そもそもコミュニケーションの日本語はないのか?西洋から来た多くの言葉や概念を日本語化してきた福沢諭吉の“造語リスト”を見ると、「人間交際」という表現が出てきます。これがコミュニケーションという言葉の訳として一番近いのではないかと思います。
残念ながらこの表現は一般には普及しませんでした。福沢諭吉という近代日本を啓発した人物が何故、コミュニケーションをあえて「人間交際」と翻訳したのか、その意図と背景を考えてみました。
その背景の一つが当時の明治人の“悩み”にあった様です。江戸時代は国内での移動が厳しく制約される中で、人々が身分制度によって職業選択の自由が制限されていました。
ところが明治になると移動の自由が認められ、身分制度の廃止により、職業を自由に選択することができるようになります。
現代に生きる我々からすれば当たり前なことですが、当時の人々にとっては青天の霹靂です。
江戸時代においては新たな人と出会う機会は我々が想像する以上に少なく、昔からの“顔馴染み”の中で生活していた訳ですから、人との関係がかなり限定的でした。
ところが明治になると望む・望まないに拘らず、様々なバックグラウンドを持った人々との交流が生じ、人との関係性が複雑かつ流動的になります。人は就いた職業によって新たな関係を築いて行くことが求められるようになります。これが交際慣れしてない多くの人たちにとっては大きな悩みの種になります。当時の明治人の悩みを言い表した文章が夏目漱石の著作「草枕」の冒頭に書かれています。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」
この「住みにくさ」とはある意味で近代社会がもたらしたものです。
福沢諭吉は「人間交際」が近代社会が成り立つ上で基本となるベースであるととらえます。
近代社会は市民一人ひとりが様々な知見や経験を持つ人々と自らの責任で関係をつくり、自らの生計をたて、社会を支えると福沢諭吉は考え各個人が「独立自尊」の立ち位置を持つことを大前提に置きます。
独立自尊とは「独り善がり」になるということではありません。「自尊」とは自分をリスペクト(respect)することですが、当然ながらそれは相手へのrespectを前提にします。両者にとっての独立自尊です。
福沢諭吉は日本で初めての社交クラブである交詢社を1880年に立ち上げます。今風の“クラブ”ではなく、財界人、政治家、文化人、ジャーナリストなど多くの人材が集う場で、交流を通じて様々な分野での創意を結集、発想の“Innovation”を仕掛けます。創発的ネットワーキングです。
この人間交際を意味あるものにするのがコミュニケーションの力です。
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