力と求心力のダイナミズムが働き出す。遠心力とは加速度的に増幅する情報浸透の広がりであり、求心力とはその広がりの中で渦のごとく発生する思い込みの連鎖のつながりである。多くの外国人がイスラム国の活動に参加する動きは今だ衰えない。一方、ヨルダン兵士の殺害によってヨルダン国内のISISに対する怒りが爆発、イスラム国への空爆は再開される。フランスではイスラム系の複数の男女が風刺漫画家を殺害、その反動でフランス国内だけでなく、世界各地で報道の自由を掲げデモが起こる。安部総理の中東訪問を機に日本人人質事件が起こり、その訪問のタイミングに対する是非が問われる中でテロへの不安が日本中に蔓延する。これらの事象の背後にはサイバーの戦場で発信された様々なコンテンツが大小多様な思い込みを同時多発的に発生させ、それらが錯綜し、つながりながら現実世界を動かしている。その思い込みのつながりの大きなものが世界世論とも言い換えることもできる。

思い込みを操作する

サイバー戦争とは思い込みを操作することによって目的実現をくわだてる戦いと呼べる。その本質は軍事力を除いたという意味でより純化されたコミュニケーション戦争である。この戦場ではメッセージという武器を使って「思い込み」を相手につくり相手を動かす。メッセージを撃ち込むことで相手を誘導する、牽制する、共感させる、歓喜させる、恐怖のどん底に突き落とす。イスラム国は有志連合に対する軍事面での劣勢をコミュニケーション力でカバーするという強かな発想を持っている。コミュニケーションの戦いは従来、世論支持の取り合い合戦である。外交戦では、世界世論の獲得である。委任状争奪戦では一般個人株主世論の奪取である。敵対的M&A戦ではより広いステークホルダー世論の囲い込みである。選挙戦では有権者世論の確保である。ところがISISの場合、その狙いは世界世論の獲得ではさらさらない。逆に世界の恐怖感を煽る、有志連合という世界世論を代表する巨大な敵と聖戦をしているという構図をつくり、その思い込みを世界のイスラム過激派の中に植え付けることである。ターゲットは明確である。イスラム過激派とその予備軍である。現にナイジェリアのテロ集団ボコハラムなどのイスラム過激派があちらこちらで気勢を揚げ始めている。その戦いの構造の基本は弱者の強者への戦いである。よって劣勢の軍事力を補うためにサイバー戦力を巧みに使いこなす。
これは世論獲得を狙いとした従来のコミュニケーション戦とは違う新たな方向性である。世論という「マクロ」を狙うのではなく、小集団でも過激性のある特定の相手という「ミクロ」を狙う手法である。

コミュニケーション武装という考え方

戦略や目的実現にコミュニケーション力学を使いこなすという戦略コミュニケーションの発想を磨く時代になった。
イスラム国はテロ集団の「新種」である。その特徴はサイバー戦力を支える強かなコミュニケーション戦略である。「見えないテロ集団」であるアルカイダではサイバー戦力を効果的に使いこなせない。コンテンツを作り出すだけの力がない。地上戦でも空中戦でも見えるからイスラム国は効果的なサイバー戦を戦える。サイバー戦争はある意味、公開討論会のような全てが見える場での戦いである。その公の場での戦いを左右するのがコミュニケーション力の巧拙である。
物理的な力の行使である軍事力の実効性が相対的に弱まっている。
本格的な軍事力の行使には様々な抑止力が働く。有志連合が本格的に地上戦を仕掛けられないのがその一例である。その中で軍事力や経済力など従来の力学に加え相手を動かすコミュニケーション力があらゆる領域での「戦い」において重要になってくる。今やテロでさえもこのコミュニケーションの力学を使う時代である。
企業もその「戦場」は多様化している。従来の「市場」という戦場に加え、訴訟社会の進展によって「裁判所」での攻防もある。しかしながら、これから最も企業を脅かしてくる戦場は「世間」という戦場である。ここでは全てが公の場での戦いとなる。市場や裁判所では何を発信するべきかの判断基準は比較的に明確である。市場原理という基準が企業の事業発信を導く、法律が企業の訴訟発信を司る、ところが世間では多様な受け皿を持つ”相手”が手ぐすね引いて待っている。しかも受け皿が違うと全く違ったメッセージが伝わる、しかも発信したものは99%誤解されるか、曲解されるかである。誤解は溶けるが曲解は達が悪い。ISISに幾ら人道支援だと言っても相手は確信犯である。曲解し続け意味がない。「何を言うか」よりも「何が伝わるか」の世界である。伝わったものが大小さまざまなな思い込みをつくり、企業に襲いかかってくる。企業側も受け身ではいられない、逆に思い込みを相手につくる攻めに転じざるを得ない状況になる。コミュニケーション戦争である、コミュニケーション力の巧拙が問われてくる。
これから国も、企業も、個人も、自らをコミュニケーション武装することが求められてくる。コミュニケーション戦争における攻防力を身につけることがそれぞれの分野で確固たる立ち位置をつくる要となる。

2015年2月7日土曜日

世界で勝つ方程式、戦略コミュニケーションの発想 (3)

あらゆる事象の背後には”コミュニケーション”というカラクリがある。それを手繰って行くとひとつの力学が見えてくる。そのメカニズムを把握すると事象に影響を与え、目的実現に資する形で駆使できるという発想、戦略コミュニケーションという発想は何処から来たのか。考えてみるとやはり原点は80年代日米最大の懸案であった自動車通商摩擦での原体験である。それは戦うコミュニケーションから始まった。

PRってなんですか?」、「分からぬ、ただ、これから企業にとって大事なものらしい。ホンダは見えるものに対しては強いが、見えないものにはどうも弱い、その見えないものを相手にするみたいだ。まあ、頑張って来い。」アメリカのワシントンDCへの赴任を前に上司から貰った餞別の言葉である。19837月、27歳の時である。
これがPRとの出会いであり、コミュニケーションという世界に足を踏み入れた時である。80年代初頭ホンダはアメリカでの事業の現地化を推し進める中で、ワシントンDCPRの拠点とした。日本人の若手を一人よこせということで、何故か広報ではなく、海外営業に籍を置く自分に白羽の矢が立った。下手に広報の知識がない方が良いと思っていたのかもしれない。赴任早々、訳も分からない中でPR会社を雇った。それがフライシュマンヒラードである。その後、その「見えないもの」を相手に7年以上にわたりアメリカでのPR活動を展開することになる。
当時のホンダにとって「見えないもの」とはアメリカの世論である。その動向によって消費者の意識が変わる、販売店の離反が起こる、従業員が動揺する、そして政策も動く。結果、ホンダ車の輸入、販売、現地生産、リコールなどの訴訟対応などアメリカでの一連の事業活動に支障をきたすことになる。いくら品質の良い製品を持っていても、輸入できない、作れない、売れない、訴訟されるということになる。特にアメリカはホンダの生命線とも言うべき市場であり、その動向が経営全体に多大な影響を及ぼす。

1980年代の日米通商自動車摩擦は、今では想像できない程に激しいアメリカでの反日世論に晒されていた。シビックやカローラが失業者達の手で燃やされ、壊される事態が米国自動車メーカーの生産拠点であるミシガン州を中心に頻発していた。アメリカの自動車産業のメッカであるデトロイトで中国系アメリカ人が日本人に間違われてバットで殴り殺された悲惨な事件も起こった。
この過激な反日世論の背景には、日本自動車メーカーは大量の日本車を持ち込み、不当な競争力でアメリカ市場を席巻、アメリカ人の職を奪っているという「社会的空気」があった。自動車産業がアメリカの象徴であったこともアメリカ人の国民的自尊心を傷つけ、事態を加速させることとなる。
米国市場における日本車シェア急拡大の原因は70年代における二度に渡る石油危機により燃費の良い小型車へ需要が急激にシフトしたことである。大型車を主力としていたビッグ3(GM、フォード、クライスラー)はこの市場変化に対応できず、大幅な収益悪化にみまわれ、工場従業員の大規模な解雇を実施せざるを得ない状況に追い込まれていた。197810%程度の日本車シェアは1980年には20%以上に上昇、1990年に35%までになって行く。
このような状況の中、ビッグ3と全米自動車労働組合(UAW)がとってきた戦略は、この反日世論を意図的に煽ることによって、日本車を米国市場から締め出し、日本メーカーの米国工場を組合化することであった。アメリカの世論に配慮、米国政府の要請もあり、通産省(当時)は日本車の米国輸出を年間168万台に抑える自主規制を実施した。ビッグ3UAW側は世論をテコに、この自主規制枠を縮小させるべく米国政府に圧力をかける。更には、日本メーカーの米国工場で生産された車もアメリカ製部品の調達比率が低いということで、輸入車として扱う現地調達法案を議会に提出する。この法案は75%以上の米国製部品を使用していない車は米国製とは認めない内容になっているが、ビッグ3でさえもこの基準は満たしていなかった。明らかに日本自動車メーカー狙い撃ちの法案であった。一方、組合側は、日本メーカーの中で最も現地生産が進んでいたホンダの米国工場の組合化を画策、ホンダを落とせば、トヨタ、日産の工場も落とせるという目論見である。

ホンダの課題は明確に3つあった。①自主規制枠を維持する。生産余力を持つトヨタ、日産は自主規制枠拡大の方針であるが、ホンダは日本からの供給余力がない。トヨタ、日産よりも進んでいた米国での現地生産を推し進めるほか選択肢がなかった。枠を維持することによって、アメリカの世論を緩和させ、一方、トヨタ、日産の日本からの供給を制限できるという狙いがある。②現地調達法案の廃案に持っていく。ホンダの方針は現地調達率をもっと上げて行くことであったが、それには時間がかかる。日本狙い撃ちということもあり、法案の内容も非現実的なもので、現地調達率の定義自身が曖昧なものであった。③ホンダオハイオ州工場の組合化を阻止する。これが最も深刻な問題であった。組合化されると、多品種少量生産の考えをベースとする日本的生産方式が導入できなくなる。当時のアメリカの生産方式は少品種大量生産で何百もの職種に生産工程が細分化され、職種別に賃金も違うという労務形態であった。全ての工程をひとつの職種とし、工程間の異動を自由に行い、多様な車種の生産に柔軟に対応、そしてチームで車の品質を作り込んで行くという日本的生産方式とは全く相容れないものであった。組合化するか否かの判断は従業員にある。組合側が選挙を仕掛け、投票結果が過半数であれば組合化される。
これらの課題はまさに経営に直結したものであった。そして生命線であるアメリカ市場でホンダが生き抜くための戦いであった。
当時、ホンダの会長であった杉浦さんが、ワシントンDCに来た時に言った言葉が今でも強烈な印象として残っている。「アメリカはいずれ太平洋の真ん中あたりに線を引いて、アメリカ側と日本側とをはっきりと分ける。その際に、トヨタ、日産は日本側に落ちても、ホンダだけはアメリカ側に落着くよう頑張れ」。要は「アメリカの世論をホンダの味方につけろ」という意味である。世論を味方につけることによって、アメリカでのホンダの事業現地化戦略推進への障害を乗り越えるという方針の打ち上げである。
それから7年以上にわたり、アメリカの世論をホンダの味方にするべく、試行錯誤が続く。当時やってきた事を今から俯瞰すると、それなりにPR戦略として整理されているように見えるが、当時はPRの理論云々よりも、実践の中で無我夢中にやれる事をやったというのが実感である。

下記に主にやった事を列記する。

① 日本自動車メーカーとしては未踏の地であり、ビッグ3UAWが本拠を置く米国自動車産業のメッカ、デトロイトに日本メーカーとして初めて事務所を開設、当時、200人程の自動車産業を追っている記者の囲い込みに入る。当時、デトロイトは自動車記者クラブのような体をなしていた。Wall Street Journal, New York Times, Business weekの大手メデイアはデトロイト支局を置き、自動車産業をフォローしていた。

②自動車産業の研究拠点の双璧であったミシガン大学、マサチューセッツ工科大学、更にはハーバード、スタンフオード両ビジネス・ビジネス・スクールへの人脈作りを通じてホンダのアメリカにおける戦略、事業展開、その基本的考え方などへの理解を醸成、ケーススタデイーの作り込み、本の出版をし仕掛ける。

③アメリカにおけるホンダの事業活動最大のエビデンス(例証)であるオハイオ州工場にマスコミ、有識者、州・政府関係者、政治家を個別に招待する戦略を展開する。百聞は一見に如かずである。一日かけてツアーを敢行、ホンダの生産工程、開発、エンジニアリング施設見学、米国部品の調達状況の説明、アメリカ従業員との対話、取引米国部品メーカーへの取材、地域住民との対話集会参加などこちらのメッセージを打ち込む様々なコンタクトポイントをつくる。

④ホンダの各事務所の相手を明確にし、連携をしながら、一貫したメッセージを発信する体制をつくる。デトロイト事務所はマスコミ、学界を含む有識者、ワシントンDCは議会、政府、シンクタンク、ニューヨークは証券アナリスト、ロサンゼルスは販売店、自動車専門誌、オハイオ州工場は従業員、地域住民、州議会・政府、部品メーカーと夫々が明確に「相手」を規定して発信して行く仕組みにする。これは発信機能だけでなく、受信機能としても働き、世論の動向やホンダのメッセージ発信に対する反応をチェックすることができた。また、夫々の事務所に日本人を貼り付け、米国内における連携の強化と日本とのPR戦略の擦り合わせを迅速に行える体制にする。

⑤米国3大自動車会議へ積極的に参画をする。ミシガン大学、マサチューセッツ工科大学、最大の自動車産業誌オートモーティブ・ニュースが主催する自動車会議にスピーカーの提供、有識者、マスコミとの関係作りを積極的にしかけていく。

⑥ホンダの現地化戦略がアメリカの経済、競争力に大きく貢献するというメッセージを伝えるためのイベントを実施する。1985年に米国での開発、調達、生産、販売、海外への輸出を一貫して行える体制の構築を謳ったホンダ米国自立化戦略をオハイオ州ホンダ工場で記者会見、発表する。Wall Street Journalでは発表当日までの5日間、連続で一面トップ記事でホンダの米国現地化戦略を取り上げるなど、大きな反響を呼ぶ。1987年には日本自動車メーカーとして、初めて米国製ホンダ車の日本への輸出を開始、輸出港ポートランドで政治、政府、マスコミ関係者を招待、輸出イベントを開催、自動車マスコミのメッカであるデトロイトとポートランドをサテライトでつなぎ、ライブ・オンライン記者会見を実施する。更には、3大テレビネットワークに話を持ちかけ、うちABCNBCが当日、ポートランドから生で全国に放映する。政治、政策の府であるワシントンDCに最も影響力のあるワシントン・ポスト紙に働きかけ、米国製アコードが日本に向けて船積みされる写真が一面トップで掲載を実現した。

⑦ホンダの「顔」をつくる戦略を展開する。当時、ホンダは商品ブランドは確立されていたが、企業ブランドが無かった。アメリカでの事業展開を可視化するだけでなく、ホンダの「顔」を見せることが、特にアメリカの世論に働きかけるためには必須であった。それには実際に事業戦略の意思決定を行っている日本人トップマネジメントを「顔」として売り出すことある。アメリカ人の顔ではなく、日本人の顔である。社内からは多くの反対があった。特に日本からは。アメリカの世論を相手にするなら、なるべく日本色は消す方が良いということがその論拠である。しかし、ここはアメリカの日本人トップのサポートもあり、強行突破した。結果、表面的にアメリカ人の顔を出すより、堂々と日本人の顔で勝負したことが世論に対しては効果が高かった。これは組織よりも個人に注目するアメリカの国民性に負うところが大きい。

⑧最後は、1989年、創始者、本田宗一郎さんが米国自動車産業の殿堂入りを日本人として初めて果たしたことである。殿堂入り受賞式では本田さんが「アメリカありがとう!ホンダはアメリカのおかげで一人前の自動車メーカーになれました。本当にありがとう!」とアメリカに対する感謝からスピーチを始めた。Thank youHallowしか英語を知らない本田宗一郎さんは、ひたすら「ありがとう、ありがとう」とスピーチの中で連呼、話を終えたその瞬間に観衆からのスタンデイング・オベーションが起こった。その時は身の震えが止まらなかった事を今でも鮮明に覚えている。アメリカの世論を味方にしたという強烈な実感である。

PRとの出会いは、まさに戦うコミュニケーションから始まった。コミュニケーションは武力、財力、権力と並ぶ、あるいはそれ以上の、人を動かす力学であるという実感、それはホンダのアメリカの事業戦略を守ることに直結したパワーであるという認識がここから生まれた。戦略コミュニケーションの発想が体得できた原体験であった。

2015年2月6日金曜日

世界で勝つ方程式、戦略コミュニケーションの発想 (2)

「五輪書」という本がある。あの有名な剣術家、宮本武蔵の兵法書である。
齢60歳の時に九州肥後の岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向かい、47年間の剣術修行の真髄をしたためたものである。
読むと次の文に惹きつけられる。「我に師匠なし。今此書を作るといえども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをもちいず、此の一流の見たて、実の心を顕す事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てんに、筆をとって書初むるもの也。」兵法の本質は全て「自分の内にある」という武蔵の宣言である。心を静寂にして自己との対話の中でその「体験を見極める」と云う武蔵の覚悟である。過去の書籍や教えに一切頼らず、自分の長年の経験の中からのみ掴み取った原理原則を「五輪書」に書き綴ったという武蔵の自負である。
この武蔵の姿勢が戦略コミュニケーションの世界に通じるところに大いに感じ入った。コミュニケーションを戦略実現のための力学として捉えた時、その真髄は実際の経験から弾き出したものでないと実践の役に立たない。本をいくら読んでも、人からいくら教えてもらっても左脳での理解だけでは歯が立たない。目の前の具体的な課題に取り組み、その経験から本質を掴み取る右脳での体得がないと事に対応することができないのがコミュニケーション力学の世界である。
「戦略コミュニケーション」は”造語”である。戦略的コミュニケーションという表現は良く使われるが、大きな違いは”的”がついていない。”戦略的”はあくまでコミュニケーションの中での話になる。戦略性の高いコミュニケーションと言ったニュアンスで、何を持って戦略性かはっきりしない。”的”を外すことで戦略とコミュニケーションは別物でなく、表裏一体であることを示す。戦略があっても周りがその実現のために動くよう影響を与えなければ何事も起こらない。人に影響を与え動かすためのコミュニケーション力学が不可欠になる。人の世である限りこれは「常識」であるが、コミュニケーションは別物という認識が特に日本ではまだ強い。優れた戦略が稚拙なコミュニケーションによってダメになるケースが日常茶飯事に起こっている。戦略とコミュニケーションは不可分なのだと説明をすると頭では理解してくれるが、発想を持つまでには落ちない。やはり、発想を待つまでに落とし込むには”修羅場”とも言える経験が必要となる。
コミュニケーションの世界に関わりを持つこと30年、その体験の中で培ってきた”発想”を表現しようとした際に出て来たのが「戦略コミュニケーション」と言う言葉である。これからグローバル化の波が押し寄せる中で、この”発想”を持つことが成功のためのルールである。英語力、MBA、ビジネス理論をいくら習得しても世界では勝てない。人生を生き抜く上で、企業が事業戦略を実現する上で、国が繁栄する上で必要不可欠な「発想」が戦略コミュニケーションの発想である。
この発想を体得する鍵は自分の内にある。培ってきた体験の中にある。そこから原理原則を捻り出す絶え間ない努力と工夫が必要である。日常の些細な経験の中にも戦略コミュニケーションの発想を身につけるための秘宝は多く隠されている。人生は毎日が修羅場 。その日々の修羅場から”世界で勝つ方程式”を感得するぐらいの気構えが重要である。宮本武蔵の「五輪書」に流れている”姿勢”がここにある。

2015年2月5日木曜日

世界で勝つ方程式、戦略コミュニケーションの発想 (1)

2015年はクライシスモードで始まった。

まずはマクドナルドの異物混入。ナゲットへの青色ビニール片の混入を発端に一斉に過去の異物混入のケースが表面化する。正月明けに記者会見を開くが事態はますます悪化、マクドナルドの事業活動に大きな影響を与える。今後、食の世界では過去公表されていない異物混入噴出への対策、初動対応の迅速化など新次元のクライシス対応が求められる。 
アメリカで炎上しているタカタのエアーバッグ問題では、昨年行われた2回の公聴会でタカタが立場を明らかにしたものの炎上は加速、アメリカ世論はタカタ糾弾に動き出す。更にはホンダやトヨタなど自動車メーカーにまで火の粉が飛ぼうとしている。自動車の電子化に加え海外生産の拡大がサプライチェーンからくるリスクを空前のレベルにまでに押し上げている。クライシス対応の巧拙が経営全体に影響を及ぼし始める。
最後はイスラム国による日本人人質問題である。安部首相の中東訪問時の難民への人道支援の発言から拉致された日本人2人の身代金要求へと発展、結果最悪の事態になる。日本にとって-“テロ”が身近かなものとなる。外からの脅威というリスクの増大が日本の世界での中立的な立ち位置に大きく影響する事態になった。一つは世間の関心が危機の事後に集中し過ぎている。事が起こってからどのように対応したかが議論の中心になっている。対応の是非を精査することは重要だが、何故事態を回避できなかったかと云う事前の議論も重要である。クライシスは回避するに越したことはない。個人も、企業も、国も新次元のリスク管理が問われてくる中で尚更のことである。

世界はコミュニケーション戦争に突入していると言っても過言ではない。政治や外交だけではない、ビジネスにおいても。また中東やウクライナなど特定地域に限られたことではない。全世界がコミュニケーションの戦場なのである。お互いにメッセージというミサイルを撃ち合い戦っている。それらがいろいろな思惑、誤解、曲解、牽制、妥協を生み、 武力による戦争以上に、市場での競争を超えて、人々を動かし政治、外交、ビジネスにおいて新たな現実を作り上げている。これが価値観の多極化、利害錯綜のグローバル化、社会のネット化がもたらす今の現実である。
ここではコミュニケーションの力学が物を言う。メッセージというミサイルで相手を直接攻撃する。相手が発信したものを捉えてこちらのメッセージで迎撃する。そこでは発信するだけでなく、空気を読む、読まれまいと云う受信の攻防戦も繰り広げられる。世間ではコミュニケーションは発信であるという思い込みがあるが、全ては受信あっての発信である。コミュニケーションの戦場での稚拙で無防備な発信は命取りになる。Aと発信しても相手はBと受け取る。コミュニケーション世界の基本前提である。だからこそ、相手に確実にAと伝わるようにコミュニケーションを発想する。相手によって伝わるメッセージが異なるという現実を直視することである。誤解、曲解の世界なのである。誤解は解けるが、曲解は解けない。達が悪い。今回の日本人人質事件もイスラム国による曲解である。いくら人道支援だと言っても相手は意図して聞く耳を持たない。

これらの一連の危機はひとつひとつが固有で一過性のものとして捉えるべきではない。有事365日の時代の到来を象徴した出来事と考える事が肝要である。その対応や報道内容を見ていると、この異次元での危機の時代を向かえる上で日本の企業、日本の国、更には日本人として欠けてるものが幾つか見えてくる。しかしながら、最も懸念されるのが戦略コミュニケーションの発想の欠如である。
マクドナルドは昨年に食肉偽装の問題でクライシスを経験している。その経験に基づいたしっかりとした発信が全く為されなかった。稚拙な発信であった。タカタのエアバッグ問題もかなり以前から顕在化、対応の甘さは否めない。アメリカ世論の空気が読めない中での無謀な発信であった。安部首相の中東訪問にしてもタイミングが悪い。あるコメンテーターが「イスラム国は日本を敵にする意図が既にあった」と述べた。全く間違った認識である。コミュニケーション力学を心得ない誤ったコメントである。安部総理の発信をこれ幸いと利用、イスラム国のプロパガンダに使ったのである。法外な身代金請求はダメもとである。内容はどうであれ日本の発信がイスラム国に口実を与え、最悪の事態を招く結果となった。

発信したものがメッセージではない。相手に伝わったものがメッセージである。有事365日の時代にコミュニケーションを力として意識しないことは、国にとっても、企業にとっても自殺行為に等しい。世界がコミュニケーション戦争の修羅場と化している中を武器、弾薬も持たずに戦場を歩くようなものである。コミュニケーションをいかに有事の政治力、外交力、経営力に転換できるかがこれからの”勝負”を決める。戦略実現のための力学としてコミュニケーションを見る発想が必要となる。戦略コミュニケーションの”発想”である。