2023年10月27日金曜日

「強かな立ち位置」をつくるとは? “強かに考えるな!“

立ち位置とは何か。「周りからどう見られるか」です。

個人も、企業も、国も周りからどう見られるかで、個人であればその人生、企業であればその存続、国であればその行末が決まると言っても過言ではありません。

そこで、生き抜いて行くための「強かな立ち位置」とは何か、その本質を考えていきたいと思います。

 

立ち位置はコミュニケーション力によって作られることは、別の稿で話をしました。

強かな立ち位置をつくれるか否かは、その人、企業、国が持っているコミュニケーション力(能力)に依存する訳です。

では、強かな立ち位置をつくるにはどうすればいいのか。普通に考えると「強かに考えて行動、コミュニケーションを図る」という事になります。ところが、コミュニケーションの厄介なところは、「強か」と考えた瞬間に相手はこちらの非言語を通じてそれを察知します。すると「あいつは強かに考えて行動している。気をつけなければ」と逆に用心されてしまいます。人は心で思ったことはすぐ非言語表現となって表に出ます。相手はそれをすぐ察知します。

初めての人と会う時、相手を見た瞬間に「あっ、苦手なタイプ」と心に思った瞬間、それは相手にも伝わります。人は初対面の時、10秒で相手に対する印象を作ってしまいます。逆に言えば、最初の10秒が相手に好印象を与えるチャンスになります。いずれにせよ、「強かに」考えることが「強かな立ち位置をつくる」ことには繋がらないのです。ではどうすれば強かな立ち位置が作れるのか?

結論は「結果、強かだと評価される」ことです。

 

「燃えよドラゴン」で一世を風靡した俳優で格闘家のBruce Leeが残した格言があります。格闘技の奥義を説いたものですが、強かな立ち位置の本質を考える上でも非常に示唆に富んでいます。

 

“Be water, my friend!”

"I said empty your mind. Be formless. Shapeless, like water.
Now, if you put water into a cup, it becomes the cup. You put water into a bottle and it becomes the the bottle. You put it in a tea pot, it becomes a tea pot.
Now water can flow or it can crash.
Be water, my friend."

Bruce Lee 

 

(日本語の訳)

「心を空にせよ。型を捨て、形をなくせ。水のように、コップに注げば、コップの形に、
ボトルの注げば、ボトルの形に、急須に注げば、急須の形に、
そして水は自在に動き、ときに破壊的な力を持つ、
友よ、水になれ。

 

Bruce Lee の発想の背景には中国の古典である「老子」の視座がビルトインされています。
「老子」では究極の強かさの象徴を水とします。
水はどのような容器にも形を合わせます。しかも石をも削る力を持ます。
更には、周りから無くてはならない存在です。このような存在を「老子」は「強かである」と評価します。

しかしながら、「Be water, my friend」と言われても、相手の形に自分を合わせることは至難の業です。最大の敵は自分です。自分の自我エゴ、偏見、先入観、更には、好き嫌いなど越えなければならない壁が立ちはだかります。自分への囚われを無くす。心をゼロにすることが出発点です。

これは「自分との対話」をどれだけ自分に仕掛けられるかです。コミュニーケーションと言うととかく、「相手との対話」だと思われていますが、「自分との対話」あっての「相手との対話」です。
まず、自分をしっかりと整えた上で相手と向き合うことが大切です。

 

「自分との対話」はどうやれば良いのか、更には「結果、強か」を具体的に実施するかについては、自分の経験に基づいた話を別の稿で紹介したいと思います。

2023年10月18日水曜日

立ち位置とは何か

最近、「立ち位置」という表現をよく使います。「これからは企業の立ち位置が問われる」「リーダーとしての立ち位置をつくる」「日本の立ち位置を強くする」など頻繁に使います。また、研修などの場でも「強かな立ち位置をどうつくるか?」と言ったテーマで良く議論を進めます。

そもそも立ち位置とは何か。「立ち位置」と言うと大体の人が頷きますが、その意味を聞くと結構答えに窮する人も多く、曖昧に捉えられているようです。「立ち位置」はコミュニケーションを考える上で非常に重要な意味を持ちます。立ち位置とは周りから「どうみられるか」です。例えば、

社会的動物である人間にとって周りから「役に立つか」「役に立たないか」どちらに見られるかは切実な問題です。どう見られるかによって仕事のみならず、人生そのものが大きく影響を受けます。「立ち位置」によって人間は生かされていると言っても過言ではありません。

立ち位置とコミュニケーションの関係を考える上で、一つの小話を紹介します。

New Yorkerだと自慢するスタッフがいました。生まれも、育ちもNew York、他のアメリカ人とは「違う!」と自負していました。そこで彼に「何が違うの」と質問すると、速攻で「発想が違う!」と答え、例え話を切り出してきました。

New Yorkはご存知のように摩天楼が聳え立つ大都会です。そこには多くの古い高層ビルが立ち並びます。そこで一人のNew Yorkersが古い高層ビルのロビーに入り、最上階に行くために直行便のエレベーターに乗ります。するとNew Yorkerの他に5人の同乗者が乗り込んできました。古いビルですから、エレベーターも遅く、これからどこの階にも止まらず、ゆっくりと時間をかけて最上階に向うことになります。「その時、New Yorkerは何を発想するのでしょうか?」これがスタッフが切り出してきた質問です。皆さんだったらどうしますか?

彼は自慢げにその回答を話し出しました。

「先ず、自分を含めた6人の中で一番弱く見られそうなのは誰かを見極める。」仮に自分が一番弱く見られると判断したら即行動にでます。「ああ!!」と大きな声を出して腕を大袈裟に持ち上げ、自分の時計を見る。そして一言「空手道場に遅れる!」New Yorkerはその後、無事に最上階まで行きます。

たわいの無い話ですが、立ち位置とコミュニケーションの関係性を説明するのに手軽な例えば話だと思います。

New Yorkerの立ち位置は彼が行動する前後で大きく変わりました。彼の行動は3つのプロセスからなっています。先ずは「受信」、そして「発想」、最後に「発信」です。どう見られるかで「受信」、何をメッセージとするかで「発想」、行動するで「発信」です。これはコミュニケーションのプロセスです。立ち位置をつくるのがコミュニケーションです。立ち位置によって人は生かされます。よってコミュニケーションは人を生かすために天からの授かり物と認識することが大事です。

2023年10月3日火曜日

コミュニケーション=「人間交際」?

 そもそもコミュニケーションの日本語はないのか?西洋から来た多くの言葉や概念を日本語化してきた福沢諭吉の“造語リスト”を見ると、「人間交際」という表現が出てきます。これがコミュニケーションという言葉の訳として一番近いのではないかと思います。

残念ながらこの表現は一般には普及しませんでした。福沢諭吉という近代日本を啓発した人物が何故、コミュニケーションをあえて「人間交際」と翻訳したのか、その意図と背景を考えてみました。


その背景の一つが当時の明治人の“悩み”にあった様です。江戸時代は国内での移動が厳しく制約される中で、人々が身分制度によって職業選択の自由が制限されていました。

ところが明治になると移動の自由が認められ、身分制度の廃止により、職業を自由に選択することができるようになります。

現代に生きる我々からすれば当たり前なことですが、当時の人々にとっては青天の霹靂です。

江戸時代においては新たな人と出会う機会は我々が想像する以上に少なく、昔からの“顔馴染み”の中で生活していた訳ですから、人との関係がかなり限定的でした。

ところが明治になると望む・望まないに拘らず、様々なバックグラウンドを持った人々との交流が生じ、人との関係性が複雑かつ流動的になります。人は就いた職業によって新たな関係を築いて行くことが求められるようになります。これが交際慣れしてない多くの人たちにとっては大きな悩みの種になります。当時の明治人の悩みを言い表した文章が夏目漱石の著作「草枕」の冒頭に書かれています。

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

この「住みにくさ」とはある意味で近代社会がもたらしたものです。

 

福沢諭吉は「人間交際」が近代社会が成り立つ上で基本となるベースであるととらえます。

近代社会は市民一人ひとりが様々な知見や経験を持つ人々と自らの責任で関係をつくり、自らの生計をたて、社会を支えると福沢諭吉は考え各個人が「独立自尊」の立ち位置を持つことを大前提に置きます。

独立自尊とは「独り善がり」になるということではありません。「自尊」とは自分をリスペクト(respect)することですが、当然ながらそれは相手へのrespectを前提にします。両者にとっての独立自尊です。

 

福沢諭吉は日本で初めての社交クラブである交詢社を1880年に立ち上げます。今風のクラブではなく、財界人、政治家、文化人、ジャーナリストなど多くの人材が集う場で、交流を通じて様々な分野での創意を結集、発想の“Innovation”を仕掛けます。創発的ネットワーキングです。

 

この人間交際を意味あるものにするのがコミュニケーションの力です。

近代社会の本質とは個々人がコミュニケーションの力を駆使して人と組織、そして社会と繋がり、様々な“Innovation”を起こして行く世界であると福沢諭吉は発想したのではと想像します。